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第29話 終わらない業務

 新東京市の地下深層。

 一般の軍関係者すらその存在を知らず、対ノワール特務機関の職員であっても最高レベルのセキュリティクリアランスを持つ者しか立ち入ることを許されない最奥部。


 通称『コード・オメガ』と呼ばれる最高機密会議室には、重苦しく、そしてひどく冷たい沈黙が満ちていた。


 照明が極端に落とされた円形の空間。

 中央に設置された巨大なホログラム・テーブルを囲むように、五つの高い背もたれを持つ椅子が並んでいる。そこに座る者たちの顔は暗闇に沈み、首から下の上質なスーツや軍服のシルエットだけがぼんやりと浮かび上がっていた。

 彼らこそが、この国の対ノワール戦略、いや、国家の裏の意思決定を担う最高幹部ボードメンバーたちである。


「――以上が、昨夜から未明にかけて展開された『静寂と虚無の結界』の事後処理報告、および対象個体『ベルモット』の戦闘データ解析結果です」


 静寂を破り、ホログラム・テーブルの傍らに立つ御堂マキ博士が、手元のタブレットを操作しながら報告を締めくくった。

 普段のヨレヨレのアニメTシャツの上に白衣というふざけた格好は鳴りを潜め、今日は首元までボタンを留めた堅苦しい軍属の制服を着込んでいる。咥えタバコも当然ない。


 ホログラム・テーブルには、シロ(神堂誠)が巨大悪魔『ブラック・プレジデント』の絶対防壁を粉砕した瞬間の、圧倒的な熱量と魔力波形を示すグラフが空中に投影されていた。

 計測器の針が振り切れ、エラーを示す赤い警告が画面を埋め尽くしている。


「素晴らしい」


 沈黙を破り、正面の椅子に座る初老の男――『第一議長』と呼ばれる男が、深く低い声で呟いた。


「破壊力もさることながら、この特異な魔力変換効率。あらゆる感情を無に帰す敵の『虚無』の概念を、己の強烈な生存本能エゴで真っ向から上書きし、純粋な攻撃エネルギーへと反転させるシステム。……これほどまでに『M.A.G.I.C.システム』のポテンシャルを引き出した適格者は、過去の歴史において一人も存在しなかった」


「ええ。まさに『特異点』と呼ぶにふさわしい逸材です」

 別の椅子から、細身の男が同意する。


「神堂誠、三十歳。中堅総合商社『クロノス商事』の営業部主任。……まさか、これほどの兵器リソースが、市井の、それも一企業の平社員として埋もれていたとはな」


 幹部たちの声には、世界を救った英雄に対する称賛や敬意といった感情は一切含まれていなかった。

 彼らの語り口は、まるで自社の工場で偶然発見された「極めて燃費が良く、絶対に壊れない永久機関のモーター」を品定めする、冷酷な経営者のそれであった。


「マキ博士。彼のデバイスの『隠しモード』起動時の精神汚染度合いはどうなっている?」

 第三の幹部が尋ねた。


「……精神汚染は、皆無です」

 マキ博士は、少しだけ顔をしかめながら答えた。


「リミッターを解除し、ノワールの放つ純度百パーセントの虚無の直撃を受けましたが、彼の精神バイタルは全く揺らぎませんでした。」


 マキ博士が、タブレットの画面を切り替えながら補足する。


「ほう……実に興味深い」

 第一議長が、暗闇の中で満足げに笑った。


「通常、魔法少女という兵器は、希望や愛といった高潔な感情を動力源とするため、ノワールの呪い(絶望)に触れ続ければ必ず摩耗し、やがて折れる。今回の【真紅の戦乙女ルビィ】がそうであったようにな。だが、彼の場合は違う。最初から心が『死滅フラット』しているがゆえに、折れる概念すら存在しないのだ」


 マキ博士が補足する。


「よし。シロの運用レベルを、最高機密へ引き上げろ。今後の新東京市の防衛は、彼を主軸として再編する」


 第一議長の決定に、マキ博士は僅かに眉をひそめた。


「議長。それは、彼にさらに過酷な連戦を強いるということですか? 彼は本業(クロノス商事での激務)を抱えたままです。いくら絶望耐性が規格外でも、睡眠不足と疲労が重なれば、肉体が持ちません」


 マキ博士の言葉は、決して誠の身を案じる純粋な優しさから出たものではない。

 せっかく見つけた最高の実験用モルモット(兵器)を、過労死で失うのは惜しい、という研究者としての懸念だ。


 だが、幹部たちの反応は冷ややかなものだった。


「肉体が壊れる前には、システム側の回復モジュールで最低限の修復を行えばいい。それに、彼には『給料三倍』という破格のインセンティブと、『特別有給休暇の付与権限』を約束したのだろう?」

 第二の幹部が冷笑する。


「ええ。その言葉を聞いた瞬間、彼は目の色を変えて(死んだ魚の目のままですが)承諾しました」


「ならば問題ない。彼は素晴らしいリソースだ。給料三倍の価値は十二分にある。……彼には今後も、その命の灯火が擦り切れるまで、我々のために限界まで『働いて』もらおう」


 第一議長の言葉は、ブラック企業の経営者が放つそれよりも、さらに重く、絶対的な冷酷さを帯びていた。


 給料を三倍払うから、二十四時間戦え。命を懸けろ。

 それは、一企業のブラック労働など可愛いものに思えるほどの、国家という巨大な組織による、個人の『魂の完全なる搾取』の宣言だった。


「それにしても」

 第四の幹部が、ホログラムのベルモットの映像を指差して言った。


「敵の組織についてだが……。彼らは人間の感情そのものを世界の混沌の元凶とみなし、全人類から感情を完全に消し去った『絶対の静寂と虚無に支配された新世界』を創世しようと企んでいるようだ」


「ええ。今回の結界は、そのための大規模な実験プロトタイプだったと推測されます」

 マキ博士が、手元のデータを更新しながら言った。

「もしあれが新東京市全域、あるいは国家規模で展開されていれば、数千万人の心が完全に死滅し、ただ呼吸するだけの抜け殻と化していたでしょう」


「ベルモットという個体は倒れたが、あれほどの魔力と概念を現世に顕現させる巨大なバックボーンが背後に存在するのは疑いようがない。彼らは今回得たデータをもとに、次はより洗練された、より広範囲の虚無をもたらす事態を引き起こすだろう」


「感情を完全に消去されては、我々としても困る。国民がただの抜け殻になってしまっては、我が国の経済も社会も停止するからな」

 第一議長は、椅子の肘掛けを指でトントンと叩きながら、最も核心に触れる問いを口にした。


「マキ博士。例の『プロジェクト・オメガ』……新エネルギー精製炉の状況はどうなっている?」


 その言葉が出た瞬間、会議室の空気が一段と張り詰めた。


「……は。順調に推移しております」

 マキ博士は、少しだけ口ごもりながら、別のホログラムを展開した。


 映し出されたのは、地下のさらに奥深くに設置された、巨大な円柱状のプラントの映像だった。

 プラントの内部には、どす黒いヘドロのような液体(ノワールの呪い)が渦巻き、それが中心のコアを通ることで、眩い純白の光のエネルギー(マナ)へと変換されていく様子がシミュレーションされている。


「昨夜、シロがルビィから肩代わりして吸収した膨大な呪い、および虚無の結界を破壊した際に生じたノワールの残滓。それらは全て、システムのバックドアを通じて回収し、地下のリアクターへと転送しました。……シロの特異な『絶望を反転させる濾過機能』を経由したことで、抽出されたエネルギーの純度は、これまでの数百倍に達しています」


「素晴らしい」

 幹部たちが、一斉に感嘆の息を漏らした。


「人間の負の感情(絶望や疲労)を狩り、それを新時代のクリーンな無限エネルギー(マナ)へと精製し、国家の動力源とする。……我々が進めてきたこの『オメガ・プロジェクト』において、シロの存在はまさに完璧な『濾過フィルター』だ」


 第一議長が、暗闇の中で目をギラつかせた。


(敵の組織が、人間の感情を完全に『消滅』させようとしているのに対し、我々軍は、その感情(絶望)から生み出されるノワールを狩り、新エネルギーとして『搾取』しようとしている。……皮肉なものだな。我々もまた、別の形で人間の感情というリソースを貪っているわけだ)


 マキ博士は、無言でタブレットを見つめていた。


 そうだ。

 対ノワール特務機関の真の目的は、単なる市民の防衛ではない。

 ノワールという「湧き出る資源(負の感情)」を、魔法少女という「回収装置」を使って集め、国家の新エネルギーとして利用すること。

 ある意味で、軍の上層部と敵組織は、人間の感情を巡る対極の、しかし同質の悪意を持っていると言っても過言ではなかった。


「シロ……神堂誠には、今後も一切の真実を伏せたまま、敵の虚無に対抗する最強の防波堤として、最前線でノワールを狩り続けてもらう。彼は自分が『世界を救っている』と、あるいは『自分の残業代のために働いている』と信じ込んだまま、我々のために最高のエネルギーを生産し続ける歯車となればいい」


 第一議長の言葉に、幹部たちが同調の笑いを漏らす。


「……御意に」

 マキ博士は、一礼してホログラムの電源を落とした。


 彼女の胸の内に、ほんのわずかな罪悪感がよぎった。

 あのおっさん(神堂誠)は、本業の会社で氷山の悪魔に理不尽に搾取され、夜は魔法少女としてノワールに命を狙われ、そしてその裏で、国家というさらに巨大な悪意によって、その魂の限界まで利用され尽くそうとしているのだ。


 何重にも重なった、逃げ場のないブラック労働の多重構造。


(……ごめんね、シロ。アンタの夢は、多分、一生叶わないわ)


 マキ博士は、心の中でひっそりと、哀れな最強の社畜に黙祷を捧げた。


――同じ頃。

 クロノス商事の営業部フロアでは、俺(神堂誠)が、死んだ魚の目をしてPCのモニターと睨み合っていた。


「……くそっ」

 俺は、こっそりと机の下で胃薬をボリボリと噛み砕きながら、悪態をついた。

 診断書の件は、マキ博士の『助け』(裏技)のおかげで、どうにか切り抜けられたが……。


 昨日は久しぶりにたっぷり十時間も爆睡したというのに、夕方にあったあの修羅場じみた偶然の遭遇のせいで、互いの空気は最悪なものになってしまった。結局、その場ではどうにか爆発を堪えた玲奈部長も、不機嫌なまま別れる形になり、そのことが逆に俺の中に強い不安を残した。

 そのせいで一睡もできず、せっかく回復しかけていた体も、翌日にはかえってひどく疲れ切ってしまっていた……。


「はぁ…」

 身体が痛い。眠い。帰りたい。


 都市を救ったというのに、俺を取り巻く環境は何一つ改善されていない。

 むしろ、昨日のせいで、今日の玲奈部長は明らかに機嫌が悪い。


 俺の視界にあるのは、ただ目の前に積まれた「今日中に処理しなければならない決裁書類」の山と、数メートル先で俺の動向を鷹のように監視している『氷山の悪魔』の冷たい視線だけだ。


「……神堂主任」


 隣の席の後輩が、恐る恐る声をかけてきた。


「なんだ」


「その……氷室部長、さっきからずっとこっち見てますよ。しかも、目がすごく怖いんですけど……主任、マジで何かしでかしたんですか? 呪い殺されるんじゃないですか?」


「……気にするな。見たら石になるぞ」


 俺は、一切の感情を排した声で後輩を制し、キーボードのエンターキーをターンッ!と力強く叩いた。


 残念ながら、ノワールの恐ろしい強敵を前にしても一歩も引かなかった俺にできることは、ただ目の前のエクセルの行を一つ一つ埋めていくことだけだ。


「……絶対に、今日は定時で帰ってやる……」


 俺は、誰にも聞こえない声で、叶わぬ願いを虚空に向かって吐き出した。


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