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第25話 クライマックス

「シロちゃん……私も一緒に……!」

 ルビィが俺の背中から身を乗り出し、俺の小さな手に重なるようにして『反逆の楔』のグリップを握りしめた。枯渇していたはずの彼女から、推しへの愛(執着)という名の真紅の魔力が絞り出される。

「お姉様、私も手伝いますっ!」

 さらに、結衣も駆け寄り、反対側からグリップに両手を添えた。彼女の杖から放たれる青い希望の光が加わる。


 俺の赤黒い社畜の炎、ルビィの真紅の冷気、結衣のサファイアブルーの希望。

 三人の魔力が一つに集束し、『反逆の楔』の表面から、極大の輝く炎が爆発的に吹き上がった。


「――私たちの未来は、誰にも奪わせない! トゥルー・ラブ・リフレクションッ!!」


 乙女ボイスの絶叫に呼応するように。


 ズオォォォォォォォォォォォッ!!!


 俺たちの押し返す力が、ついに数百万人の絶望エネルギーの圧力を上回った。

 極太の虚無の光線が、俺たちの盾に弾かれ、まるで滝の水が巨大な岩に当たって左右に割れるように、ドームの両サイドへと真っ二つに裂けていく。


「いけえええええええっ!! お姉様っ!!」

 結衣が涙声で声援を送りながら、共に力を込める。


「シロちゃぁぁぁぁん! 愛してるわぁぁぁぁっ!!」

 ルビィが完全に理性を失って叫びながら、俺の手にギュッと力を込める。


「(お前らをブチのめして、俺は絶対に家に帰る!!)」


 ――カッ!!


 『反逆の楔』から放たれた俺の執念の炎が、ついにブラック・プレジデントの絶望のビームを完全に相殺し、光の粒子となってドーム内に四散した。


『な、なんだとォォォッ!? 数百万人の虚無のエネルギーが……押し負けただとォォォッ!?』


 ベルモットが、空中でバランスを崩し、信じられないというように頭を抱えて絶叫する。


 ビームを放ち尽くした巨大悪魔『ブラック・プレジデント』は、急激な魔力枯渇により、その巨体を維持できずにガクンと膝をついた。

 四本の腕は力なく垂れ下がり、無防備な胸のコアが、ドクン、ドクンと弱々しく明滅している。

 もはや、周囲から絶望を吸い上げる力すら残っていない。


「シロお姉様! 敵の動きが止まりました! 今です!」

 結衣が、希望の杖を掲げながら叫ぶ。


「……ええ。分かっています」


 強制ロマンチックモードのBGMがフェードアウトし、俺は自分の身体のコントロールが戻ったのを確認して、深く息を吐き出した。

 焼け焦げた『反逆の楔』を肩に担ぎ直す。


 ビームを相殺した代償で、俺の純白のドレスはボロボロになり、ツインテールの髪は煤けていた。

 全身の筋肉は限界を迎え、一歩歩くごとに激痛が走る。

 だが、俺の闘志(という名の、早く帰って寝たいという執念)は、いささかも衰えていなかった。


 俺は、ゆっくりと、隙だらけになったボスの前へと歩みを進めた。


『ま、待て……! エトワール・ブラン! 貴様、自分が何をしているか分かっているのか!』


 ベルモットが、焦燥に満ちた声で俺を制止しようとする。


「(そんなデカい主語で語るな)」


 俺は、悪魔の足元に立ち、ベルモットを冷たく見上げた。

 俺が守りたいのは、この街の経済でも、人類の未来でもない。

 今日帰って飲む一杯の安いビールと、泥のような睡眠、そして明日の朝の平和な(最低限の)定時出社だけだ。


「お前らみたいな、迷惑なクソ野郎は……」


 俺は、『反逆の楔』のグリップを両手で力強く握り締め、大きく右足を後ろに引いた。

 野球のバッターのような、あるいは、ゴルフのドライバーショットのような、完璧なフルスイングの構え。


 ステッキの先端に、残された全ての魔力――今日一日の理不尽な業務と、先ほどの羞恥心による怒りの炎が、一点に集束していく。


「――私たちが、完全に終わらせますッ!!」


 俺は、息を深く吸い込み、最後の一撃を解き放つべく、極限まで『反逆の楔』を振りかぶった。


 ズッドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


 天地を揺るがす轟音と共に、俺の振るった『反逆の楔』の先端が、ブラック・プレジデントの露出した漆黒のコアのド真ん中を、寸分の狂いもなく貫いた。


 ピキッ。


 一瞬の静寂。

 時間すらも停止したかのような、永遠にも似たコンマ一秒。


 そして。


 パァァァァァァァァァンッ!!!!


 漆黒のコアに刻まれた亀裂から、太陽のように眩い、黄金の光が爆発的に溢れ出した。


『ギ、ギィギャアァァァァァァァァァァァァッッ!!!!!』


 巨大悪魔ブラック・プレジデントが、断末魔の絶叫を上げる。

 四本の巨大な腕が崩れ落ち、背中の歯車が次々と弾け飛ぶ。

 数百万人の市民から吸い上げた虚無と絶望が、俺たちの強烈な執念(と羞恥心)によって内側から浄化され、悪魔の巨体を内側から木っ端微塵に吹き飛ばしていく。

 ドーム内に充満していた灰色のモノクロームの世界が、圧倒的な光に飲み込まれ、色彩を取り戻していく。


『バカな……!』


 上空で、ベルモットがペストマスクを抱えながら、崩壊していく自らの最高傑作を見下ろして絶叫していた。

 彼の身体の周囲に、空間の歪み――逃亡のためのゲートが出現し始める。


 俺は、爆散していくコアの光の中で、空中のベルモットをキッと睨みつけた。


『……エトワール・ブラン。いや、特異点よ!』


 ベルモットの姿が、ゲートの暗闇に吸い込まれそうになる寸前。

 彼は、血走った目で俺を見つめ、ひどく不気味な、そして悦びに満ちた声で言い放った。


『お前のその、あらゆる絶望を飲み込み、欲望へと変換する特異な魂……。我々のシステムを破ったその力、見事だ。だが、忘れるな』


 ベルモットの姿が、徐々に闇に溶けていく。


『いずれ必ず、お前自身が最高の絶望を産み出し、我々のシステムを完成させる……。お前のその底なしの器が、自らの重さに耐えきれずに壊れるその時を、楽しみに待っているぞ……フ、フハハハハハ……!!』


「(寝言は寝てから言え。俺の器は、平日のビールジョッキ一杯で十分だ)」


 俺は、心の中で吐き捨てるように呟き、ベルモットの姿が完全にゲートの奥へと消え去るのを見届けた。

 そのまま、爆散する悪魔の光の奔流に身を任せ、重力に従って落下していく。


 ――パリンッ!


 空中で、ガラスが割れるような乾いた音が響いた。


 新東京市の中心部を覆っていた、灰色のオフィス地獄『静寂と虚無の結界』が、維持するコアを失い、限界を迎えて崩壊を始めたのだ。

 灰色のドーム状の天井がひび割れ、モノクロームの幻影が砂のようにサラサラと崩れ落ちていく。


 幻影が消え去った後には。

 元の、見慣れた新東京市の風景が戻ってきていた。


 高層ビル群の窓ガラス。

 見慣れたアスファルトの道路。

 そして。


「……あ」


 俺は、地面にドスンと着地し、顔を上げた。


 ビルの隙間から、眩しい光が差し込んできたのだ。

 空を覆っていた分厚い暗雲が晴れ、東の空から、オレンジ色の美しい太陽が顔を出そうとしていた。


 朝焼けだ。

 長く、あまりにも長すぎた、地獄のような夜が終わったのだ。


 強制ロマンチックモードのBGMがフェードアウトし、システムによる身体の強制掌握が解かれたのを感じて、俺は大きく息を吐き出した。


「終わった……」


 俺は、巨大な楔を地面に落とし、そのまま大の字になってアスファルトの上に仰向けに倒れ込んだ。


 全身の痛みが、今頃になって一気に押し寄せてくる。

 隠しモードの反動、極限の羞恥心による精神的疲労、そして絶望ビームを押し返したことによる筋肉と骨の悲鳴。

 指一本動かす気力すらない。純白のドレスは焦げ跡と泥でボロボロの雑巾のようで、銀髪のツインテールは土埃と汗でぐちゃぐちゃだ。


 だが、見上げる朝焼けの空は、信じられないほどに青く、澄み切っていた。


 遠くから、カラスの鳴き声が聞こえる。

 結界の中で無気力になって倒れていた市民たちが、少しずつ目を覚まし、「あれ? 俺、ここで何寝てたんだ?」「やばっ、終電逃した!?」と戸惑いながら起き上がり始めている気配がする。

 どうやら、無気力死の危機は完全に回避できたようだ。

 彼らはまた、いつものように満員電車に揺られ、会社へと向かうのだろう。この街の経済活動デスマーチは、今日も止まることなく続くのだ。


「……シロ、ちゃん……」


 俺の視界の上に、影が落ちた。


 見上げると、そこには、同じようにボロボロになった真紅のドレス姿のルビィが、俺の顔を覗き込んでいた。

 彼女の頬には、まだ涙の跡が残っている。

 だが、その表情は、憑き物が落ちたように穏やかで、そして、俺を甘やかすような、どうしようもなく重たく、愛おしいものを見るような、限界オタク特有の深い色を帯びていた。


「……おはようございます、ルビィさん。任務、完了しましたね」


 俺は、仰向けのまま、いつもの死んだ魚の目で、極めて事務的な挨拶をした。

 さて、これで残業は終わりだ。マキ博士に緊急ワープを頼んで、家に帰って寝よう。シャワーを浴びる時間もないかもしれないが、せめてベッドで一時間だけでも……。


 そう思った、次の瞬間だった。


(……あれ?)


 マキ博士の言葉が、俺の脳裏に蘇る。


『そのモードを起動すると……代償として、システムが再起動するまで、最低でも二十四時間は元の姿に戻れなくなるわよ!』


 俺の顔から、スッと血の気が引いた。


 そうだ。俺は今、変身を解除できない。

 つまり、あと数時間後に迫った月曜日の朝、俺(神堂誠)は会社を無断欠勤することになるのだ。

 あろうことか、目の前にいる『氷室玲奈部長』の許可を得ずに、だ。


 そして、目の前には。


「さあ、シロちゃん。もう悪い怪物はいないわ。よく頑張ったわね、私の天使」


 ルビィが、完全に蕩けた笑顔で、俺を抱き上げようと手を伸ばしてきた。


「このまま、お姉ちゃんのお家に行きましょうね。温かいお風呂に入れてあげて、美味しい朝ご飯を作ってあげて、一緒のお布団に入って、ずーっと、ずーっと可愛がってあげるからね♡」


 彼女の真紅の瞳の奥に、絶対に逃がさないというブラックホールのような執着の光が渦巻いている。

 完全に『お持ち帰り』する気満々だ。


「ズルいです! 私も一緒に行きます! シロお姉様は私が一番にお世話します!」

 後ろから、結衣も駆け寄ってきて、俺の腕を引っ張ろうとする。

「私がお姉様の髪を乾かして、パジャマを着せてあげますっ!」


「ち、ちょっと待ってください! 私は、自分の家に帰らなきゃ……!」

 俺は慌てて身体をよじろうとしたが、疲労困憊の身体では、二人の魔法少女のホールドから抜け出すことなど到底不可能だった。


(……終わった)


 俺は、美しい朝焼けの空を見上げながら、完全に絶望の淵へと叩き落とされていた。


 無断欠勤による、本業(神堂誠)の社会人生命の終了確定。

 そして、重度の限界オタクたちによる、二十四時間ぶっ続けの軟禁(推し活・着せ替え人形・過剰なスキンシップ)生活の始まり。


 世界は救われたというのに、俺個人の尊厳と平穏は、完全に木っ端微塵に粉砕されようとしている。


「(……誰か、俺の有給と貞操を、救ってくれェェェェッ!)」


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