第24話 私が守る(明日の平和を)
『シロ! 危ない!』
通信機越しに、マキ博士の悲鳴が聞こえる。
『敵のコアの内部で、莫大な絶望エネルギーがチャージされているわ! このままじゃ、自爆で周辺一帯を消し飛ばす気よ!』
「ルビィさん、結衣! 下がれ!!」
俺は、後ろを振り返って怒鳴った。
結衣は慌てて希望の盾を展開したが、問題はルビィだった。
彼女は、俺の極限の乙女ポエムとファンサービス(強制)によって精神を乱され、完全に惚け顔で立ち尽くしてしまっていたのだ。
「あぁ……シロちゃんの愛の力……素晴らしいわ……」とうわ言のように呟きながら、目の前の危険に全く反応できていない。
おまけに、これまでの連戦で彼女の魔力はすでに底を突きかけている。強固な氷の防御壁を展開する力など、残っていない。
『死ねェェェェッ!!』
ベルモットの絶叫と共に。
ブラック・プレジデントのコアから、極限まで圧縮された絶望エネルギーの極太のビームが、太陽のプロミネンスのような閃光となって放たれた。
その狙いは。
俺でも、結衣でもなく。
魔力を使い果たし、無防備に立ち尽くしている、ルビィ(氷室玲奈部長)へと真っ直ぐに向けられていた。
「ルビィさんッ!!」
結衣の悲鳴がドームに響き渡る。
ルビィは、迫り来る死の光線を前に、呆然と目を見開くことしかできなかった。回避は不可能。直撃すれば、即死は免れない。
(……クソッ!)
身体は、思考よりも先に動いていた。
俺は、疲労困憊の身体を鞭打ち、爆発的な脚力でルビィの前に飛び込んだ。
そして。
重量二トンの『反逆の楔』を、盾のようにして正面に構える。
「……シロ、ちゃん……?」
背後で、ルビィの信じられないというような声が聞こえた。
俺は、迫り来る絶望の光線を見据えながら、腹の底に力を込めた。
ポエムモードの恥辱は乗り越えた。なら、あとはこのふざけた残業を、俺の意志で終わらせるだけだ。
その直後。
俺の構えた鉄の楔に、全てを消し飛ばす即死級のビームが、天地を揺るがす轟音と共に激突したのだった。
――視界が、真っ白に染まった。
巨大悪魔『ブラック・プレジデント』の胸の奥底に保護されていた漆黒のコア。
そこから放たれたのは、新東京市の中心部から数百万人の市民を犠牲にして吸い上げた『絶望エネルギー』を、限界のその先まで圧縮した極太のビームだった。
それは、単なる高熱や破壊力を持つ光線ではない。触れた者の心から希望を根こそぎ奪い、存在そのものを『虚無』へと還元してしまう、純度百パーセントの呪いの奔流である。
太陽のプロミネンスのようにうねるその閃光は、周囲の空間を物理的に削り取り、灰色のタイルカーペットを瞬時に蒸発させながら、一直線にルビィ(氷室玲奈部長)へと向かっていた。
俺は、疲労困憊の身体に鞭を打ち、爆発的な脚力でルビィの前に飛び込んだ。
そして、隠しモードによって変容した重量二トンの巨大な鉄の楔『反逆の楔』を、巨大な盾のようにして正面に構えた。
次の瞬間。
ズガァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
天地が裂け、鼓膜が完全に破れそうなほどの轟音と共に、絶望のビームが俺の構えた『反逆の楔』の表面に激突した。
信じられないほどの衝撃だった。
ダンプカーの群れに正面衝突されたような、あるいは、何万トンもの水圧を持つ深海にいきなり放り出されたような、圧倒的な物理的暴力。
それと同時に、俺の精神を直接握り潰そうとするような、強烈な「諦めろ」「消えろ」という無機質な虚無の意思が、楔を通じて全身の神経を逆撫でする。
「くっ……うおおおおッ!!」
俺は、超絶ロリボイスで悲鳴のような声を上げながら、必死に足を踏ん張り、楔の盾を押し返した。
だが、ビームの推進力と質量は俺の予想を遥かに超えていた。
超高密度合金でできた『反逆の楔』の表面で、赤黒い絶望エネルギーが激しく飛び散り、太陽の表面のような超高熱を発している。絶対破壊不能のはずの金属が、ギチギチと悲鳴を上げるような嫌な音が耳元で鳴り響く。
俺の足元の床が、高熱と圧力に耐えきれずにドロドロのマグマのように溶け出し、俺の小さな身体はそのまま後方へとズリズリと押し込まれていく。
純白のフリルドレスの裾が焦げ、銀髪が熱風でチリチリと焼ける匂いがした。
『シロ! ダメよ、防ぎきれない!』
通信機から、マキ博士の悲鳴にも似た警告が飛び込んできた。
『そのビームは、数百万人の心を空っぽにするほどの、極限まで濃縮された純度百パーセントの虚無の塊よ! いくらアンタの隠しモードでも、総量で完全に押し負けるわ! 早くそこから離脱して!』
「……ッ、断ります!」
俺は、歯を食いしばりながら、血の滲むような声で答えた。
逃げられるわけがない。
俺のすぐ後ろには、魔力を使い果たして膝をつき、呆然と目を見開いているルビィがいるのだ。
俺がここを一歩でも退けば、彼女は間違いなくこの絶望の奔流に飲み込まれ、細胞の欠片も残さずに消滅してしまう。
「シ、シロちゃん……! もういい、逃げて!」
背後から、ルビィの悲痛な叫び声が聞こえた。
「私なんかのために、あなたが犠牲になることないわ! お願いだから、逃げてェッ!」
自分の命が風前の灯火だというのに、それでも他者を気遣う。
やっぱり、この女は根っからの「不器用なバカ」だ。自分が完璧でなければならないと強がり、一人で抱え込んで、一人で勝手に責任を取ろうとする。
(……なんで俺は、こんなバカな上司を、身を呈して守ってるんだ)
ビームの重圧に骨が軋み、筋肉の繊維がブチブチと千切れるような激痛に耐えながら、俺は内心で自問自答した。
氷室玲奈。
クロノス商事営業部長。通称、氷山の悪魔。
俺に毎晩のように理不尽な残業を押し付け、些細なミスをネチネチと詰め、提出した資料をゴミ箱に叩き込む、俺の社畜ライフにおける最大の天敵。
あいつがいなくなれば。
俺の会社員生活は、間違いなく今よりずっと楽になるはずだ。
定時で帰れる日も増えるかもしれない。休日に理不尽な呼び出しを受けることもなくなるだろう。
なのに、どうして。
どうして俺は、ここから逃げ出さない?
『フハハハハハハ! 無駄な抵抗だ、エトワール・ブラン!』
ビームの向こう側から、ベルモットの狂ったような高笑いが響く。
『お前のその無骨な鉄の塊は、己自身の身を守るためのものだろう! 他者を……それも、己の命に代えても守る義理などないはずの魔法少女を庇って、その盾が本来の力を発揮できると思うな! そのまま、仲良く虚無の底へ消し飛べェェッ!』
ベルモットの言葉と共に、ビームの出力がさらに一段階跳ね上がった。
「がぁッ……!」
俺の身体が、さらに数十センチ後退する。
『反逆の楔』の表面が赤熱し、グリップを握る俺の手のひらの皮膚が焼け焦げる痛みが走った。
ルビィが、俺の背中にすがりつくようにして、泣きじゃくっているのが分かる。
彼女の震える手が、俺の純白のドレスの背中をギュッと握りしめていた。
――その、震える手の感触が。
俺の心の中にあった、ある極めて現実的で冷酷な『答え』を導き出した。
(……ああ、そうか)
俺は、ビームの熱光の中で、ニヤリと死んだ魚の口元を歪めた。
(俺は、あいつが死んだら、俺の仕事が楽になるなんて……一ミリも思ってないんだ)
冷静に考えてみろ。
あの『氷山の悪魔』が、もし明日から会社に来なくなったら、営業部はどうなる?
いつも彼女の影に怯えながら泣き言ばかり言っている後輩どもは、指示を失って路頭に迷う。他部署から押し付けられる理不尽な要求を防ぐ、最強の防波堤は消滅する。
そして何より、部長不在という緊急事態の尻拭いは全て、一番古株の主任である「俺(神堂誠)」に回ってくるのだ。
想像するだけで身の毛がよだつ。
俺の業務量は、今の三倍、いや十倍に膨れ上がるだろう。
それに。
俺が毎日、どんなに膨大なタスクを抱えても、心を完全に死滅させずに(死んだ魚の目で)ギリギリ回せているのは。
毎朝、定時きっちりにヒールを鳴らして現れ、「神堂、昨日の資料はどうなってるの」と、あの絶対零度の声でケツを叩いてくれる、あの女がいるからだ。
あの女の完璧すぎる仕事のペース配分がなければ、俺はとっくの昔にこの過酷な労働環境に潰されていただろう。
(なめるな……っ!)
俺は、焼けるような痛みを無視して、両手で『反逆の楔』のグリップを限界まで強く握り直した。
上司を守る? そんな綺麗な自己犠牲じゃない。
これは、俺自身の『明日の平穏な業務ルーティン』を守るための、極めて利己的で社畜的な生存本能だ。
(お前がいなくなったら……俺の仕事のペースが狂うんだよォォォッ!!)
俺は、心の中で、三十歳の男としてのありったけの気迫を込めて叫んだ。
そして、その圧倒的な執念を、全身の筋肉と魔力に変換し、ビームを押し返そうと踏み込んだ――。
まさに、その絶対的な覚悟の瞬間だった。
『System Override: Maiden Romance Mode, Continuation.(乙女の純愛ロマンチックモード、継続中)』
俺の脳内に、再びあの無機質で無慈悲な電子音が鳴り響いた。
(…………は?)
俺の思考が停止する間もなく、俺の身体はまたしてもシステム側に強制掌握された。
両足が、ビームの圧力に耐えながらも、勝手にバレエの第四ポジションのようにクロスする。
背筋がピンと伸び、顔の角度が斜め四十五度、最も可愛く見える黄金比へと強制的に固定される。
そして。
死の光線の真っただ中だというのに、俺の周囲の空間に、またしても大量のピンク色の薔薇の花びらと、キラキラと輝く星屑のエフェクトが舞い散り始めたのだ。
「(やめろ! 今それどころじゃないだろォォォッ!!)」
俺は心の中で絶叫したが、システムの強制演出は誰にも止められない。
俺の喉の奥から、限界を突破した超絶甘ったるい、ヒロイン度一万パーセントの乙女チックな声が、自動的に絞り出された。
「暗闇に震える小鳥さん……。もう泣かないで」
(誰が小鳥さんだ!! 後ろにいるのは氷山の悪魔だよ!!)
俺のツッコミを無視して、ポエムの朗読は続く。
「あなたの流した涙は、私が星に変えてみせる……っ! ふたりの絆は、どんな冷たい嵐だって溶かしてみせるわ……っ!」
バチコンッ!と、ビームの熱光の中で、俺の右目が完璧なアイドル・ウインクを放つ。
この地獄のような状況下で、三十歳の男の尊厳を削り取って発動する、究極の羞恥心自己発電システム。
「な、なんだとォ!?」
上空のベルモットが、ビームの中で薔薇の花びらが舞うというシュールすぎる光景に、驚愕の声を上げた。
だが、さらに俺を精神的に追い詰めたのは、背後にいるルビィの反応だった。
「……シロ、ちゃん……ッ」
俺の背中にしがみついていたルビィの震えが、ピタリと止まった。
俺は振り返ることはできなかったが、彼女の息遣いが、絶望のそれから、何か別の、極めて危険な熱を帯びたものへと変化したのが分かった。
「私、私なんかのために……そんな、甘くて、優しい言葉を……っ!」
ルビィの声が、完全に限界オタクのそれへと裏返っていた。
「ああああっ、尊い! 尊すぎるわシロちゃん! こんな絶対絶命のピンチに、私のためにウインクして励ましてくれるなんて! 私、もう死んでもいい! ううん、シロちゃんが守ってくれるなら、絶対に生きて帰るわぁぁぁッ!!」
背後から、謎の熱い応援(という名の黄色い悲鳴)が飛んでくる。
ルビィの限界オタクフィルターは、この絶望の結界の中でさえも健やかに作動し、俺の強制ポエムを「自分への極上のファンサービス」として完璧に受信してしまったらしい。
(違う! 俺の意志じゃない! 頼むからこれ以上俺を恥ずかしめで殺さないでくれェェェッ!)
俺は心の中で血の涙を流した。
これ以上、こんな羞恥プレイを見せられ続けたら、ビームで焼き殺される前に、俺の精神がショック死してしまう。
一刻も早く、一秒でも早く、このふざけた残業を終わらせて、家に帰って毛布を被りたい!




