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第21話 火蓋が、今、切って落とされた

 極彩色の転送光が弾け飛んだ瞬間、俺の感覚器官は、強烈な『違和感』に襲われた。


 無臭。

 無音。

 そして、無色。


「……ここは」


 俺は、重量二トンの『ドリーム・ステッキ』を肩に担ぎ直し、周囲を見渡した。


 新東京市の中心部、高層ビルが立ち並ぶビジネス街であるはずのその場所は、元の街の骨格を保ちながらも、完全に異質の空間へと変貌を遂げていた。

 空を覆うのは、果てしなく続くどんよりとした鉛色のドーム。

 立ち並ぶビル群も、足元のアスファルトも、停まったままの車も、全てが色を失い、白と黒と灰色のモノクロームの世界に沈み込んでいる。


 風の音一つしない。

 まるで、巨大な真空パックの中に閉じ込められたかのような、鼓膜が痛くなるほどの完全な静寂。


『目覚めよ、真なる絶望! 全人類から喜怒哀楽というノイズを完全に削ぎ落とし、完全なる静寂と秩序に支配された新世界ユートピアを創世するための究極の濾過システム……そのプロトタイプをここに展開する!』


 先ほどベルモットが語っていた通りだ。

 ここは、新東京市でありながら、新東京市ではない。

 内部のあらゆる『感情の波動』を強制的にミュートし、人間の心を削り取って空っぽの器にしてしまう、地獄の精神結界だった。


「……ぁ……」


 俺の後ろで、結衣ピュア・サファイアが、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。

 彼女のサファイアブルーの髪から、急速にツヤと色彩が失われ、灰色にくすんでいく。


「ど、どうしたの……私……。急に、何も……考えられなく、なって……」

 結衣は、青い杖を杖代わりにして立ち上がろうとするが、膝に力が入らないらしい。


「怖いとか……悲しいとか、そういうのじゃなくて……。ただ、自分が、透明になって消えちゃいそうな……いやだ、消えたく、ない……」


 結衣の瞳から、光り輝く希望のオーラが完全に消失していた。

 恐るべき結界の力だ。希望を力とする魔法少女ですら、この空間にいるだけで精神の根源を削られ、一切の感情を持たない『虚無』へと引きずり込まれてしまう。


「結衣ちゃん、しっかりして!」

 ルビィ(氷室玲奈)が、結衣の肩を抱き起こそうとする。


 だが、そのルビィ自身の顔色も、かつてないほど蒼白だった。

 彼女の額には脂汗が浮かび、氷の長杖を持つ手が微かに震えている。


「はぁっ……はぁっ……。なんなの、この空間……。息が、できない……」


 ルビィの心にも、この結界が放つ精神攻撃がダイレクトに突き刺さっているのだろう。

 完璧主義で、常に強い責任感とプライドを持って戦ってきた彼女にとって、『感情モチベーションの消失』は、自分という存在の土台が崩れ去ることを意味する。

「私がやらなければ」という強い意志すらも、このモノクロームの世界は容赦なく吸い取っていくのだ。


「……シロ、ちゃん。気をつけて。この空間にいるだけで……自分が、自分じゃなくなっていくような……」

 ルビィが、苦しそうに顔を歪めた。


「……そうでしょうか?」


 俺は、無表情のまま、首をコキッと鳴らした。

 結衣がへたり込み、ルビィが息も絶え絶えになっているというのに、俺の精神状態は、ミリ単位のブレも起こしていなかった。


 俺の心(社畜脳)が、この空間をスキャンして弾き出した感想は、ただ一つだけだ。


(毎朝、満員電車に揺られながら『俺は無だ、背景と同化する無機物だ』と自己暗示をかけている時の感覚と、全く変わらないな)


「……シロちゃん?」

 ルビィが、全く影響を受けていない俺を見て、目を丸くする。


「怒りも湧かない、悲しくもない。ただ目の前の作業を処理するだけの状態……むしろ、怒鳴り声や喧騒が聞こえない分、この静寂は随分と快適な環境に思えますが」


「あ、あなた……正気なの……?」


「いたって正気です。」


 俺は、ドリーム・ステッキを両手で握り直し、前を向いた。


 無音のモノクロームの通路の奥から、アスファルトを染み出すようにして、『敵』が現れた。

 これまでの昆虫や獣を模したノワールではない。

 のっぺらぼうの灰色の人型。感情を持たず、ただそこにあるだけの『虚無の兵隊』たちが、ゾンビのようにゾロゾロと群れを成して向かってきた。


 足音すらない。

 ただ、俺たちをこの灰色の世界の一部に同化させようと、無機質に迫り来る。


「下がっていてください、ルビィさん」


 俺は、一歩前に踏み出した。


「感情を奪う? そんな青臭い嫌がらせで、私の心を折れると思うな」


 俺は、迫り来る虚無の群れに向かって、一切の躊躇なく、二トンのステッキを真横に振り抜いた。


「――邪魔だッ!!」


 ドゴォォォォォォンッ!!


 絶対の静寂が支配していた空間に、空気を極限まで圧縮したような破裂音が轟いた。

 二トンの質量が、最前列の灰色の兵隊どもをまとめて粉砕する。

 発生した爆発的な衝撃波が、モノクロームのビル風となって吹き荒れ、敵の群れを木っ端微塵に吹き飛ばしていく。


『……!?』

 声なき悲鳴を上げながら、虚無のノワールどもが消滅していく。


「すごい……」

 ルビィが、呆然と呟いた。

「この『虚無』の重圧の中で、全く動きが鈍っていない。それどころか……あんな無機質な瞳で、活き活きと暴れ回っている……!」


 俺は、ステッキを大車輪のように振り回し、迫り来る灰色の群れを次々と叩き割りながら、ズンズンと前進していった。


(感情がないなら、痛覚もないよな!)

 ズバァァンッ!と、三体まとめて真っ二つに割る。


(だったら、俺が容赦する必要もねえ!)

 ドゴォォンッ!と、地面ごと粉砕する。


「とっとと道を開けてください! 私は早く家に帰って寝たいんです!!」


 俺の心の中の社畜の咆哮と、口から出るロリボイスの叫びがシンクロし、ステッキの猛威が静寂の地獄を蹂躙していく。

 もはやどちらが化け物か分からない。感情を奪う虚無の結界の中で、俺一人だけが、物理法則と精神的重圧を完全に無視した暴虐の嵐を巻き起こしていた。


 灰色の軍勢を切り開き、俺たちが突き進んでいくと、やがて空間が少し広がり、巨大な交差点のような場所に出た。

 そして、その中央を塞ぐように、異様な存在がそびえ立っていた。


 それは、ビルの高さほどもある、巨大な『鏡』のようなノワールだった。

 いや、鏡ではない。表面が水面のように波打つ、のっぺりとした灰色の壁だ。

 その巨大な壁から、周囲の空間を凍りつかせるような、究極の『無意味』を押し付ける波動が放たれている。


『何のために戦う?』


 直接脳内に、感情の一切こもらない無機質な問いかけが響いた。


『希望も、絶望も、いずれは等しく消え去る。無駄な抵抗をやめ、静寂なる虚無と同化せよ。……お前たちの存在には、何の意味もない』


「ひっ……!」

 結衣が頭を抱え、床にうずくまる。


「くっ……!」

 ルビィも、自らの存在意義を根本から否定され、氷の長杖を支えにして立っているのがやっとの状態になった。

 自分は無価値だ。戦う意味などない。

 その強烈な『虚無の暗示』は、刃のように心に突き刺さるのだ。

 結界内の絶望の濃度が、一気に跳ね上がる。


 だが。


「…………へえ」


 俺は、重量二トンのステッキを片手で軽々と弄びながら、死んだ魚の目で巨大な壁を見上げた。


(存在に意味がない?)


 俺の心の中で、静かに、しかし決して消えることのない熱い炎が燃え上がった。


 意味がないだと?

 ふざけるな。

 俺が毎日、どんなに無意味に思えるデータの入力作業を、どれだけ心を無にして回していると思っている。

 世界を救うような大層な意味なんざ、最初から求めていない。俺の人生は、とっくの昔に壮大な夢や希望からは切り離されている。


 だが、それでも。俺には絶対に譲れない『我欲』がある。


「だったら……」


 俺は、ステッキを両手で握り締め、爆発的な脚力でアスファルトを蹴り飛ばした。


「意味がなくても、私は家に帰って寝るんですッ!!!」


 俺のロリボイスの絶叫が、虚無の暗示を完全に掻き消した。


「世界のためでも誰のためでもない! 私のささやかな平穏(日常)を、勝手に『無意味』の一言で奪おうとしないでくださいッ!!」


 俺は、空中に跳躍し、巨大な灰色の壁面めがけて、魂の底からのフルスイングを放った。


「――粉砕スマッシュッ!!!」


 ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


 ステッキの先端が、虚無の壁にジャストミートした。


『……!?!?』


 声なき断末魔と共に、巨大な壁が中心からひしゃげ、ひび割れ、ガラスが砕け散るように爆散していく。

 その衝撃波で、周囲に渦巻いていたモノクロームの淀みが、まとめてチリとなって吹き飛んだ。


 ズシンッ、と。

 俺は、見事な着地を決め、ステッキを肩に担ぎ直した。


「ふぅ……。スッキリしました」


 俺が首を回して息を吐くと、背後でルビィと結衣が、口をポカンと開けて固まっていた。


「し、シロちゃん……。あなた、あの精神攻撃が全く効いていないばかりか……」

 ルビィが、信じられないものを見るような目で俺の背中を見つめる。


「ええ。効くわけがないでしょう」

 俺は、死んだ目で振り返った。


「壮大な大義名分なんて、今の私にはありませんから。ただ『絶対に帰る』という、極めて個人的な執念だけが、私の原動力です」


 俺がそう言い放った、その時だった。


 ジジッ、ジジジジッ……。


 周囲の空間に、異変が起き始めた。

 無音だった世界に、微かな風の音が戻ってきた。

 そして、白と黒と灰色しかなかったモノクロームの世界に、少しずつ、まるで絵の具が滲むように『色彩』が戻り始めたのだ。


『ウソでしょ……!?』

 俺のポケットの通信機から、マキ博士の驚愕の声が飛び込んできた。


『結界の概念そのものが、侵食されている……! ベルモットの「静寂と虚無」の結界が、シロの「絶対に帰りたい」という強烈な生存本能エゴに負けて、ルールを上書きされ始めているのよ!!』


「結界を、侵食……?」

 結衣が、信じられないというように俺を見る。


 俺の規格外の絶望耐性と、限界を突破した個人的な執念。

 それが、強力な概念の波動となって、この巨大な精神結界そのもののルールに亀裂を入れ、俺の意志が通る空間へと作り変えようとしていた。


「……息が、できる」

 ルビィが、深く息を吸い込み、顔色を取り戻した。

 彼女を縛り付けていた虚無の重圧が、俺の放つオーラによって中和されたのだ。

 結衣も、サファイアブルーの髪にツヤを取り戻し、しっかりと立ち上がった。


「よし。道は開けましたね」


 俺は、色彩を取り戻し始めた空間の奥、重厚な両開きのドアを睨み据えた。

 あの中が、この虚無の結界の最深部。


「行きましょう。ベルモットをぶっ飛ばして、このバカバカしい戦いを終わらせるんです」


 心の中で(このバカバカしい残業をな)と付け加えながら、俺が先頭に立ち、ドアを蹴り破った。


 ――最深部。

 そこは、巨大なドーム状の空間だった。

 中心には、先ほどの廃工場で幻影として現れた、四本腕の巨大な悪魔『ブラック・プレジデント』が、その悍ましい実体を完全に顕現させていた。

 その胸の奥底には、結界の維持装置である巨大な黒いコアが、心臓のように脈打っている。


 そして、その悪魔の頭上。

 ペストマスクを被った黒服の男、ベルモットが、俺たちを見下ろしていた。


『……まさか、私の絶対の虚無を力でこじ開け、ここまで辿り着くとはな』


 ベルモットの声は、もはや余裕の嘲笑を失い、明確な『警戒』と『殺意』に満ちていた。


『エトワール・ブラン。お前のその異常性は、もはや我々の計画にとって明確な脅威だ。……ここで、必ず消去する!』


 巨大悪魔『ブラック・プレジデント』が、四本の腕を振り上げ、咆哮を上げた。

 圧倒的な魔力の暴風が吹き荒れる。

 それと同時に、俺の握る『ドリーム・ステッキ』が、これまでにないほどミシミシと不吉な音を立てて軋み始めた。


『シロ、聞いて!』

 マキ博士からの通信が入る。

『今のままの出力じゃ、あの巨大悪魔の装甲を突破できないかもしれないわ! いざという時は……システムの「隠しモード」、使う覚悟をしておいて!』


「……隠しモード?」

 俺は眉をひそめたが、今は詳しく聞いている余裕はない。

 俺の背後には、正気を取り戻し、氷の長杖を構えるルビィと、希望の光を放つ結衣がいる。


「消去されるのは、お前らの方だ」


 俺は、重量二トンのドリーム・ステッキを構え、死んだ魚の目に極寒の闘志を燃やした。


「パトロールの時間は終わりです。ここからは、私の睡眠を邪魔する者への個人的な八つ当たりの時間です。……全力で捻じ伏せますよ」


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