第12話 魔法少女たちの女子会(おっさん同席)
「いててててててっ!! 関節! 関節外れるから!!」
深夜の大型ショッピングモール広場。
右腕を絶対零度の冷気を放つルビィ(上司)に、左腕を眩しい希望の光を放つ結衣(新人)に全力で引っ張られ、俺の小さな身体は文字通り真っ二つに引き裂かれる寸前だった。
「離しなさいよ小娘! シロちゃんは私と一緒に帰るの!」
「嫌です! ルビィさんこそ手を離してください、お姉様の腕が痛がってます!」
「お前らが両方離せば済む話だろうがァァァッ!!」
悲痛な叫び(超絶ロリボイス)が、静まり返った夜空に虚しく響き渡る。
このままでは、ノワールに殺されるよりも先に、味方の魔法少女同士の嫉妬の綱引きによって殉職してしまう。労災認定の理由欄に「同僚の魔法少女による取り合いで物理的にもげた」などと書かれた日には、俺は死んでも死にきれない。会社の総務部にどんな顔をして提出すればいいというのか。
「いい加減にしろ! 二人ともストップ!!」
俺は極限の絶望耐性から生み出される馬鹿力を発揮し、二人の手を強引に振り払った。
「シロちゃん……?」
「お姉様……」
ハッとしたように二人が俺を見る。
俺は両肩を揉みながら、深い、本当に深いため息をついた。
「いいですか。俺は……私は、プレッシャーと徒労感が限界を突破しているんです。今すぐ帰って、泥のように眠りたいんですよ」
俺が切実に訴えると、結衣がハッとしたように顔を輝かせた。
「プレッシャー……! そうです、心が疲れた時は甘いものです! シロお姉様、パフェを食べに行きましょう! 糖分を補給すれば、きっと元気が出ます!」
「パフェ……?」
「ちょっと待ちなさい泥棒猫!」
すかさずルビィが割り込んでくる。
「シロちゃんに甘いものを奢るのは私の役目よ! 私がシロちゃんを、最高級のスイーツが食べられる深夜営業のラウンジに連れて行くんだから!」
「ファミレスで十分です! 私、近くに二十四時間営業でパフェが美味しいところ知ってます!」
「そんな安っぽい店に私のシロちゃんを連れて行けるわけないでしょ!?」
「そもそも、お姉様はまだ学生じゃないですか!ラウンジなんて行くわけありません!」
再びバチバチと火花を散らし始める二人。
俺はもはや、ツッコミを入れる気力すら残っていなかった。ただ、結衣の言った『甘いもの』という単語に、極限まで摩耗した脳みそがピクリと反応してしまったのは事実だ。
(……糖分。そういえば、今日の昼もカロリーメイト一本しか食ってないな……)
本音を言えば今すぐベッドにダイブしたいが、腹が減っていてはまともな睡眠もとれない。
それに、この二人の争いを収めるには、とりあえず何か腹に入れて落ち着かせるしかないだろう。
「……分かりました。奢ってくれるなら、付き合いますよ」
俺が妥協案を示すと、二人はピタリと争いをやめ、「本当!?」「やったぁ!」と声を揃えた。
数十分後。
俺たちは、深夜のファミレスのボックス席に陣取っていた。
結局、最高級ラウンジは「魔法少女の衣装では目立ちすぎる(出入り禁止になる)」という理由で却下され、結衣の提案したファミレスに落ち着いたのだ。
ちなみに、マキ博士の言っていた『認識阻害』のシステムは非常に優秀で、俺たちがゴリゴリの魔法少女の衣装でファミレスに入店しても、店員や他の客には「深夜にコスプレかコンセプトカフェの帰りかな?」程度の、少し派手な女の子三人組にしか見えていないらしい。
本当に便利な機能だ。クロノス商事の役員会議でも、俺の存在感を消すためにこのシステムを導入してほしいくらいである。
「はい、お待たせいたしましたー。特製メガ盛りストロベリーパフェと、チョコレートケーキのセット、あとドリンクバーになります」
深夜のテンションが低い店員が、テーブルいっぱいにスイーツを並べて去っていく。
「わぁ……美味しそうです!」
結衣が目を輝かせる。
俺の目の前には、イチゴが山のように盛られた巨大なパフェと、濃厚そうなチョコレートケーキが並んでいた。
三十歳の疲れた胃袋には少々ヘビーな気もするが、今の俺は純白のロリボディである。代謝も燃費も全くの別物になっているはずだ。
「いただきます」
俺はフォークを手に取り、無表情のままチョコレートケーキを大きく切り出して口に運んだ。
「ん……」
濃厚なカカオの香りと、突き抜けるような甘さが、脳のシナプスをダイレクトに刺激する。美味い。五臓六腑に染み渡るようだ。
俺はヤケ食い気味に、次々とケーキを胃袋に放り込んでいった。
「ふふっ。シロちゃん、よっぽどお腹が空いていたのね」
俺の隣(なぜかルビィが強引に俺の隣の席を陣取った)で、ルビィが蕩けた顔をして俺の食事風景を観察している。
「あーん、してあげようか? ほらシロちゃん、お口開けて?」
ルビィが自分のパフェから白玉をスプーンですくい、俺の口元に突き出してきた。
「ズルいですルビィさん! 私だって、お姉様にあーんしたいですっ!」
対面の席から結衣が身を乗り出し、イチゴを乗せたスプーンを突き出してくる。
「右から白玉、左からイチゴ……。勘弁してください、俺は自分で食べられますから」
俺は両方からのスプーン攻撃を器用に躱し、黙々と自分のケーキを食べ進めた。
そんな攻防を繰り広げながら、結衣がストローでメロンソーダを啜り、無邪気な瞳でルビィを見つめた。
「そういえば、ルビィさんって普段はどんな生活をしてるんですか? シロお姉様は……その、過酷な環境でお疲れみたいですけど、ルビィさんはすごく大人で、カッコいいですよね!」
結衣のその質問に、俺はケーキを咀嚼する口をピタリと止めた。
(……おい結衣。なんて恐ろしい質問を投下するんだ)
俺の隣に座っているこの女の『普段の生活(本業)』。それは、俺を毎朝毎晩地獄の底に叩き落としている『氷山の悪魔』としての絶対君主の姿である。
正体がバレるわけにはいかないから黙っているが、もし知ったら結衣は確実に泣き出すだろう。
「私? そうね……」
ルビィは、少し得意げに胸を張り(そのせいで豊満な双丘が強調され、俺の顔に当たりそうになる)、ふわりと髪をかき上げた。
「普段は、ちょっと大きめの会社で管理職をしているわ。たくさんの部下を抱えて、億単位のプロジェクトをいくつも回しているの」
「わぁっ! すごい! キャリアウーマンなんですね!」
結衣が感嘆の声を上げる。
「ええ。仕事には人一倍厳しいつもりよ。妥協は一切許さない。中途半端なデータや、論理的じゃない企画書は、その場で突き返すわ。会社の利益と、プロジェクトの成功のためには、鬼になることも厭わないの」
ルビィが、ドヤ顔で自分の仕事ぶりを語り始めた。
その言葉を聞いて、俺の口の中のチョコレートケーキが、急に砂を噛むような味に変わった。
(……どの口が言ってやがる)
俺は、無表情を保ったまま、内心で猛烈なツッコミを入れ始めた。
妥協は一切許さない?
中途半端なデータは突き返す?
確かにその通りだ。だが、その『妥協』の基準が狂っているのだ。
昨日の「フォントサイズが1ptずれているから全部作り直せ」事件を忘れたとは言わせない。論理的じゃない? あんたの思いつきでコロコロ変わる方針に、現場がどれだけ論理を破綻させながら辻褄を合わせていると思っているんだ。
「でも、ルビィさんみたいに完璧な上司なら、部下の人たちもきっと尊敬してるんでしょうね!」
結衣の純粋すぎる言葉が、俺の心にグサグサと突き刺さる。
「ふふっ、どうかしら。みんな私のことを『氷山の悪魔』なんて陰で呼んでるみたいだけどね。でも、それは私が誰よりも結果にコミットしているからよ」
ルビィが、まるで慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべた。
「特に、私の直属に、ちょっと……そうね、不器用だけど、異常にタフな部下がいるの。いつも死んだような目をしていて、自分から進んで動こうとはしない。最低限のタスクだけをこなして、嵐が過ぎるのを待っているような男よ」
ピクッ。
俺のフォークを持つ手が、微かに震えた。
間違いなく、俺(神堂誠)のことである。
「でもね、私は彼を徹底的に鍛え上げているの。わざと高いハードルを与えて、限界まで働かせることで、彼の処理能力を無理やり底上げしているのよ。……上司としての期待の表れ、っていうのかしらね」
ブチッ。
俺の中で、何かが完全にキレる音がした。
(き、期待の、表れ……だと……!?)
俺は、パフェのグラスの底にある白玉をフォークで突き刺し、奥歯でギリギリと噛み砕いた。
期待という名目で、残業代も出ない(申請すると怒られる)追加業務を毎晩毎晩押し付けられ、徹夜で仕上げた資料をシュレッダーにかけられる身にもなってみろ。
だいたい、自分がエクセルのマクロをぶっ壊してデータが飛んだ時、半泣きで「神堂ぉ……これ、なんとかして……」と俺に泣きついてきたのはどこの誰だ! あれを俺が徹夜で復旧させた時、翌朝になって「まあ、これくらいは主任として当然ね」とドヤ顔で持っていったのを俺は一生忘れないぞ。
限界まで働かせる? 笑わせるな。単に自分が丸投げしたい仕事を『指導』という名目で押し付けているだけだろうが!
「素敵です! ルビィさんって、本当に部下思いなんですね!」
結衣が、キラキラした目でルビィを尊敬の眼差しで見つめている。
騙されるな結衣。この女の言う『部下思い』は、搾取工場(ブラック企業)の工場長が「我が社はアットホームな職場です」と笑うのと同じ、恐るべきサイコパスの発想だ。
「シロちゃんも、そう思うでしょ?」
ルビィが、俺の顔を覗き込んできた。
俺は、白玉を飲み込み、氷のように冷たい目で彼女を見つめ返した。
「……ええ。その部下の方は、きっと毎晩、ルビィさんのご自宅の方向に足を向けて寝られないほど、感謝と『悪意』で胸がいっぱいだと思いますよ」
「え? 悪意?」
「いえ、敬意です。舌を噛みました。素晴らしい上司だと思います、ええ、本当に」
俺は感情を完全にシャットアウトし、パフェの底のコーンフレークをザクザクと砕き始めた。これ以上この話を続けると、うっかり魔法少女の姿のまま、ファミレスの店内で上司に反旗を翻してしまいそうだったからだ。
「でもね……」
不意に、ルビィのトーンが少しだけ、静かで落ち着いたものに変わった。
彼女は、ストローの先端を指でいじりながら、伏し目がちに目を細めた。
「……最近あの男、少し様子がおかしいのよね」
「様子がおかしい、ですか?」
結衣が小首を傾げる。
「ええ。急に仕事中に何度もトイレに駆け込んで長時間の離席を繰り返すようになったりしてね。戻ってきても、心なしか以前よりずっと疲れた顔をしているわ。……もともと死んだ魚みたいな目をしているけれど、最近はクマもひどいし、肌の色も土気色になっている。絶対に、裏で私に何か隠し事をしているはずよ」
ピクッ。
俺の心臓が、パフェの冷たさとは違う理由で跳ね上がった。
(……バレてる……!)
極度の緊張から、ガツガツと食べていたケーキのフォークをピタリと止めてしまった。
「どうしたの、シロちゃん? 急に手が止まって」
ルビィが、不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「具合でも悪いの? やっぱり、こんな深夜まで連れ回したから……」
「い、いえ。なんでもありません」
俺は慌ててフォークを動かそうとしたが、引き攣ったロリボイスは誤魔化しきれなかったらしい。
ルビィは、動揺する俺の顔(死んだ魚の目)をじっと見つめ……ふと、何かを閃いたようにハッと目を大きく見開いた。
そして、意味深な、恐ろしいほどの真剣さを帯びた声で口を開く。
「もしかして――」
俺の全身から、ナイアガラの滝のような冷や汗が噴き出した。
(終わった。完全にバレた……!)
この鋭い氷山の悪魔は、俺の不審な挙動と、神堂誠の不審な行動を完璧に結びつけてしまったのだ。明日、俺は新東京湾に沈められる。
俺が人生の終わりを覚悟し、ぎゅっと目を瞑った、その瞬間。
「――もしかして、あいつ(神堂)、シロちゃんのことを狙っているの!?」
「…………はい?」
俺は、思わず素の低音で間抜けな声を漏らしそうになるのを、ギリギリのところで飲み込んだ。
「そ、そうよ! 絶対そうに決まってるわ!」
ルビィは、一人で勝手に納得し、バンッ!とテーブルを叩いた。
「あいつのあの死んだ魚の目……シロちゃんと同じ! 自分と同じ闇を抱えたシロちゃんに同類として惹かれて、裏でこっそりシロちゃんに手を出そうとしてるんだわ! だから最近トイレに籠ってシロちゃんの動画を見て……いや、もしかして、何か恐ろしいことを企んでるのかも!脅迫?誘拐?シロちゃんの靴を盗んで、スーハースーハー……!?なんて羨ま……っ、じゃなくて!なんておぞましい、邪悪な所業なの!」
ルビィの限界オタク脳内で、信じられないほどの斜め上の妄想解釈が爆誕していた。
(そんなこと、お前みたいな変態痴女しかやらないだろ!)
俺は、フォークを持ったまま、完全に脱力していた。
さっきまでの、あの寿命が縮むような緊張感を返してほしい。この女の頭の中は、仕事以外ではどういうアルゴリズムで動いているというのか。
「許せない……!」
ルビィの目に、絶対零度の氷結魔法よりも恐ろしい、ドス黒い嫉妬と殺意の炎が燃え上がった。
「私のシロちゃんを、あんなうだつの上がらない社畜なんかに絶対に奪わせないわ!」
「ええと……その、部下さん? という方は、そんなこと全く考えていないと思いますよ」
俺は、平穏な会社生活を守るために、必死にフォローを入れた。
「シロちゃんは優しいのね。でもダメよ、悪い大人に騙されちゃ! お姉ちゃんが、あいつの魔の手からシロちゃんを絶対にお守りするからね!」
ルビィはフンッと鼻息を荒くし、俺を敵の魔の手(※自分自身)から守り抜くという、全く見当違いな決意を勝手に固めてしまった。
(……明日からの会社生活、さらに面倒なことになるじゃないか……)
俺は、胃の奥底がキリキリと痛み出すのを感じながら、虚無の天井を見上げた。
この鬼上司に『シロちゃんを狙う不審者』として目をつけられた俺の明日は、果たしてどうなってしまうのだろうか。
――ピロリンッ。
俺のスカートのポケットに入っていた、会社用のスマホが間の抜けた通知音を鳴らした。
魔法少女の衣装に変化している間も、所持品は異空間ポケットのようなものに収納される仕組みになっているのだ。
「あ、すみません。学校の宿題の連絡みたいなので」
俺はこれ幸いと、ルビィから少し距離を取り、スマホを取り出した。
画面に表示されたNINEの通知メッセージ。
送信者は、『氷室玲奈部長』。
そこには、俺の現実への引き戻しを告げる、無慈悲な死刑宣告が記されていた。
『明日の朝イチの会議までに、A社コンペの企画書の最終案を提出しなさい。一文字でも誤字があったら、殺す』
「…………」
俺は、スマホの画面をスッと消し、無表情のままポケットにしまった。
目の前には、自分が送信したその鬼のようなメッセージの張本人が、「どうしたの、シロちゃん? 何か面白い連絡でもあった?」と不思議そうな顔でこちらを見ている。
この女、夜のファミレスで女子会を満喫しながら、裏で部下にこんなメッセージを送っているのか。悪魔という表現すら生温い。
「……いえ。ちょっと、明日世界が滅亡するかもしれないという知らせを受けただけです」
俺は、残っていたパフェのグラスを一気に呷り、立ち上がった。
「結衣さん、パフェごちそうさまでした。俺はもう、本当に帰らないと命に関わるので、これでお開きにさせてください」
「えっ、もう帰っちゃうんですか? もっとお話ししたかったですぅ……」
結衣が残念そうに唇を尖らせる。
「待ちなさいシロちゃん! まだ話は終わってないわよ! これから私のお家で……」
ルビィが立ち上がって俺を引き留めようとするが、俺はすでにマキ博士に緊急の『強制転送』のサインを送っていた。
「では、また戦場でお会いしましょう。おやすみなさい」
足元に極彩色の光が溢れる。
ルビィと結衣の制止の声を振り切り、俺は魔法少女たちの女子会から、過酷すぎる社畜の現実へと強制帰還を果たしたのだった。
「……殺される前に、誤字のチェックをしないと……」
転送の光の中で、俺の心はすでに、明日の朝のエクセルの画面へと飛んでいた。




