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第11話 希望の少女、清藍の雫(ピュア・サファイア)登場

「未知の反応よ! M.A.G.I.C.システムに登録されていない、独自の魔力波形! ……とにかく、飛んで!」


 マキ博士の切羽詰まった声と共に、俺の身体は極彩色の光のトンネルへと吸い込まれた。


 強制転送ワープを抜け、俺が降り立ったのは、新東京市の郊外にある大型ショッピングモールの屋外広場だった。

 日曜日の夜ということもあり、店舗のシャッターはすでに下りており、人影はない。だが、広場の中央には、異様な熱気と、そして眩いばかりの『光』が満ちていた。


「な、なんだあれは……」


 俺は、建物の陰に身を潜めながら、目の前の光景に息を呑んだ。


 広場の中央で暴れ回っていたのは、ビル三階ほどの高さを持つ、巨大なスライム型のノワールだった。ドロドロとした黒いヘドロのような身体から、無数の触手を鞭のように振り回している。

 だが、俺が驚いたのは怪物のほうではない。


 その巨大なノワールを相手に、たった一人で立ち向かっている『少女』の姿だった。


「はぁぁぁぁッ!! 『希望の光波サファイア・ウェーブ』!!」


 鈴を転がすような、しかし凛とした可憐な声が夜空に響く。

 清らかな青いセーラー服風の衣装。透き通るようなサファイアブルーの髪。

 彼女が手にした青いステッキから放たれたのは、絶望を力でねじ伏せる物理攻撃でも、氷のような冷徹な魔法でもない。


 見る者の心を暖かく包み込むような、純粋な『希望の光』だった。


 光の波がスライム型ノワールを包み込むと、怪物は苦痛の悲鳴を上げるのではなく、まるで憑き物が落ちたように、シューッと音を立ててその黒い巨体を溶かし、浄化されていった。


「ふぅ……。これで、この街の平和は守られましたね!」


 少女は、額の汗を拭い、まるでアイドルのような完璧な笑顔を浮かべて、杖をクルリと回して見せた。

 そこにいたのは、俺のようなシステムに作られた紛い物でも、ルビィのような冷酷な戦闘マシーンでもない。

 本当に、太陽の光と希望だけで育ったような、純度一〇〇パーセントの『正統派魔法少女』だった。


「……あんなの、軍の資料にはなかったぞ」


 俺が呆然としていると、少女がクルリと振り返った。

 純真無垢な大きな瞳が、建物の陰にいる俺の姿――純白のフリルドレスを着て、死んだ深海魚の目をしている幼女のアバター――を捉える。


「あ……! あなたは!」


 少女は、ぱぁっと顔を輝かせた。


「動画で見ました! 純白の星、シロお姉様ですね!!」


「……は?」

 俺の口から、間抜けな声が漏れた。


 お姉様。

 三十歳の、ヒゲの剃り残しを気にするような営業部主任の男に向かって、この希望に満ち溢れた本物の魔法少女は、今、なんと言った?


「私、ずっとお姉様に憧れてたんです! どうか、私とお友達になってください!!」


 少女はステッキを胸に抱き、目をキラキラと輝かせながら俺の方へとタタタッと駆け寄ってきた。


「あ、自己紹介がまだでしたね! 私、姫島結衣ひめじま・ゆいって言います! コードネームは『清藍のピュア・サファイア』です!」


 結衣と名乗った少女からは、微かな花のようないい匂いが漂ってきた。ルビィ(玲奈部長)のような大人の女の高級香水とは違う、日向ぼっこをした後のような暖かな匂い。


「先日、シロお姉様の記者会見の動画を見たんです! あんなに強いのに、とっても悲しそうな目で『泥のように眠ることです』なんておっしゃるから……私、お姉様の力になりたくて!」


「いや、俺は別に悲しいわけじゃ……単に慢性的な疲労と睡眠不足で……」


「でも!」

 結衣は、俺の言葉を遮って、さらに一歩距離を詰めてきた。


「そんな絶望的な状況でも、お姉様は一人で戦っているんですよね! 不労所得の夢に向かって、健気に頑張るお姉様の姿に、私、涙が止まらなくて……! 私がお姉様の『希望』になってみせますっ!」


 完全に話が通じていなかった。

 彼女の脳内フィルターを通すと、三十歳の社畜の生々しい愚痴が、『過酷な運命に抗う悲劇のヒロインの悲痛な叫び』に自動変換されてしまうらしい。若さとは、かくも恐ろしい。


「あー……その、お気持ちはありがたいんですが」

 俺は、無表情のまま結衣の背後を顎でしゃくった。


「今は仕事タスク中なので。背後、お留守になってますよ」


「えっ?」


 結衣が振り返った、その瞬間だった。


『ギ、ギボボボボボボ……ッ!!』


 先ほど、結衣が『希望の光』で完全に浄化したはずの巨大なスライム型ノワール。

 それが、地面に飛び散った黒いヘドロの残骸を急速に寄り集め、二つの別個の個体として再構築されていたのだ。大きさは半分になったが、その分、動きは機敏になっている。


 結衣は完全に油断していた。

 自分の放った『希望の魔法』が、確実に敵を全滅させたと信じ切っていたのだ。

 魔法の威力がどれだけ高かろうと、これだから実戦経験の浅い新人は困る。ビジネスにおいても、クレーム対応の途中で「納得していただけました」と勝手に完結させ、背後から二次クレームの刃で刺される若手社員は後を絶たない。

 最後まで気を抜かず、念には念を入れて確認オーバーキルするのが、プロの仕事というものだ。


「きゃあっ!?」


 二体に分裂したスライムの一体が、鋭い触手を槍のように変化させ、結衣の背中めがけて猛スピードで突き出してきた。

 結衣が悲鳴を上げ、杖を構えようとするが、間に合わない。


 ――その寸前。


 俺は、深い溜息をつきながら、アスファルトを蹴り飛ばしていた。


「仕方ないですね。残業追加分、処理します」


 弾丸のような速度で結衣の前に割り込んだ俺は、視界の端に表示された『必須プロンプト』を、死んだ魚の目でこなした。

 右手の二本の指を立て、顔の横で猫の手のように丸めてから、ピースサインを作る。そして、首をわずかに傾けながら、一切の感情を排した声で叫ぶ。


「煌めけ、私の純情。世界に届け、愛の奇跡。無表情ピース……きゅるんっ☆」


 ――シャランッ!!


 という情けないシステム効果音と共に、ピンク色の星屑が飛び散り、俺の右手に新しい武装が顕現した。

 ピンク色のリボンが幾重にも巻きつき、先端のハート部分に「LOVE」の文字がネオンサインのようにバカバカしく輝く、重量二トンの『ドリーム・ステッキ(改良版)』である。

 給料三倍のためとはいえ、男の尊厳を完全に削り取るエフェクトだ。


「なっ……!?」

 結衣が、突然現れた異常な質量の鈍器と、俺の無感情なポーズのギャップに目を丸くする。


「飛んでけ」


 俺は、迫り来るスライムの触手をステッキの柄で軽々と弾き飛ばすと、そのままの勢いで身体をコマのように回転させた。

 遠心力に、ステッキの圧倒的な質量と、俺の極限の絶望耐性から生み出される腕力が乗る。


 ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!


 凄まじい爆発音。

 ステッキの先端が、スライム型ノワールの一体の横っ腹にジャストミートした。

 ピンク色のネオンサインが激しく明滅し、強烈な衝撃波が広場を吹き荒れる。


『ギャ、グバァァァァァァッ!?』


 スライムは悲鳴を上げる間もなく、まるでメジャーリーガーにフルスイングされたピンポン玉のように、空の彼方へと弾き飛ばされた。

 そのまま、ショッピングモールの遥か上空で、物理的な圧力に耐えきれずにパンッ!と破裂し、黒い霧となって霧散した。

 見事な場外ホームランである。


「す、すごい……!」


 結衣が、空を見上げたまま感嘆の声を漏らした。

 だが、まだもう一体残っている。


『ギシャァァァァッ!!』

 残った一体が、仲間を粉砕された怒りに狂い、俺の頭上から巨体を降らせて押し潰そうとしてきた。


「結衣さん、下がって」


 俺は片手で結衣を庇うように背中へと押し退けると、落下してくるスライムの巨体に向けて、ステッキの石突き(底の部分)を上段に構え、思い切り突き上げた。


「――稟議、却下」


 ズチュゥゥゥゥンッ!!


 二トンの超合金の柱が、スライムのど真ん中を完全に貫通した。

 そのままステッキを横に薙ぎ払うと、スライムの身体は雑巾のように引き裂かれ、アスファルトの上にベチャベチャと散らばり、今度こそ完全に消滅した。


 夜風が吹き抜け、ショッピングモールの広場に静寂が戻る。


「ふぅ……」


 俺はステッキを肩に担ぎ、首の骨をポキポキと鳴らした。

 今日もこれでノルマ達成だ。特別有給休暇のためのポイントが、また一つ貯まった。そう思うと、この恥ずかしいネオンサイン付きのステッキも、少しだけ愛おしく見えてくるから不思議だ。


「お姉様……!!」


 背後から、感極まったような声がした。

 振り返ると、結衣が両手を口元に当てて、ポロポロと感涙を流しながら俺を見つめていた。


「あ、いや。だからお姉様じゃなくて……」


「すっごく、すっごくかっこよかったです!!」

 結衣はタタタッと駆け寄り、俺の手を両手でギュッと握り締めた。


「あの無表情なピースサインからの、圧倒的な一撃! それに、私を庇ってくれた時の、あの冷たいけど優しい眼差し……! 動画で見た通り、いえ、それ以上に素敵ですっ!」


 いや、あれはシステムに強制されたポーズだし、目は単に死んでいるだけだし、庇ったのは労災事故のレポートを書くのが面倒だったからなのだが。

 どうやら、俺の社畜的な無気力ムーブは、この純真な少女の目には「クールでミステリアスな歴戦の戦士」として映っているらしい。


「私、ますますお姉様のことが好きになっちゃいました! 弟子にしてください! いえ、妹にしてくださいっ!」


「妹って……」

 俺は、必死に結衣の純粋すぎるオーラから逃れようと、手を引き抜こうとした。

 しかし、彼女も魔法少女。見た目によらず力が強く、なかなか離してくれない。


「あ、そういえば! お姉様、お怪我はありませんか? あんな重そうな武器を振り回して、お疲れですよね! 私、回復魔法が得意なんです!」


 結衣はそう言うと、持っていた青い杖を小さく振った。

 フワリ、と。

 彼女の杖の先から、淡いサファイアブルーの光の粒子がこぼれ落ち、俺の身体を包み込んだ。


「『癒やしのヒール・ドロップ』!」


 それは、これまでルビィが使っていたような氷結魔法や、俺の物理攻撃とは全く異なる、本当に純粋な『魔法』だった。


 光の粒子が俺の肌に触れた瞬間。


「……ん?」


 俺は、思わず目を瞬かせた。

 ここ数日、ずっと右肩から背中にかけて張り付いていた、鉛のような重だるさ。四十肩が悪化したのだとばかり思っていたあの不快感が、嘘のようにスゥッと消えていくのが分かったのだ。


 それだけではない。

 徹夜明けの重い頭痛や、目の奥の痛みまでが、まるで朝風呂に入った後のようにスッキリと晴れ渡っていく。


『――それがノワールの「呪い」よ。奴らが溜め込んでいた負の感情の残滓』

 いつかのマキ博士の言葉が蘇る。


(そうか……。俺は絶望耐性が高すぎて自覚症状がなかっただけで、ノワールの呪いは確実に身体に蓄積していたんだ。それを、この子の『希望の魔法』が中和してくれたのか)


 俺は、自分の両手を握ったり開いたりして、その軽さに驚愕した。

 肩こり一つない身体。

 なんという素晴らしい福利厚生機能バフスキルだ。この子が俺の部署にいてくれれば、俺は残業の疲れを翌日に持ち越さず、完璧なコンディションでエクセルのマクロを組むことができるのではないか?


「どうですか、お姉様? 少しは楽になりましたか?」

 結衣が、小首を傾げて上目遣いで聞いてくる。


「ええ。素晴らしいですね。肩の張りが完全に消えました。あなた、もしかして整体師の資格でも持っているんですか?」


「せ、整体師……? ふふっ、お姉様って冗談も面白いんですね!」


 結衣はコロコロと笑い、さらに俺にすり寄ってきた。

「ねえ、お姉様! これから一緒にパトロールに行きませんか? 私、お姉様と一緒なら、どんな怖い敵だって……」


「――私のシロちゃんに、馴れ馴れしく触らないでくれるかしら?」


 広場の空気が。

 いや、新東京市の気温そのものが、一瞬で氷点下まで下がったかのような錯覚に陥った。


 ビキキキィィンッ!!


 俺たちのすぐ足元の地面が、凄まじい冷気によって真っ白に凍りついた。


「ひゃっ!?」

 結衣が驚いて俺から離れる。


 ゆっくりと、背後から。

 コツン、コツン、というブーツの足音と共に、その『悪魔』は現れた。


 真紅の軍服風ドレス。

 艶やかな長い黒髪。

 手にした氷の長杖からは、吹雪のような冷気がシュウシュウと音を立てて噴き出している。


「ルビィ……さん」

 俺は、引き攣った声で彼女の名前を呼んだ。


 ルビィ(氷室玲奈部長)は、遅れて現場に到着したらしい。

 だが、彼女の様子は明らかに異常だった。


 その美しい顔には、一切の表情がない。

 しかし、その切れ長の瞳の奥には、吹雪よりも冷たく、そして地獄の業火よりも熱い『嫉妬』の炎が、ゴゴゴゴゴと音を立てて渦巻いていたのだ。


 それはまさに、夫の浮気現場を決定的な証拠と共に押さえた修羅の妻、あるいは、自分のデスクに置いてあった高級プリンを勝手に食べられた時の玲奈部長の顔、そのものであった。


「……シロちゃん」

 ルビィが、地を這うような低い声で俺を呼んだ。


「は、はい」


「その泥棒猫……いえ、その見慣れない青い小娘は、一体誰?」


「泥棒猫って! 失礼ですね!」

 純真無垢な結衣も、さすがにその刺々しい言葉に反発した。彼女は杖を構え直し、ルビィをキッと睨みつける。


「私は姫島結衣! シロお姉様の、一番の妹分ですっ!」


「…………妹分、ですって?」


 ルビィの右眉が、ピクリと跳ねた。

 周囲の冷気が、さらに一段階強まる。ショッピングモールの入り口のガラスが、ピキピキと音を立てて凍りつき始めた。


「笑わせないで。昨日今日ポッと出たような小娘が、シロちゃんの何を知っているというの? シロちゃんの哀愁、シロちゃんの死んだ目の奥にある不器用な優しさ、シロちゃんから漂う極上の赤ちゃんみたいな匂い……。それを一番理解しているのは、この私よ」


 ルビィが、恐ろしいほどの早口で、とんでもなく気持ちの悪い主張を展開し始めた。


「だいたい、何よその馴れ馴れしい呼び方は。お姉様? シロちゃんは私のものよ。私が最初に見つけて、私が最初に抱きしめたんだから!」


「そんなのズルいです! シロお姉様は、みんなの希望の星です! 特定の誰かのものになんてなりませんっ!」


「いいえ、私のよ!」

「私のお姉様です!」


 ガシッ!


 突然、俺の右腕をルビィが、左腕を結衣が掴んだ。


「えっ? ちょ、二人とも……?」

 俺が戸惑う間もなく、凄まじい力での引っ張り合いが始まった。


「シロちゃん、こっちに来なさい! 今日は私の家で一緒に寝る約束でしょ!?(※そんな約束はしていない)」

 ルビィが、絶対零度のオーラを放ちながら右腕を引っ張る。


「ダメですシロお姉様! あんな怖い女の人について行っちゃダメです! 私と一緒に、正義のパトロールに行きましょう!」

 結衣が、希望の光を放ちながら左腕を引っ張る。


「いててててててっ!! 関節! 関節外れるから!!」


 右からは氷結魔法の冷気が、左からは希望の魔法の暖かさが、そして両腕には物理的な裂傷の痛みが押し寄せる。

 身長145センチの幼女(中身は三十歳のおっさん)を巡る、地獄のような百合(?)の修羅場。


 俺は、両腕を千切られそうになりながら、虚無の空を見上げた。


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