『孤高の武芸』
五度目の突撃が始まった。
六月の重く湿った風が荒野を吹き抜け、草の匂いと腐臭、硝煙のような血の気が混じり合う。数に勝るラシル全軍が、もはや陣形すら整えることなく、ただ泥色の怒涛となって押し寄せていた。圧倒的な質量をもって、ダラーンの生き残りを踏みつぶさんとする最後の波であった。
クラークの周囲には、すでに百人も残っていなかった。
傍らに立つ兵たちの槍はことごとく折れ、握りしめた剣は著しく刃こぼれし、纏う甲冑は全身敵味方の朱で塗り潰されている。ぬかるんだ泥に足をとられながらも、誰一人として背を見せる者はいない。
その中心で、クラーク・ダナミアは静かに大剣を構えた。
額から流れ落ちる血が左目を染め、口内に広がる鉄の味を吐き捨てる。甲冑の隙間から覗く肌は数多の傷で切り裂かれていたが、その眼光だけは澄み渡る秋の空のように深く、静かであった。
「来い! 我らダラーンの魂は、この黄山原に潰えず!」
腹の底から絞り出された威風堂々たる叫びが、地鳴りのような喧噪を突きのいて黄山原の天に響き渡った。
遠く丘の上からその姿を見つめるアルストラーナの親王イリアードは、息をのんだ。
アルストラーナの将軍として、イリアードはこれまで幾つもの国を滅ぼし、数々の名将を討ち取ってきた。オテゲン皇国の誇り高き騎馬軍団も、燕国の勇猛無比なる猛将たちも、皆それぞれの尊厳を胸に戦い、散っていった。
だが、クラーク・ダナミアという男が放つ壮絶な光は、それらのどれとも異なっていた。
国が滅びゆくことを悟り、王が無能であり、もはやどこにも勝利の希望など存在しないことを誰よりも深く知りながら——なぜ、これほどまでに気高く戦えるのか。
イリアードは胸の奥が熱く締め付けられるのを覚えた。
それは「勝利」のためではない。「尊厳」のためだ。一国の武人として、滅びゆく無情な祖国への最後の手向けとして、彼は自らの命を薪とし、命の限りの炎を燃やし尽くそうとしているのだ。
「おおおあああっ!」
クラークは地を蹴った。
ラシル兵の群れの中へ、ただ一人、刃を閃かせながら深く切り込んでいく。その剣術はまさに『至高の騎士』の名に恥じぬ凄絶きわまるものであった。
一閃。空を切る鋭い鉄の音とともに、立ちふさがる敵の槍が数本まとめて弾け飛ぶ。 二閃。返し刃が鎧を引き裂き、返り血が六月の湿った大気を赤く染めた。
彼を取り囲む敵兵の胴が舞い、血飛沫が雨のように降り注ぐ。一人、また一人と敵が倒れていくが、それ以上にラシルの波は途切れることがない。
ガクリ、と膝が折れかけた。
肉体の限界は確実に訪れつつあった。幾十の傷から血が溢れ出し、視界が白く霞む。しかし、クラークは折れた槍の柄を泥に突き立て、それを杖代わりにして力任せに立ち上がった。接近してきた敵兵の手首を掴むと、そのまま泥の中で絞め殺し、奪い取った刃で尚も襲い来る敵を薙ぎ払った。
「将軍……! ダラーンに、栄光あれ……!」
隣で戦っていた若い兵が、背後から槍で貫かれ、血を吐きながら倒れた。
一人、また一人と、クラークを護るように戦っていたダラーンの兵たちが息絶えていく。傷ついた体で這いずり、敵の足首を掴み、最後まで抵抗を続けながら——。
ついに、泥と血にまみれた黄山原の上に、最後のダラーン兵が倒れ伏した。
静寂が、ゆっくりと泥の野原を覆い始めていた。
登場人物一覧表
* クラーク・ダナミア:『国士』『至高の騎士』と称えられるダラーン王国の将軍。人格・武勇ともに国内外から厚く尊崇されている。出陣にあたり自らの妻子を自らの手で斬り捨て退路を断ち、黄山原にて五千の「死卒」を率いて死闘を繰り広げ、凄絶な最期を遂げた。
* イリアード:アルストラーナ帝国のセレスティア親王。十万を超える援軍を率い、ラシル軍とともにダラーン侵攻を進める若き将。黄山原の丘の上からクラークの命を賭した戦いと最期を見届け、深い敬意を示した。
* ギジル王:ダラーン王国の国王。かつては「ダラーンの奇跡」と称された英明な賢王であったが、親政や猜疑心の果てに狂気へと変貌。アルストラーナの迫る危機を顧みずラシル攻略の執念に固執した。
* ムジン・ユシン:ラシル王国の名将・総大将。五万の大軍を率いて黄山原でダラーン軍と対峙した。決闘の末に倒れたクラークの遺体に向かい、深く頭を下げて敬意を表した。
* ソージュ:かつてギジル王に直言を繰り返したダラーン王国の賢臣。王の狂気によって排せられ、冷たい獄中で息絶えた。
* スライロ:ギジル王に諫言した忠直な臣下。王によって辺境へと流罪にされた。
用語集一覧表
* ダラーン王国:かつて繁栄を誇った国家。ギジル王の狂気とラシル攻略への執着、アルストラーナ帝国とラシル軍による挟撃によって滅亡の危機に瀕する。
* ラシル王国:ダラーン王国と激しい戦闘を繰り広げていた国家。都まで追い詰められていたが、アルストラーナ帝国の援軍を得て反撃に転じた。
* アルストラーナ帝国:東海を隔てた大国。巨大な軍勢(征討軍十万超)を水陸から派遣し、ラシル王国を支援してダラーン王国の背後を突く。
* ビガンテ:ダラーン王国の王都および城塞。ギジル王の宮廷が置かれている。
* 黄山原:ビガンテ城の南西に広がる荒れ果てた平原。クラーク率いる五千のダラーン兵とムジン・ユシン率いる五万のラシル軍が激突した凄惨な死闘の地。
* オテゲン皇国 / 燕国:かつてイリアード親王によって討ち取られた名将や騎馬軍団を擁していた諸外国。
* 死卒:生への執着を捨て、己の命を投げ打って敵を道連れにしようとする兵士の群れ。妻子を手に掛け退路を断ったクラークの兵たちがこれに該当する。
* 『国士』 / 『至高の騎士』:クラーク・ダナミアを象徴する称誉・二つ名。その高潔な武人としての誇りと武勇を称えて呼ばれた。




