変わらない二人
夜7時。
夜営業のピークとなる時間。
カランカラン、と小気味よいドアベルの音が響いた。
「こんばんわ、店長」
「おう、いらっしゃい」
入ってきたのは、一週間に一回は顔を出す常連の伊藤さん。
その後ろに、少し緊張した面持ちの若い男が一人、続いていた。
会社の部下らしい。
「ここ、俺の行きつけ。何食っても美味いぞ」
「へえ、落ち着くお店ですね」
二人はカウンターの端に腰を下ろした。
厨房では、店長が手際よくフライパンを振り、そのすぐ横で、店員の音羽が流れるような動作で皿を並べていく。
その様子をじっと見ていた部下の男が、伊藤の耳元で小さく囁いた。
「……伊藤さん。ここ、ご夫婦でやられてるんですか?」
「ん? いや、違うよ」
「えっ、違わないでしょ。見てくださいよ、あの空気感」
厨房をみると、店長がハンバーグを焼いている。
焼き色を確かめてフライパンを傾けた、その瞬間には、音羽の手がもうソースの器を差し出していた。
店長は視線を向けることもなく、それを受け取る。
受け取った器からソースを流し、皿へ盛り付けるまで、一つの動きが途切れることはない。
まるで最初から、一人で料理を完成させていたかのような滑らかさだった。
「ソース、ちょっと煮詰まってない?」
「直前に味見しました。完璧です」
「じゃあ大丈夫だな」
二人の距離は、常に拳一つ分くらい。
狭い厨房では、店長がコンロの前から一歩退けば、その隙間を縫うように音羽が皿を並べる。
店長がフライパンを振る腕の軌道を知っているから、その内側には決して入らない。
逆に音羽がオーブンへ向かう瞬間には、店長は振り返ることなく身体を半身にして道を作る。
十年間、毎日同じ厨房で働いてきた二人には、相手が次の一秒で何をするのかが、ごく自然にわかっていた。
その動きは、まるで何百回も稽古を重ねた舞台の所作のように、無駄がなく、美しかった。
「お待たせしました、カニクリームコロッケです」
サクッ、と衣の鳴る音が聞こえてきそうなほど黄金色に揚がった料理を、音羽が文字通り滑らかな手際で運んできた。
部下の男は、どうしても気になって、音羽に探りを入れてみることにした。
「あの……お二人のコンビネーション、本当に素晴らしいですね。まるで、長年連れ添ったご夫婦みたいですね」
部下の男がしみじみと放ったその言葉に、
「「新婚ですよ」」
厨房でフライパンを持った店長と、目の前で微笑む音羽の声が重なった。
そんな様子を見た伊藤は、一瞬だけ目を丸くした。
だが、すぐに豪快に笑い出した。
「またまたぁ、そんな冗談言うようになったんだ」
「「ずっと、一緒です」」
二人の声が寸分のズレもなく綺麗にハモった。
その言葉に、店内の何人かが思わず笑った。
全く変わらない二人を見せられて、"新婚"と言われても、誰も信じるわけないのだ。
「だよねっ。昔からおんなじだね。結婚してなくても、まるで熟練夫婦みたいだ」
伊藤は、妙に納得したように、深く何度も頷いている。
ついでに、数人の常連も頷いている。
そんな様子をカウンターでみていた最古参の常連である田中は、心のなかでつぶやいた。
──ホントに新婚なんだよなぁ。だって証人のサインしたの俺だもん。
──『一緒ですって』って、二人は似ているって意味もあるし、今までも、そしてこれからも二人で生きていくっていう、惚気でもあるんだよね。
田中は、嬉しそうにビールを煽った。
その日の夜、閉店後。
お店の戸締まりを終え、二人で帰ってきた自分達の部屋。
ヨレヨレのTシャツ姿に戻ってソファでくつろぐ店長に、ネイビーの部屋着に着替えた音羽が、マグカップを二つ持ってトコトコと歩み寄ってきた。
「はい、お茶です、店長」
「家でも店長なの!?」
店長は思わずソファから飛び上がってツッコミを入れた。
「いや、ここ俺たちの部屋だし! お店終わったし! 二人とも部屋着だよ!」
「……っ」
突っ込まれた音羽は、マグカップを持ったまま一瞬だけ動きを止めた。
そして、みるみるうちに耳の裏から頬にかけて真っ赤に染め上げると、ツンと斜め下を向いて、蚊の鳴くような声でボソリと呟いた。
「……今さら、呼び方変えられません」
「え?」
「10年間、毎日、何万回も『店長』って呼んできたんです。それを急に『あなた』とか、名前で呼ぶなんて……実務的に不可能です。脳の処理が追いつきません」
実務的、という言葉で必死に言い訳するものの、赤くなった顔はどう見ても限界寸前の新妻のそれだった。
店長は、そのあまりの可愛さに胸を撃ち抜かれ、赤くなった首筋をペタペタと触りながらヘタレ顔でへにゃりと笑った。
「あはは……。まあ、確かにそうだね。俺も、急に呼び方変えられたら心臓が持たないや」
そして、少しだけ照れ笑いを引っ込め、真顔で続けた。
「……でも、いつかお互いの呼び方が変わる日が来るんだろうなぁ」
「!?……う、うるさいです。ずるい店長……」
「結局、店長なんだ」
「家では、アタシの……ずるい人です」
ふいっと顔を背けてソファの隣に座る音羽と、嬉しそうにお茶をすする店長。
店でも、家でも、彼らは世界一変わらない。
10年かけて作り上げた「完成形」の二人は、これからも新しく増えた名前をほんの少しだけ背負いながら、世界一いとおしい日常を重ね、どこまでも、どこまでも、一緒に生きていく。




