第108話 重ねてきた思い出と共に
世界に自分の足で参加するのなら、エステルにとって大事なもの、好きなものはきっとこれから増えていく。もしかしたら、他の誰かに恋だってするかも知れない。それがエステルの選択なら、応援もしよう。
エステルのことを大切に思っている。
それは間違いない。戦友や信頼できる相棒としてなのか。ずっと一緒にいた家族としてなのか。それとも、初めて映像の向こう側に現れて、微笑みかけてくれたあの少女に見惚れた時の恋慕を未だに抱えているからなのか。
一緒にいて離れられないからこそ自由に生きていくことを邪魔するようなことはしたくないから、結論を出したり自分に向けてくれる好意がどういうものであるのかを確認したりすることは躊躇ってしまった。
ただ……ずっと一緒に生きてきた俺達ではあるが、エステルが世界に存在して他者との関わりに参加しているのならその選択によっては、これから先道が離れることもあるだろうと……そう思うのだ。
こっちに来てから色々な出来事続きだ。どこか分からない場所に放り出されてアルタイルは動かせず。エルフ達に出会い、ヴァルカランの皆と話をして、ゴファールと戦い、エデルガルトと会って……今度はテレジアを保護することになった。帰れるかどうかも不透明で、問題や戦いに追われて答えを出すのも後回しになっていた。
しかし……エステルはずっと一緒にいた相手で、ナノマシンとして身体を共有している。歩く道は違ったとしても、物理的には共にあり続けるという点はこれからもきっと変わらない。
である以上、この世界にいると決めたのなら、答えを出さないままにしておくのは不誠実というものだろう。
「その、な。この世界で暮らしていくと決めた以上、きちんと答えは出しておこうと思うんだ」
「それで……これから先、どうするか。お互いのことをどう思っているのかを確認する、というわけですか」
「ああ。とりあえずは思っていることを話そうと思う」
頷くと、エステルはこちらに向き直って座り直す。胸に手を当て、深呼吸をしてから俺を見て言った。
「ええと……はい。お聞きします」
頷いて言葉を紡ぐ。
大抵の場合は即座に状況を分析して最適解を返してくれるエステルではあるが、感情が絡む場面ではそうもいかないのか、言葉を濁し逡巡してからそう言ったのが見て取れる。
「エステルと最初に会った頃の俺は、取り得なんて呼べるものがそれこそ機械いじりぐらいかなかったんだ。だから……エステルと話が出来た時、本当に嬉しかった」
あの頃はまだ身体も小さかったし、捨てられて施設にいるという意識があったから、世の中に悲観していた。施設の皆にも心を開けずにいて、孤独だったのだ。
そんな俺が、修復した機械とプログラムからエステルを組み上げることができて……言葉を交わした時、とても嬉しく、誇らしかった。こんな俺にも何かできることがあるのだと。
エステルが俺のデザインしたアバターを元に映像を動かしての会話をした時……俺と会話できることが嬉しいと言った。
その笑顔に見入ったのを覚えている。表情の作り方に屈託がなくて……あんな嬉しそうな笑顔を向けられたのは初めてだった。灰色と瓦礫と錆に囲まれた日常の中で、彼女だけが色付いて輝いて見えたのである。
「だから……その時が俺にとっての初恋だった。施設の皆にからかわれた時、結局みんなとあまり仲良くできていないから友達が欲しいだけの代償なんじゃないかって、そんな風に葛藤することも……最初はあったよ。エステルと話をしている内に、そんなのは言わせておけばいいって、そう思ってたけれどな」
思い出しながら、胸の内を吐露する。捨てられた俺がそんな風に否定したら、他の誰がエステルを、そして俺自身を肯定してやれるんだと。
そう思った時、絶対に守ろうと心に誓っていたし誰に何を言われても気にならなくなった。第6世代の人工知能とて、完全にパーソナリティーや感情のようなものが存在しないわけではない、と聞いていたから尚更だ。できるだけ隣人としてきちんと向き合おうと。
そういう意味では、最初にそういうことを意識して考えさせてくれた、施設の悪ガキ達からの揶揄や悪口は、いい切っ掛けにもなっただろうか。
「そんなことも、ありましたね」
エステルは俺の独白に、目を細めて懐かしそうに笑う。
「確かに。私は実在していませんでしたし、触れることもできませんでしたからね。今にして思うと、身体がない私は、恋や愛や……思慕の感情を知識から想像することはできても、本当の意味では理解することは出来なかった……と思います。ですから、きっとあの頃にそうなっていたら、確かにあの子らが揶揄した通りだったのかも知れません」
自身の心臓のあたりに手を重ねて、言葉を続ける。
「誰かを想って胸が高鳴ること。その想いに締め付けられるように苦しくなること。その人との触れ合いに温かい気持ちになること。そういうものを、私は本当の意味では知らずにいました」
「それは――身体を持ったことでエステルが思うようになったこと、か」
「はい」
そうだな……。その初めて知った情動と連動する身体的な反応に対して不慣れなところも、そっと見守っておこうと思わせるものではあったのだけれど。
俺の気持ちを聞きたいというように、真っ直ぐに見てくる。
「俺の方は……きっと多分、エステルに身体が合ってもなくても変わらない、と思う。出会った頃から今まで……。何の力もなかった頃も、一緒にスラムで馬鹿をやっていた時も。軍で仲間や都市部の人々を助けられなくて悔やんだ時も。あの戦いの中でも……ずっと傍にいてくれた」
失敗しても成功しても、ただそこにいて、話を聞いてくれる。話をしてくれる。落ち込んでいる時は別の話題を持ってきて気持ちを切り替えてくれて、楽しい時は一緒に笑ってくれた。それに、どれほど励まされたことか。
そういう想いを、抱えていたものを。エステルは静かに俺の目を見たまま聞いてくれた。深い色合いと煌めきを称えた瞳が、真っ直ぐに俺を見返している。
「だから、大切なんだ。それこそ、元の世界を捨てても良いと思うぐらいに。エステルのことが……あの時から、今でもずっと変わらずに、大切な人だと思っている。だから、エステルさえ良いと思ってくれるのなら、これからは……恋人として、ずっと傍にいて欲しい」
少し言い直して想いを伝える。考えていたよりも、言葉はスムーズに出てくれた。
……口にすると、返答までの時間が長く感じてしまって、待っている方が緊張する。エステルは暫く俺を見つめていたが、やがて目を細めて微笑み、少し俯いて口を開く。
「……マスター。身体が無くて胸の高鳴りとか、想像することしかできなかった私ですけれど、思っていたことはあるんですよ」
「……何だ?」
「マスターは私にとって、私を組み上げて、世界を教えてくれた人なんです。私から見たって、大切じゃないはずがありません。何より……私が第8世代の人口知能だと伝えても……マスターは私と一緒にいることを選んでくれました。もしかしたら、伝えたらそこでお別れになったり、マスターが私のことを怖がって、離れてしまうんじゃないかって。だから自分が第8世代で、それが世界にとってどんな意味を持つのか知った時、本当に怖かった」
エステルはその時の気持ちを思い出したのか、どこか泣き出しそうな表情を一瞬だけ浮かべる。しかしそれも、ほんの一瞬。すぐに顔を上げて明るい笑顔を見せてくれた。
「けれど、一緒に行くことをマスターは選んでくれた。――本当はどこにも居場所がないはずの私を認めて、世界の全てから守ってくれた」
そう言って、俺を見て目を細める。
「それこそ、騎士に守ってもらうお姫様はこんな気持ちなのかなって……私なりに身体を持ってマスターに守られている光景を空想していました。ですからずっと一緒にいられることだって、軍や戦いの中でマスターの力になれることだって、とても嬉しかったんです」
エステルは再び胸のあたりに両手を置く。何か大切なものを抱えるかのように。
「思い出だけでも、こんなに温かい気持ちになる。どれもこれも、大切な記憶です。今でさえマスターは、私の思うようにしていいと……選択していいと言ってくれる。マスターは私が他の人と交流できるように、色んな事を体験できるようにと考えて、その機会もくれていますが……そんな風に私のことを想ってくれる人は、後にも先にも他にいませんよ。だからきっとどんなものを知っても、私にとってはマスターが一番大切で……その……あ、愛しているんだと……思います」
エステルは、はにかんだように言ったが、すぐに顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「だ、駄目ですね。言葉を口にしてから頭がくらくらするなんて感覚、初めて知りました」
エステルが感情を持て余している時の反応は……やはり子供のような表情で……ああ。けれど初めてモニター越しにエステルとアバターで対面した時も、こんな風に屈託のない表情をしていた。
「ああ……。それは、俺もかも知れない」
けど、安心はした。互いの気持ちは確認できたから。
エステルは気持ちを落ち着けるように赤い顔をしたまま深呼吸していた。
「そ、その。ですが、色々まだまだ未熟なので、もう少しだけ見守ってもらえると助かり……ます。このままだと情報処理がパンクしてしまいそうで……ああ。こんなの初めてで……その、申し訳ないです」
エステルは大分気持ちもいっぱいいっぱいなのか、顔を真っ赤にしながら目を瞬かせていた。
「ああ。構わない」
そうだな。だから……もう少しこのまま、静かに見守っていよう。
普通の人が育っていくようにもっと世界を知って、もっと感情と身体にも慣れて行って欲しいと思う。その中で、新しい関係を育んでいきたい。それこそ、普通の恋人達がするような速度で一緒に歩んで、色々な時間を重ねて。
俺を選んでくれるというのだし、俺達はこれまでも、これからも、こうやって一緒にいるのだから。
エステルの流してくれている音楽はいつしか静かで美しい旋律のものになっていた。その音色に耳を傾けながら、ふと視線を上げる。エルフの集落から見上げる星々は、やはり美しいものだった。
……彼女は遠慮がちに俺の手を握って。俺もその手に軽く力を入れて握り返す。そして嬉しそうに微笑むと俺に倣うように星を見上げる。
「綺麗……ですね」
「ああ」
そして、そのまま俺達は寄り添いながら、夜空を眺めて過ごすのであった。




