三十一
成人式当日は見事晴天となった。風も穏やかで、明里はほっと胸を撫で下ろした。雨の中着物を着るなど恐ろし過ぎる。
予約していた美容院に着付け道具一式を持って向かう。京子も一緒に行きたいということだったので着付けに必要なものは京子の家に置かせてもらっていた。
京子の家に行くと、予想外の人物が京子の家に居て明里達を出迎えてくれた。
「おはようございます」
家から出て来たのは遥だった。
京子が出て来るものと思っていた母は、扉に手を掛けたまま呆然としていた。明里はぎょっと目を見開いた。
「初めまして。東院美術館学芸員の天澤遥と申します」
「あ、ああ、初めまして……」
空気に飲まれ挨拶を返すも、母は明里の方に視線を向けて来る。遥に問い直すことはできない様だ。
「いつもお世話になってる学校の近くの美術館の学芸員さん。今回貸して頂ける帯も天澤さんの東院美術館に寄贈されるんだけど……なんで天澤さんがここにいるんですか」
母が聞けないことも明里はずばりと真正面から聞く。今日は祝日でも美術館は絶賛開館中だろうに、こんな所で何をしているのかと明里は言いたいのだ。
「荷物持ちと明里ちゃんの晴れ着姿を写真に納めるという大役を仰せつかってきた」
という名目で舞鶴と佐保の姿が目的だということは明里にも分かった。
美術館に収蔵されてしまえば長く姿を保つ為に美術品として扱われ、本来の目的が果たせなくなるとはいっても、少しでも負担が少なくなる様になる。
余程の事が無い限り佐保はともかく帯としての舞鶴はそうそう拝めるものではなくなる。
「そうですか……」
明里は大きく溜め息をついた。言いたい事は山ほどあったが言った所でなんだかんだやりくるめられることは目に見えていたので明里は異を唱えることを止めた。今から無駄なエネルギーを消費したくない。
「まぁーこんな色男が付いて来てくれるなんて、あんたここで一気に人生の運使い果たしちゃったんじゃないの?」
「……こんなことで運を使い果たしたく無い」
母は早速遥に見惚れており、遥は慣れたもので営業スマイルを浮かべて対応している。いくら娘と知り合いとはいえ、見ず知らずの男が娘の門出の日に一緒に居ても文句すら出させないとは流石である。
遥は美容室までほとんどの荷物を引き受けてくれたので確かに助かりはしたが、明里は何だか釈然としない気になった。
しかし遥が来てくれたお陰で荷物の大半を引き受けてくれたのでかなり助かった。
美容室に到着するとそこはもう女達の独壇場だった。
遥は爽やかな笑顔で出入り口近くにある待合室で女性陣を見送る。遥の隣にはいつの間にか舞鶴が控えていた。
最初に髪をセットしてもらう。顔が地味なのであまり派手な髪型だけは止めてくれとだけ注文をした。今回の成人式で明里が出した唯一の希望だった。ごつい巻き髪などされたら顔が貧相すぎて観光地にある記念撮影用の顔出し看板の様になってしまう。
美容師は明里の希望を上手に汲んでくれて編み込みをアレンジした落ち着いた印象のものにしてくれた。
髪のセットが終わると着付けに入る。着付けで多少は動くので髪飾りを付けるのは最後の仕上げとなる。
母と京子はそれを見ているだけなのだが、二人で盛り上がって楽しそうにしている。
明里はと言うと、美容師がこまめにしんどくないか、きつくないかと聞いて来てくれるもののやはり洋服と勝手が違うので息苦しさと戦いながら着付けが終わるのを待っていた。
普段は清潔さと楽さを重視した服ばかり好んで着ていたのでいくら美容師が頑張ってくれた所で根本の窮屈さは多少我慢しなければならない。
おしゃれというものは古来より女の戦いでもある。様々な痛みと戦いながらも顔にはおくびにも出さない精神力を試される。美しい笑顔と体のこなしで着こなしてこそ、戦いを制する。
佐保はずっと明里の傍に付いていてくれたが、舞鶴は帯を巻く段階になって漸く顔を出した。
「ほぉ、京子達の見立てもなかなかだな。似合ってるぞ」
着付け途中の明里の姿を見た舞鶴は思わず、といった表情で呟いた。
舞鶴の呟きが聞こえたらしい京子は嬉しそうに笑みを深めた。
「こんなに美しい娘さんの門出の日を飾ることができるなんて」
と目を潤ませているのは佐保だ。
色々誇張表現があり、明里は訂正したかったが舞鶴や佐保が視えていない母や美容師が居る前で舞鶴達に話しかける事ができず、むずむずした気持ちを抱えて着付けが終わるのを待った。
そして今日の主役の一人でもある舞鶴が美容師の手で丁寧に桐箱より取り出される。京子はその様子を感慨深そうに見つめていた。
帯が巻かれ、しっかりと背で結ばれる。母と京子が美容師に頼んだ結び方は帯が一際存在感を放つ立て矢結びだ。
次いで帯揚げや帯締めを結び、着付けが終了する。
皆知らず知らずのうちに感嘆の溜め息を漏らした。
明里も息苦しさすら忘れて鏡を見て息を呑む。
人が身につけることで陰影ができて動きが生まれる。そのままで見た時とまた印象が変わって驚かされた。
自分の顔はいくら化粧した所で代わり映えはしていないが。
そして最後の仕上げで髪飾りをつける。今回は佐保が髪飾りの主役なので他に華美な髪飾りは控え、コットンパールのピンを散りばめる。
最後のピンを差し終え、いよいよ最後の仕上げに佐保が明里の髪を飾る。簪の足が髪に入って行く感覚に、どきどきと胸が高鳴る。
「はい、出来ましたよ」
少し俯いていた顔を上げ、背筋を伸ばす。
鏡に映し出された着物を纏った自分の姿は恥ずかしくてあまり直視出来なかったが、舞鶴の言っていた言葉には頷かされた。
春の青空の様な澄んだ青色の振袖に白を始め、黒や金色、銀色、そして空色や瑠璃紺など様々な色合いの青色の羽が滝の様に流れて行く。精緻な鶴を織り込まれた舞鶴が全体をまとめあげて、黒色の帯締めと朱色の帯揚げが印象を引き締める。そして髪飾りは佐保が上品に、だがしっかりとした存在感を持って輝きを放っている。
明里は生まれて初めて地に足をつけて立っている感じがした。
和服は洋服と違って窮屈だ。何本もの腰紐や伊達締め、帯揚げに帯締め、そして帯を結んで着付ける。洋服のタイトさとはまた別次元の苦しさがある。が、幾重にも紐を結ぶことで芯である人を強く支えようとしているのだろう。窮屈ではあるものの不快に感じることは無かった。
「やっぱり明里ちゃんに頼んで正解だったわ。とっても似合ってる」
満足そうに笑っていて、明里はほっと胸を撫で下ろした。
美容師は遥を呼びに行って来ると言って表へ出て行く。
「……あんたが生まれて、もう二十年も経つのね」
晴れ着を着た明里の姿を見た母がしみじみと呟く。
成人式は美しく飾ることが真意では無い。
人生の節目を迎えられた事を育てててくれた人達に感謝し、今日まで命があることを寿ぐ日だ。
二十年。
日本の平均寿命は医療の発達と共に伸びて、現代の日本に於いて二十年という歳月は決して長いものではないのかもしれない。それでも、この二十年の歳月の重みは今も昔も同じだ。数えきれない出来事があり、良い事も悪い事も等しく明里を育てて来た。そして、両親を始め明里の人生に関わった全ての人が、「小泉明里」という一人の人間を育ててくれた。
節目の日を特別な装いで飾る事を明里は今まで深く考えて来なかったが、節目の日を感じることで改めて感謝を感じる日なのだと気付かされた。
舞鶴や佐保、遥や京子に出会わなければ明里はこの日をさして気にする事無く終えていたかもしれない。彼等もまた、小泉明里を育てた。
明里は母親に向き合ってゆっくりと頭を下げる。
「育ててくれて、ありがとうございました」
舞鶴がしっかりと腹を支えてくれるから、背は真っ直ぐ保ったままだ。
明里の突然の礼に母は目を丸くさせ、やがて小さく吹き出した。
「またいつのまにか立派に育っちゃって」
「ここにいる人達のお陰です」
背筋が真っ直ぐ伸びているからか、いつもなら気恥ずかしくて言えなかった言葉もするりと出て来た。
「失礼します」
部屋の入り口を軽くノックして遥が入って来る。
着付けを終えた明里を見た遥は、おお、と声を漏らした。
「よく似合ってるな」
母や京子に言われてもくすぐったい気分だったが、異性の遥に言われると恥ずかしくて一気に顔に熱が上がる。
「……どうも」
赤くなっているであろう顔を見られたくなくて俯いてぶっきらぼうに言葉を返す明里。そんな明里の様子を見た遥は苦笑を漏らした。




