三十
京子や舞鶴、佐保や稲穂に話しを引き受ける返事をした明里だったが、問題はまだまだ山積みだ。
明里は今年で二十歳になった。いわゆる成人だ。
何気ない日に着るのでも良いかもしれないが、今までの主人達の人生の門出を彩って来た二人にはやはり格式のある日の方が良いと明里は考えた。
そうなると年明けの展示に出す事が出来なくなってしまうので、自分の考えを遥と京子に相談すると、二人は今回の展覧会は見送って、成人の日に合わせようという方向で話がまとまった。
しかし帯と髪飾り以外の物をレンタルするにしても多かれ少なかれ費用がかかる。今の明里の経済力では非常に厳しいものがあるし、舞鶴と佐保の格に合わせたものを用意するとなると更に費用が嵩む。
一つだけ、費用もかからず、舞鶴達の格に合った物を用意する方法があった。
明里の母親だ。
母方の実家は子供の芸事に力を注いでいたそうで、特に祖母は娘達、つまり明里の母や叔母に着物をよく仕立てていた。祖母は趣味の良い人でもあったので、母は良い着物を数多く持っている。
母を頼れば質の良い着物を借りることができるが、母を素直に頼ることが今の明里にはとても難しかった。
両親が別居して、父親にあの言葉を投げかけられてから明里は父だけではなく母も避ける様になった。母には何も傷つけられる様な事は言われていないが母の言葉を聞けば、詰ってしまいそうで怖かった。母だって辛かっただろうに、自分のことしか考えられず助けて欲しいと願うばかりの自分から目を背けていた。
やっとの思いで母の携帯に電話を掛けることが出来た。
呼び出し音が耳元で鳴り始めると緊張が一気に頂点まで登り詰める。やはり電話を切ってしまおうかと思った瞬間、ふつりと呼び出し音が鳴り止んで明里は息を呑んだ。
『もしもし』
電波を通じて聞こえる母の声はこんな声だっただろうかと首を傾げてしまう程記憶が薄れていた。
「もしもし……ひ、ひさしぶり……」
どうやって話しを切り出すかごちゃごちゃに混乱している頭の中で必死に組み立てようとした。
『あんたから電話がかかって来るなんて珍しいわね。何かあったの?』
しかし、娘の混乱を知ってか知らずか笑いながら母親から話を促してくれる。
話しやすい雰囲気に少しほっとして明里は口を開いた。
「あの、成人式のことなんだけど」
『そうよあんた、成人式どうするつもりなの』
明里が話を切り出すと矢継ぎ早に母が問い掛けてくる。
だからそれを相談したくて電話をしたのだという言葉を懸命に飲み下した。
親子の間合いというものは何故いつも上手く行かないんだろう。
「勝手を言って申し訳ないけど、地元には帰らない。でも、こっちで晴れ着を着たい。お世話になっている人がいて、その人の思い出の帯と簪を美術館に寄贈する前に私に着てくれないかって言ってくれている。その帯と簪で晴れ着を着て、その人に見てもらいたい……だから、あの……お母さんの振袖、貸して頂けないでしょうか……」
最後の方になるにつれて声が小さくなっていく。
受話器からどういう返事が返って来るのか全く想像出来ず、まるで受験の合格発表の様な気持ちになる明里。
しかし、そんな娘の気持ちを母はやはり分からない様で、春風の様に軽やかに返事をする。
『それなら私、その方にご挨拶しなくちゃいけないわね』
「へ」
春風の様な軽やかさで全く予想外のことを切り出された。
「え、いや、うん?」
母親の考えている速度に全く追いつけなくて間抜けな声ばかり上げる。
『だって貸して頂ける事のお礼も言わなきゃいけないでしょう』
そりゃそうか、と母親の言葉に納得した。
明里が難しく考え過ぎていたのか、拍子抜けするくらいすんなり収まった。
このあと京子に連絡を取って了承を取って母親に京子の電話番号を教えたのだが、その電話で京子と明里の母は意気投合してしまった様で来る成人の日の二日前の土曜日にたくさんの荷物を持って故郷からやってきた。
土曜日、最寄り駅に母親を迎えに行く明里。
かれこれ実際に会うのは一年振りくらいになる為、妙に緊張してしまう。
母親が乗っている筈の電車がホームに滑り込んできた。暫くするとちらほらと人が改札を通り抜けて行く。その中で大荷物を抱えた見覚えのある人影が視界に映った。
「お母さん」
声を掛けると母が明里の方に顔を向ける。
「元気そうね」
「うん、まぁ」
母が両手に抱えた荷物を引き受けながら生返事をする明里。
今すぐここから逃げ出したいくらい居たたまれない。
短い受け答えを繰り返しながら荷物を置く為に明里のアパートまでの道のりを歩く。
アパートに母の荷物を置き、成人式用の荷物だけ抱えてアパートを出た。
それでも母が持って来たほとんどの荷物は抱えたままだ。
京子の家に着くといつも通りにこやかな笑顔で京子が出迎えてくれた。
「初めまして、神代京子と申します」
「明里の母の小泉麻美です。いつも娘がお世話になっています」
「いえいえ、こちらこそご家族の大切な日に私の無理を聞いて頂いてありがとうございます。外は冷えますので、どうぞ中へ」
いつもの和室に通されると、縁側で舞鶴と佐保が仲睦まじく寄り添って座っている。明里達の姿を目にとめると二人は静かに立ち上がり、京子と母の後ろについていた明里の後ろに付く。
「明里さんはお母上によく似ていらっしゃいますね」
「そうですか?自分ではあまり分からなくて」
佐保に耳元で優しく小声で話し掛けられ、明里は苦笑を浮かべながら母に気付かれない様に小声でやり取りをする。
いつも通される部屋は立派な机は隅に寄せられ、それぞれ桐箱に納められた舞鶴と佐保が置かれていた。
舞鶴と佐保を実際に見た母はその意匠の素晴らしさに息を呑むばかりだった。
「こんな立派なものをうちのちんちくりんの娘なんかに貸して頂くなんて畏れ多い……」
「…………」
母が不安そうに明里の方をちらりと見遣る。
例え親でも人に言われると人間腹が立つ。何か?と視線だけで母親を見返す明里。
「衣服や装飾品は人に使ってもらってこそ価値があるものでしょう?それに、うちは子供に恵まれませんでしたから、明里ちゃんの様なお嬢さんに着て頂けるのならこの子達も本望でしょう。それに申し訳ないのは私の方です。ご家族の大切な門出の日に私がお邪魔してしまって」
京子が少し俯くと、母が手と首を左右に振って否定する。
「お邪魔だなんてそんな。うちの娘で良ければいつでも使ってやって下さい」
母の前では娘はいつでも大売り出し中である。
話も一段落した所で漸く衣装選びに入れた。
母が持って来たのは赤と黒を基調とした華やかな御所車や扇が描かれた振袖と、青と白を基調とした鳥の羽が滝の様に流れている大胆な意匠の振袖だった。
「まぁ、どちらも素敵ですねぇ」
たとう紙の中から姿を現した振袖を、京子は優しい手つきで広げる。
実家に居た頃、何度か目にした事のある二着の振袖。何十年も前に仕立てられたものだが、その色は全く色褪せていない。
「ふむ、お前の母御はなかなか良い趣味をしておるな」
舞鶴が明里の肩越しに覗き込み、感心した様に呟いた。佐保も布の下で柔らかく笑みを浮かべながら頷いた。
「どの子達もいい子達ばかりですね」
「え、もしかして付喪神なんですか?私視えないんですけど……」
もしかしたら、と思わないでも無かったが、母親の着物に付喪神が宿っている様子はなかった。
「まだ付喪神ではありませんが、可能性は充分あります。一目見て大切にされてきたということが分かりますもの」
「へぇ……」
佐保がふわりと新雪が溶ける様に微笑む。
「それに持ち主の思いももちろん大切だが、職人の思いというのも大切だ。どれだけ心を尽くして作られたか、まぁ単純に作品の質というわけだが、そういった意味でもお前の母御の持ち物達は良いものばかりだ」
舞鶴と佐保の言葉にそんなに良いものばかりだったのかと目を丸くするばかりだ。
明里が圧倒されている間にも母や京子は準備をてきぱきと進めて行く。
「青の方が帯のモチーフとも合っていて良いかとも思いますが、赤の方は小物の色遣いで印象を変えることができると思います」
そう言いながら母は荷解きをして長襦袢に半襟、帯締めに帯揚げ、半襟や足袋を出して行く。それぞれ少なくとも二種類、多くて五種類用意している。
明里にはどれとどれを組み合わせたら良いのか全く見当がつかない。母や京子は次々と意見を出し合って実際に色を合わせてああでもないこうでもないと楽しそうにしている。まるで洋服を買いに来た女子大生の様な盛り上がりを見せている。
その様子を静かに眺めていた明里だが、二人のテンションの高さにも驚かされたが洋服では考えられない色の組み合わせでも意外と合う和服の不思議な感覚にも大層驚かされた。
青に橙色の小物を合わせたり、赤に黄緑の小物を合わせたりと、補色の関係やそれに近い色を合わせる母と京子。
明里の感覚からすれば絶対に選ばない色合わせだ。
それどうなんだと思いつつも口を挟める雰囲気では無かったので黙って様子を見ていたのだが実際にものを合わせてみると、無難な色は印象がぼんやりとしてしまい、逆に相反する色の方が互いを引き立ててお互いの個性を殺さずに調和させている。
「洋服とは全然違うんですね……」
体に纏う衣服ということに変わりはないのに、ここまで勝手が違うというのが明里は面白く感じた。
和服は洋服よりも形の種類は少ないが、洋服よりも様々な小物を使用する。それぞれに意匠があり、色があり、意味がある。
それらが破綻することなく一つの世界を作り出している様は、ただただ息を呑むばかりだ。
着物初心者の明里は結局話し合いに参加することが出来ず、自分の好みを聞かれた時だけ答えるという形に収まった。
母と京子の試行錯誤はかれこれ二時間程続き、二人が満足出来る渾身の作品が出来上がった。
「当日が楽しみですねぇ」
「本当に」
ずっとああでもないこうでもないと話し合っていたにも関わらず、二人は至って元気である。今は京子の用意してくれたお茶と母が持って来た茶菓子で一服している。二人はまだまだ話しが尽きない様で、今は最近見つけた美味しい食べ物や店について語り合っている。どちらかというと待ちくたびれて明里の方が疲れてしまい、静かにお茶を飲んで一息ついている状態だ。
当日はもっと疲れるのかと思うと途方も無い気持ちになった。




