二十九
「で?結局その簪の付喪神様は帯の付喪神様に会っただけで山の社に戻ったって言うの?」
「はい」
明里の言葉に六条の君は溜め息をついた。
今明里と遥は六条の君のいる安恵寺にやってきており、住職と四人でこたつを囲んでいる。
「分かんないわねぇ。そのお稲荷様も別に許してくれたんでしょう?だったらそのまま元の家に戻っちゃえば良いじゃない」
みかんの白い筋を取りながら六条の君が言う。こたつの天板の中央にはみかんの皮が小山を成していた。
「亡くなった主にもずっと引け目を感じていた方でしたからね」
遥が渦巻き状に皮を向きながら苦笑を浮かべた。ここまでこたつとみかんが似合わない日本人もいるものなのかと明里はしみじみと思った。
実を言うと明里も六条の君の様に思わないでも無かったが、それは外野だから言えることであって当人からすればどれもそう簡単に割り切れるものではないだろう。
同じ人でも世界には様々な人が溢れている。
髪や瞳、肌の色が違う者。信仰する宗教が違う者。生まれた時代の異なる者。兄弟姉妹の居る者。友に恵まれた者。
人だけでは無く、生き物はそれぞれ持って生まれた個性と育つ環境によって形成される。
たとえ同じ生き物で、同じ父母から生まれた兄弟姉妹ですら性格や考えが異なる。己の性別や生まれた順番、生まれた時代。
同じ環境で育てられたとしても、個である限りは思考が差異無く重なることなどあり得ない。
「でも、器用な生き方よりも、不器用な生き方の方が何故か心引かれますねぇ。例え己に利益が無いことだと分かっていても、茨の道を突き進むことに美徳を見出してしまうのが人の、特に日本人の性なのかもしれません」
住職の言葉に皆ふんふんと頷く。
愚かだと他人に笑われても、自分の良心に従って道を選ぶこと。
理解されなくても、見ない振りをすることの方がよっぽど罪悪感を感じる。
「ほんと、アンタ達ってアホよね」
六条の君が呆れ顔で明里と遥と住職を交互に見遣る。
「そんなこと言って、そういう所が好きなんでしょう?」
「なっ……!?そっ、そんなんじゃないわよ!」
華麗な遥の切り返しに、六条の君は顔を真っ赤にさせて否定した。
四百年近い年月を重ねている六条の君をたちまちツンデレの女子高生にしてしまうのだから、遥の手腕とは恐ろしい。
「舞鶴様は結局東院美術館に寄贈されることを了承したのかい?」
騒いでいる二人を視界から外し、住職が明里に問う。
「あ、はい。条件付きではありましたが……」
「条件?」
小さく丸い目を住職がぱちぱちと瞬く。
「京子さんを見届けることと、もう一度、帯と簪として二人一緒に使ってもらいたい、って」
「ほぅ、それは素敵なことですね」
住職は丸い目をめいっぱい細めて笑った。
そう、とても素敵なことなのだ。
その大役を任されるのが自分でなければ、明里はもっと素直に喜べただろう。明里はプレッシャーのあまりこたつの天板の上に突っ伏した。
「え、どうしたの?」
明里の奇行に戸惑う住職に遥が苦笑しながら経緯を説明する。
「舞鶴様と佐保様、そして京子さんは是非明里ちゃんに使ってもらいたいと」
遥の説明を受けた六条の君は殊更呆れた表情を浮かべて明里を見下ろした。
「なに、この子はそれのどこが気に喰わないの」
「気に喰わないなんて!」
がばりと起き上がって六条の君の言葉を否定すると、六条の君は「じゃあ何?」と視線だけで先を促す。
勢いで伸びた背中はしゅるしゅると丸まって、元の大きさより更に小さくなって手元のみかんの皮に目を落とす。
舞鶴や佐保、京子の気持ちは嬉しかったし、その気持ちに沿いたいとも思った。しかし、すぐに答えるには自分に自信が無さ過ぎた。その所為で返事は未だに返せていない。
「……もっと適役な人が居ると思うんです……美喜さんとか、もっと綺麗な人は他にもたくさんいるし」
俯いてぼそぼそと呟くと、周囲がしん、と静まり返った。
ますます居たたまれなくなってそろりと顔を上げようとすると、がしりと上から頭を掴まれた。
「!?」
危うく天板と自分の顔がこんにちはしそうだった。咄嗟に対応できた自分の腹筋と背筋によりなんとか堪えたが。
何故頭を掴まれたのかと目を白黒させていると、いつのまにか明里の頭を掴んでいた手でわしゃわしゃと髪を掻き回された。
「アンタは本当にバカねぇ」
恐る恐る顔を上げると、予想はしていたが六条の君が苦笑を浮かべて明里の頭を掻き回していた。
「バカすぎていっそ愛くるしいわ」
六条の君の言葉の意味が分からず、首を傾げながら遥と住職を見ると、遥は口元を隠していたが、明らかに笑っている。住職はにこにこと変わらず満面の笑みを浮かべている。
「貴重な六条の君の『デレ』ですね」
「ええ、久しぶりに見ました」
「そ、そんなんじゃないわよ!!」
二人に突っ込まれて頬を朱色に染めながらつん、とそっぽを向く六条の君。絵に描いた様な切り返しをする六条の君に唖然とする明里。
こほん、と遥が咳払いをしてその場を仕切り直す。
「真心を尽くしてくれた明里ちゃんだからこそ、自分達の門出の日を任せたいと思うし、自分達の手で明里ちゃんの門出の日を彩りたいんだよ。他の誰でもない。明里ちゃんに」
遥の言葉にきゅう、と喉の奥が締まる心地がした。それと同時に目の奥が熱くなる。
自分の命は意味があるものだと信じていたのに、ある日突然「両親の離婚」という出来事がそれを否定した。
遥の言葉や舞鶴達の気持ちは、今まで信じていたものを突然失い、自分の命の価値が分からなくなっていた明里に生きることを許してくれている様に感じた。
誰かに許されないと生きられないというのは弱い証拠なのかもしれない。
だが、人に許されることを望むことは人を許すことにも通ずることだろう。許されていると感じられるから、心を柔くして、人は初めて誰かを許せるようになる。
「泣くとブスになるわよ!笑いなさい!!」
「ぶへっ」
六条の君に限界まで両頬を引っ張られ、あまりの痛さに変な声が漏れる。
遥と住職が堪えきれずに吹き出す所を視界の隅で捉え、先程まで感動に溢れていた心の中でこの野郎共と思わず罵ってしまった。




