二十四
京子は舞鶴の分の茶も用意しに再び台所へと向かった
「すまんな、京子に付き合って貰って」
「え」
「今時の若い娘は和服に興味がなかろう」
眉根を寄せて苦笑を浮かべる舞鶴の言葉に明里は頭を横に振って否定する。
「いえ、そんなことないです」
「そうか?」
「私芸大に通っているので、色んな作品に興味があります」
明里の言葉に舞鶴は少しほっとした表情を浮かべた。
「そなたは何を作ってるんだ?」
「今は工芸全般をまんべんなく勉強しています」
「ほぅ、それは頼もしい」
舞鶴は花が綻ぶ様に笑みを零した。女性にも負けず劣らずの美貌に明里も目を奪われる。
「俺としては是非染織を志して欲しいものだが、見鬼の才を持った身で染織を志すのは少し厳しいかもしれんな」
三回生に進級出来たら専攻を選ばねばならず、明里はまだ専攻を決めかねていた。
それは単にどれにも興味があって決めあぐねていただけなので、今年目覚めてしまった特殊体質の事など考えてもいなかった。
「そうなんですか?」
どの専攻になったとしても今のこの体質は等しく厄介だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「物の中でも衣服は人の生活に最も密接していると言っても過言ではない。その為付喪神が宿る可能性が高い」
確かにそれは由々しき問題である。視えない人達の中で視えない振りをするのは意外と疲れる。
確かに視える様になってから明里も精神力が若干鍛えられた気がした。
「その能力がこの先そなたにとって枷となるかどうかは俺には分からん。だが、様々な可能性は知っておいた方が良いだろう」
「はい」
明里がしっかりと返事をすると、舞鶴は嬉しそうに微笑む。
「さぁ、お待たせしました」
京子が戻って来て、和やかな茶会が始まる。
三人で他愛も無い話に花を咲かせ、漸く一段落ついた所で京子が舞鶴の本体を持って来る。
たとう紙の紐を丁寧に解き、紙を開いた。
「わぁ……」
たとう紙の隙間から帯が姿を現し、思わず感嘆の声が漏れる。
精緻な鶴の刺繍が施された重厚な帯。鶴の刺繍を引き立たせるのは銀糸と様々な色味の薄紅色の刺繍糸で表現された絢爛な桜の花々だ。
シンプルな意匠だが、素材そのものが洗練されているので、素材の美しさが際立っている。
「最後に着たのは私の結婚式だったわねぇ」
「そうだったか?」
舞鶴は恥ずかしいのか縁側に座って庭を眺めているが、やはりこちらが気になるのかちらちらと伺っている。
長い時間を経ても糸の色が褪せることなく、逆に深みを増している。
元の作品が優れていると共に、歴代の持ち主達に大切にされて来たのだと言う事が分かった。
「もし良かったら京子さんの結婚式の時のお写真とか見せて頂けないでしょうか?」
明里の言葉に京子は一瞬目を丸くさせたが、頬を染めて嬉しそうに頷いた。
しばらくすると京子はいかにも高級そうな古い革張りのアルバムを持って部屋に戻って来た。
「昔の写真だから白黒で申し訳ないのだけれど……」
表紙を捲ると、一枚の白黒写真の中に羽織袴の男性と晴れ着姿の女性がこちらを見つめていた。男性は精悍な顔つきをしており、緊張しているのか少し強張った表情だが、女性の方は柔和な笑顔を浮かべている。女性は若かりし頃の京子だとよく分かる。笑顔の雰囲気が全く一緒だ。
京子の夫は十年前に他界しているので明里は見た事が無いが、とてもお似合いの夫婦だと感じた。
「京子さんすごくお綺麗ですね」
「あらいやだ。誉めてもお菓子くらいしか出ないわよ?」
白黒写真だが、まるで色が思い浮かんで来るかの様な印象を受けた。
そして若かりし日の京子の晴れ着の帯には今目の前にある舞鶴が使われていた。
写真が白黒なので色の変化は分からないが、実際に帯として使用されている時と平面の時とは表情が変わって面白い。
衣服など身につける物は人が身につけることで印象が大きく変わる所が醍醐味の一つでもある。物だけの時で見れば味気なかったりする物も、人が身につければ上手に調和して主人を引き気たたせたりする。
帯の舞鶴もさることながら、他の装飾品の素晴らしさにも目を奪われる。着物も帯揚げもはこせこも、何十年前の写真を通して見ても、一級品だと分かる。その中でも一際明里の目を引いたのは、髪を飾る簪だった。
「これ、桜の簪ですか?」
明里の手元にある写真を覗き込んだ京子がまた顔を綻ばせた。
「これは主人のお母様が嫁入りした時に付けたもので、私の婚礼の時に貸して下さったの」
舞鶴は京子の嫁入り道具だったらしいが、桜の簪のみが嫁ぎ先の神代家から貸してもらったものらしい。
「とても綺麗な簪だったわ。この時の私に付喪神様を視れる力があれば、美しい付喪神様にお会い出来たかもしれないと思うと、ほんのちょっぴり悔しいわねぇ」
京子の言葉に明里は違和感を感じた。
「……もしかして、京子さんも突然付喪神が視えた人ですか?」
今まで明里の周りに居る見鬼の才を持つ人間は、遥や美喜を始め生まれつきの者ばかりで、明里の様に成長してから見鬼の才に目覚めた者は居なかった。
明里の問いに京子は目を丸く見開いて口元に手を当てる。
「もしかして明里ちゃんも?」
「はい。視え始めたのは今年の春です」
明里の言葉に、京子は目を見開き、明里の両手を取ってぶんぶんと上下に振る。
「本当!?私は去年の夏に視え始めたの!」
「マジですか!?」
女二人の会話の温度が一気に上がり、舞鶴は目を丸く見開いている。
生まれつきかそうでないかというのは違いがなさそうで大きく違う。物心付く前から視えていたのなら、他人にとっては非日常でも本人にとっては日常だ。人と視えている風景が違うという認識さえ間違わなければ適応しやすい。
だが、物心付いてしまった後に見鬼の才を発揮してしまうと戸惑いが大きい。昨日まで視えていた景色と今日視えている景色が違うなど、普通の生活ではほとんどありえない。
遥や美喜もかなり気を遣ってくれるが、やはり自分と同じとは思えなかった。
人と同じが良いとは限らないが、自分とは違うということがどうしても理解されていない様に感じてしまう。
だからこそ、初めて本当の意味での理解者に出会えた気がした。
「人外の者が視えない、聞こえない振りというのは意外と難しかったです……」
「分かるわぁ。時々ぎょっとする様なことを話していたりするもの。私なんか近所の奥さんが不倫しているのを聞いちゃって、そのあとどうにも気まずくてねぇ」
「うわぁー……」
明里は思わず声を上げた。
自分に関係のないことでまで気を揉むことが如何に不毛か分かっていても考えられずにはいられないのが面倒臭い人の性というものである。
人外の者が視える様になって明里が学んだことは「世の中知らない方が幸せなことが多い」ということである。
「最初は自分の気が狂ったのかと思いました……」
「私も初めて舞鶴さんを視た時はもうお迎えが来たのかと思ったわ」
確かに人を超越した美貌を持った舞鶴を視たなら、そう思っても仕方無いだろう。
今はあっけらかんと笑っているが、その時の京子の心中を思うとお疲れ様でしたとしか言うしか無い。明里は遥が一緒に居たので誤解せずに済んだのが幸いだ。
「舞鶴さんはいつの展覧会に出られるんですか?」
「お正月明けの展覧会だそうよ」
「……京子」
今まで二人の会話にあまり口を挟まなかった舞鶴が難しい顔をしてこちらを振り返っている。
「俺は展覧会に出るとは言っておらんぞ」
眉間にシワを寄せた難しい表情を浮かべた舞鶴。
てっきり舞鶴は展覧会の話しを引き受けているのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「あら、展覧会のお話は納得して頂けたかと思っていたのですが」
不機嫌な舞鶴と違って京子は穏やかに言葉を返す。
「行かんと言ったら行かん」
「まぁまぁそんなことおっしゃらずに。行ってみたら案外楽しいかもしれませんよ」
「そういう問題では無い」
「大切なことではありませんか」
どれだけ舞鶴が拒んでも京子にはひらりひらりと上手に躱してしまう。
同じ様なやり取りを数えきれない程繰り返すが、決着がつかない。
「俺は行かんと言ったら行かん!」
結局最後は舞鶴が声を上げながら言い逃げしてしまった。
「もう、分からず屋ねぇ」
苦笑を浮かべながら京子はお菓子を頬張った。
「てっきりお話はまとまっているものだと思っていました」
暫く口を挟む暇すら無く、二人の豪速球でなされる会話のやりとりを目で追いかけるだけだった明里。呆然と呟いた言葉は気の抜けた炭酸の様なただの感想だった。
明里の言葉に京子は憂いを帯びた笑みを浮かべた。
「……この桜の簪の付喪神が忘れられないって」
古い写真の上を京子の節くれ立った指がなぞる。
「この簪にも付喪神様が憑いていたらしいの。佐保さんって言うらしいんだけれど、その佐保さんに一目惚れしたらしいの」
写真を通して付喪神の姿は視ることが出来ないが、佐保という付喪神もこれだけ素晴らしい逸品の付喪神ならばさぞ美しい姿をしていたことだろう。舞鶴と並べば絶世の美男美女のカップルだったに違いない。
「佐保さんは私の結婚式の後に義妹の結婚式に使われたのだけれど、そこのお家が家業に失敗してしまって家中の混乱の所為で簪も紛失してしまったそうなの」
物語の様な展開に、明里はどんどん話しに引き込まれて行った。
「彼女にもう一度会うまで美術館に入る事はできないって。でも、それももちろん本音なのだろうけど、多分私の身を心配してここを離れられないんじゃないかと思うのよ。あの人はとても優しいから」
京子は眉をハの字にして泣きそうな表情で笑っていた。
「良い男に生まれちゃったら神様も人間も損ね。こんなおばあちゃんのことなんて放っておけばいいのに」
もちろん舞鶴の幸せを本人以外の他人が決める事はできない。たとえ持ち主の京子でさえも。
「だから余計に佐保さんに会わせてあげたいと思って舞鶴さんには内緒で探しているのだけど、何せ五十年も前の事だからどうにも行き詰まっちゃってねぇ」
舞鶴が京子を思う様に、京子も舞鶴を思っている。
恋人や家族では無いのに、そこには確かに互いを思い合う愛情があった。
京子の家を後にした明里は家に帰ってゆっくりしようと思っていたが、今一人になることが辛くて、明里は東院美術館に足を向けた。獅子丸で束の間の心の癒しを得ようとしていた。
券売窓口を覗くと、今日は遥が座っている。
「おっ、こんな時間に珍しいな」
「明里だー!遊ぼー!遊ぼー!」
暇だったのか遥の腕には獅子丸が抱かれており、明里の姿を見るなり獅子丸は遥の腕を飛び出して硝子越しにぴょんぴょんと飛び跳ねている。思わず明里は硝子越しに指を動かしてみると、獅子丸は明里の手を必死に追いかける。
「もうすぐ閉館時間だしこっち入るか?そこ寒いだろ」
硝子の前を飛び跳ねる獅子丸の首根っこを掴んで自分の腕の中に強引に収める遥。確かにもう日も落ちて肌寒いので、お言葉に甘えて券売窓口の専用部屋にお邪魔する。
部屋の中は丁度良く暖房が効いていてほっと息をつけた。
「舞鶴様まだ渋ってたかー」
来館者が来たときの為に椅子に座っている遥の足下に足を抱え、小さくなって座り込んで今日の出来事を遥に話す。獅子丸は明里の膝に乗って明里の手で一人遊びをしている。
「思い人にもう一度会いたいからと仰っていましたが、多分京子さんと離れるのも嫌なんだと思います」
そうでなければ寄贈の話だけでなく展覧会の話を断る理由が見つからない。
なし崩しに寄贈の話しに持って行かれる可能性もある為、展覧会の話も断っているのだろう。
「まぁ明里ちゃんが言う通り京子さんが心配なんだろう。これから先何が起こるか分からんからな」
遥の言葉に引っかかりを感じた明里が怪訝な表情を浮かべる。
そんな明里の表情を見た遥は、あー、と明後日の方角に視線を向ける。
だがやがて耐えきれなくなって重い口を開いた。
「京子さんは末期ガンを患っているらしい。余命幾許も無いそうだ。だから人外の者が視える様になったんだろう。前回大きく体調を崩した時を境に視える様になったらしい」
一瞬何を言われたのか分からずに呆然とする。
京子が病気を患っていることを本人からはっきりと言われた事は無かったが、明里も薄々は気付いていた。
しかし、余命を数える程しか無いほど大きな病だとは思ってもいなかった。
「今回の舞鶴様の寄贈の話も元は京子さんから打診された」
どうやら京子は自分の亡き後の舞鶴の引き取り手に気を揉んでいたらしく、明里のバイト先の店長に世間話ついでに相談していたのが今回の事の始まりだったそうだ。そして店長経由で遥に話しが行き、とりあえず年始の展覧会にでも出してみないかという流れになったらしい。
「京子さんは自分の存命中に舞鶴様の無事を見届けたいんだろう」
京子は親戚の者はあまり和装に興味が無いと言っていた。そんな者の手に渡れば、箪笥の肥やしになるか金に換えられるだけだろう。
何の縁も無い人の手に渡っても、運良く良い主人に巡り会って大切にしてもらえたらそれで良いだろうが、それは危険過ぎる賭けだ。
「どうすることが、正解なんでしょうか……」
京子の思いを汲むか舞鶴の思いを汲むか。異なる思いを両方取る事はできない。どちらが間違っている訳では無いから余計に難しい。どんな答えを出したとしても何かしらの後悔は残ってしまうだろう。
獅子丸を腕に抱え、ふわふわの毛並みに顔を埋める明里の頭を遥が優しく撫でる。
「それは誰にも分からん。例え神でもな」
頭を撫でる手が心地良い。だが恥ずかしくて顔が上げられなくなってしまった。耳が異常に熱い。
「形在るものに永遠など無い。だが、出来るだけ長く形を止め、より多くの人に見てもらうことが俺達の仕事だ。俺達に出来るのは自分の仕事を全うすることだけだ」
どうしてそう割り切れるのだろう。
駄々をこねるだけで結局どちらも選ぶ事の出来ない自分がひどく情けなく感じた。
そんな明里の様子を見た遥は苦笑を浮かべ、先程より荒々しく明里の髪をかき混ぜる。
「うわっ!?」
明里は首を亀の様に引っ込めるが遥はぐぐりぐりと尚も頭を撫で回す。
「まぁ器用に生きることだけが正しい訳じゃない。明里ちゃんもどうやって生きるか決めていかないとな」
正しいことなどこの世の中に何一つとして無い。全ては何を選ぶかだ。そして、選べるものは決して多く無く、選ぶと同時に捨てることも決断させられるのが世の常だ。
だから生きる事はこんなにも苦しい。




