二十五
どれだけ心を傾けて愛したものでも、いつか別れることになるのは生きている限り避けられない運命だ。
それならば出来る限り悔いの残らない様にと願う。
自分にできることをしようと、明里は精一杯もがく事にした。
他人の明里がしゃしゃり出ることでは無いだろう。
でも、京子に何かをしたかった。
大学に進学して初めての一人暮らし。右も左も分からず、親が段々不仲になって、初めてのアルバイトも失敗ばかりで、どこに居ても息苦しい日々だった。
そんな日々の中で京子が声を掛けてくれた。
他愛の無い話に花を咲かせ、その時だけは辛い日常を忘れて楽しい時間を過ごすことが出来た。
明里が最後の最後で人に期待することを諦められなかったのは、京子のお陰だろう。
京子と婚家の縁を結び、門出を舞鶴と一緒に彩った、舞鶴の思い人の佐保。
遠い昔の日に行方知れずとなった思い出の簪を探そうと、明里は胸に決めた。
いつか別れる二人の為に、少しでも温かい思い出を残して上げられる様に。
といっても手掛りは皆無だ。
「桜の簪」と一言で言っても物凄い数がこの世には存在するだろう。
数少ない手掛りは神代家縁の物ということと、見せてもらった写真くらいだ。
早速明里は聞き込み調査を開始した。
明里が聞き込みを主に行ったのは付喪神達だ。付喪神なら人間と違って寿命は無いと言って等しい。
人見知りの明里で初対面を相手にするのは荷が勝ち過ぎる為、手始めに東院美術館の付喪神様達に話しを聞いてみる事にした。
展示室で話し込むと人目があるので、遥に頼んで事務室の一角で藤代と話しをさせてもらった。
「神代とはまた懐かしい名前よ」
「ご、ご存知なんですか?」
予想外にも藤代は神代の名を知っていたらしい。
「私がいた寺によく神代の娘が来ておったのでな」
しかも限りなく答えに近そうな雰囲気に明里の気分は一気に高まる。
まだ答えに辿り着いた訳ではないので、糠喜びを避ける為にも何とか心を落ち着けようとするのだが、一度浮き足立った気持ちはなかなか治まらない。
「その時に桜の簪の付喪神はいらっしゃいませんでしたか?」
明里の問いに藤代は目をぱちくりと瞬かせる。
「ああ。確か簪の付喪神がいたなぁ。大層美しかったから覚えておる」
そして自分の探していた答えだと確信を得た瞬間、ついに喜びが爆発した。天は我に味方したと叫びたいくらいだった。
「今、その簪の行方を探しているんです。何かご存知ではないですか?何でもいいんです」
藤代はまたぱちくりと目を瞬かせた。
「あの簪は今も神代に居るのではないのか?」
藤代の言葉に舞い上がった気持ちが一転、高い所から一気にアスファルトの地面に叩き付けられた気分だった。
乗り出した身をすごすごと元に戻す。
「いえ……今はどこにあるのか分からなくて……行方を探しているんですが」
一度喜んだ分、違うと分かった時の落胆が激しい。
「そうか……。実に見事な品だった故、出来ることならもう一度まみえたいものだ。直接力にはなれぬかもしれぬが、もしもこの老いぼれの力が必要な時は遠慮せずに申すが良い」
「ありがとうございます」
この東院美術館の目玉とも言える藤代に見事と言わせる程の簪。ただ京子と舞鶴の為では無く、明里自身、自分の目で実際に簪を見てみたくなった。
この国は幾度も戦の火に灼かれ、天災で幾度も国が壊れた。その度に数えきれぬ人や美術品がこの世を去って行った。悲しいことだがそれが世の常であり、それが故に自分達が今ここに在る事が尊い奇跡の様だ。
日常が既に奇跡に溢れている中でも尚奇跡を望んでしまう人間は業の深い生き物だと明里は身をもって知った。
三日程東院美術館の付喪神達に聞き込み調査を行ったが、めぼしい成果はほとんど無かった。今回の件に一番近い情報はやはり藤代に聞いた内容だったが、それも明里が元々知っていた事とあまり変わらない為収穫はゼロに近い。
明里は聞き込みの範囲を広げることにした。
「あの……今ちょっとお話よろしいですか……?」
人通りの少ない廊下の物陰で菓子パンを頬張っている妖怪に恐る恐る声を掛ける明里。妖怪はほとんど猫に近い姿をしたものだ。二本足で歩いて人間の様に服を着た少しファンタジーな容姿をしていた。
いかにも妖怪といった風体の方が何か知っていそうな感じがするが、明里にはハードルが高過ぎるので最初は話し掛けやすさを重視した選択だ。
猫は菓子パンについていた粉砂糖を口元につけながら大きな金色の目を瞬かせている。
「おめぇさん、俺っちが視えるのかい?」
「は、はい」
明里が頷くと、猫は菓子パンを抱えたまま明里の傍にぴょんと飛んで来た。
「ここで俺っちが視える奴に会うのは久しぶりだ。で?どうしたんだ?」
ぱたぱたと二本の尾を忙しく振る猫。明里はしゃがみ込んで出来るだけ猫と視線を近付ける。
「それで、神代家に伝わるこんな簪を探しているんです。美しい付喪神が憑いていると思うのですが、何か知っている事はありませんか。何でも良いんです」
の家で見せてもらった写真の記憶を元に描き起こした絵を見せる。
何か知らないかと問うと、猫の妖怪は二本の尾を左右にゆっくりと振る。
「ふぅん。まぁ教えてやっても良いが、タダって訳にはなぁ……?」
にやりといやらしく笑う猫に明里は慌てて今日の朝に買って食べ損なったあんぱんを取り出す。
「これで教えてもらえませんか」
「おう!なんでも聞け!」
先程までの不遜な態度が一変した。食べ物の力は実に偉大である。
猫の妖怪はビニールを器用に前足で開けて早速あんぱんにかぶりついた。
「昔、似た様な簪を一条の呉服屋の娘が付けていた気がする。おめぇが言う通り、やたら別嬪な付喪神が居た」
一条と名の付く呉服屋なら知っている。
町の大通りに店舗を構えている老舗の呉服店だ。そこだけ時が止まった様な和風の大きな店舗で、やたらと目に留まるので明里も覚えていた。
「それはいつ頃のことか分かりますか?」
猫はもぐもぐと口を動かしながら天を仰ぎ見る。
「うーん……大きな戦の前だったと思うが……そうだ。俺っちよりもっと詳しそうな奴が居るんだが、そいつの所に連れて行ってやろうか?」
「ほ、本当ですか!?」
四日目にしてやっと有益な情報に達することが出来、明里は前のめりになってしまう。
明里のあまりの勢いの良さに猫の妖怪は金色の目を丸く見開いて仰け反った。
「あ、ああ」
「ありがとうございます!」
あんぱんを平らげた猫の妖怪はすっくと立ち上がって明里の手を引く。
「さぁ行くぞ!善は急げだ!」
明里はまろびながらもなんとか猫の妖怪に付いて行った。
事務室の横に併設された給湯室でコーヒーをいれていると、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが震える。
液晶画面を確認すると旧知の喫茶店のからだった。
一体何事だと首を傾げながらも電話に出る。
「もしもし」
『突然すまん』
「いえ、何かありましたか?」
珍しく慌てたマスターの様子に無意識に眉根を寄せる遥。肌の表面がざわついて、嫌な予感しかしない。
『明里ちゃんが今どこにいるか知らないか』
マスターの言葉に心臓が妙な方向に跳ねた。
「どういうことですか」
どくどくと嫌な跳ね方をする心臓を必死に押さえ込みながら平静を装って電話の向こうのマスターに問い掛ける。
『今日バイトに入ってもらう筈だったんだが、出勤時間になっても来ないんだ。今までこんなこと無かったから心配になってな……』
遥は全身から血の気が引いた。
温度の無くなった指先からスマートフォンが滑り落ちない様必死に握りしめて話しを続ける。
「俺からも連絡取ってみます。何か分かったら連絡します」
『すまんが頼む』
一旦電話を切り、足早に給湯室を出て上着を掴んで玄関へ向かう遥。
正面玄関を出ると、空は藍色と橙色が禍々しく混ざり合っており、世に言う逢魔ヶ時を迎えようとしていた。




