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東院宝物手箱  作者: 馨
我が愛しき茶の道
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二十一

 アラームが鳴る前に自然と目が覚めた。

 まだまだ眠気が取れなかったのできつく目を瞑ったまま寝返りを打って二度寝をしようとしたのだが、上着が滑り落ちてしまった。

 手探りで上着を手繰り寄せようとして異変に気付く。上着は自分の体の上にあった。ならば、体から滑り落ちたものは一体なんなのだろう。

 眉間に皺を寄せ、寝惚け眼でもう一度寝返りを打つと、長い人の足があった。

 「おはよう」

 久しぶりに聞く低い声に一気に意識が覚醒した。

 バネ仕掛けの玩具の様に飛び起きる。寝ている明里の隣では遥が文庫本を読んでいた。

 文庫本を閉じ、今までに無いくらいにっこりと笑いかけられて、明里は背筋が凍り付いた。

 「お、はよう、ございます……」

 寝返りを打った時に落ちたのは遥の上着で、明里の上着の上から掛けていてくれた様だ。

 色々な意味で全身から冷や汗が吹き出た。

 避けていた遥が正面切ってやって来たことと、寝ている間にこの光景を誰かに見られていないかということ。

 幸い今は教室に誰もいなかった

 「な、何かご用でしょうか」

 沈黙に耐えられなくなって自分から声を掛けてしまう明里。

 明里の問い掛けに遥は先程までの眩しい表情を一転、眉間に皺を刻んだ険しい表情で深く溜め息をついた。

 「最近俺を避けてるだろ」

 単刀直入な言葉に明里は乾いた笑みを浮かべるしか無かった。遥はその場で正座をして明里を見据えた。

 「色々考えたがすまん、何で明里ちゃんが俺を避けるのか分からん。俺が何かしたのなら申し訳ないが教えてもらえないか」

 遥の言葉に明里は再び固まった。

 違う。遥の所為じゃない。明里が勝手に引け目を感じていただけだった。遥が謝ることじゃないのに。

 「ちちちち違います!天澤さんは何も悪くないです!」

 慌てて明里も正座をして遥の言葉を全力で否定する。

 「ならどうして避ける」

 「うっ……」

 遥相手に言い逃れすることは最早不可能。

 数秒考えても良い案は全く持って浮かんで来なかったので、明里は洗いざらい白状することにした。

 「……天澤さんを見ていると、自分がひどく惨めに思えてしまって、苦しかった。自分勝手でひどい理由でしょう?」

 無表情を繕おうとしても無理だった。どうやってもくしゃりと顔が歪んでしまう。

 彼等がいるだけでその場が華やぎ、笑顔が溢れる。

 「人に必要とされているのが羨ましくて、羨ましく思ってしまう自分が汚くて、嫌だった」

 人を羨んで自分の身に起こる出来事を悲嘆している様な自己中心的な人間が近くに居て良い様な人達ではない。童話に登場する人物の様に、見目も心も美しい彼等の前では、自分の醜い性根が引きずり出されそうでただただ恐ろしくなった。

 今でも遥が自分の身をこうして心配してわざわざ会いに来てくれた事が不謹慎にも嬉しく思う自分がいる。そのことがひたすら恥ずかしいのに止められない。

 「そんなことないだろ。明里ちゃんも必要とされてる」

 この言葉が遥の本心だと言う事は痛い程理解している。

 だが、今の明里にはどうしても耳障りな綺麗ごとにしか聞こえない。そのことがまた、苦しくて悲しい。

 何も知らないくせに。自分とは違って何もかも手にしているから、そんな綺麗ごとが言えるのだと、自分の価値観をこうも簡単に口に出来るのだと、明里は思った。

 怒りのあまり胸の底の方がぐらぐらと燃えている様な感覚がする。

 震える口元を押さえながら言葉を絞り出した。

 「……実の親にも疎まれているのに?」

 覚悟が、矜持が、綻んで行くのが分かった。

 ぼろぼろと崩れて行く。必死で繕って来たと言うのに、惨めな自分がいとも容易く現れる。

 「父親に、家族が壊れたのは、私の所為だと言われました。両親の幸せを思うのなら、ここに来るべきじゃなかった。でも、自分の夢を諦めることは出来ませんでした」

 もしも明里が京都へ来ず、地元に留まったのなら家族が壊れることは無かったのかと何度も何度も考えた。だが、地元に芸大は無いし、日本史上で長く流行の中心であった京都で美術について学ぶ事が明里の夢だった。

 「私が地元に残ったら、家族は壊れなかったかもしれない。でも、何度考えても、私はこの道を選んだと思います」

 家族よりも自分の夢を取る。父に言われた事は真実だったから殊更胸を抉ったのかも知れない。自分の望む様に生きたいと思っただけだ。人として生まれ、こう在りたいと望んだだけなのに、明里の父親は娘の望みを受け入れられなかった。

 父と母が望んで明里はこの世に生まれた筈なのに、父親の言葉は明里の存在を否定していた。

 明里が居なければ家族が壊れる事は無かった。ならば、明里は一体何の為に生まれて来たのだ。世界で最も自分の存在を望んでくれた筈の人に存在を否定され、もう自分が何故生きているのか分からなかった。

 自分がどれだけ惨めな存在かを自分の口で語るなど羞恥心でどうにかなりそうだったが、それでも止められなかった。

 もしかしたら共感してもらえるかもしれないと自分勝手に遥に期待しているのだ。

 今まで心の奥底に溜めて凝っていた感情を吐き出してすっきりもしたが、自分の醜い感情を吐き出してしまい、取り返しのつかないことをしてしまった後悔が怒濤の様に押し寄せていた。

 遥は明里の言葉を身じろぎ一つせずにただじっと聞いていたが、ゆっくりと口を開いた。

 「……明里ちゃんがいなければ家族が壊れることはなかったのかもしれない」

 ああ、やっぱりこんな感情理解してもらえる筈が無かった。

 人に夢見て、自分の汚い所を晒して、本当にバカだ。

 自分の愚かさに涙がじわりと滲んだ。

 「だが、家族そのものが始まらなかったかもしれない」

 しかし、続いた遥の言葉に明里は思わず勢い良く顔を上げた。

 遥の瞳は先程から変わらず明里を静かに射抜いていた。

 「無からは何も生まれない。どれだけ歪でも、少なくとも家族が存在しなかった事より存在したことに意義が在る。美しいものだけが芸術じゃないのと同じだ。喜びでも、怒りでも、作り手によって行き着く先は違う筈だ」

 どんな喜びも怒りも、それを糧にできる術を明里は知っている。

 明里は形にして現すことで昇華していく表現者だ。

 「君がここに来て色んな人と出会えたことで色々な事が始まった。そして毎日変化している。中にはいつか終わる縁もあるだろう。だが、続く縁もある。可能性があっても、始まらなければ意味が無い」

 明里にとって遥は血の繋がらない他人だ。

 家族よりも遠いが故に通ずるものがあるとは皮肉な話だ。

 久しぶりに人に理解されたという安心感からか明里の瞳から涙がぼろりと零れ落ちる。

 涙は次から次へと止まる事無く溢れ、服の袖で拭うも追いつかない。

 見兼ねた遥が苦笑を浮かべて明里の涙を手で拭ってくれる。武骨な男の人らしい手に思わずどきりとしてしまった。

 「少なくとも俺は、明里ちゃんに出会えて良かったと思う」

 だから人を期待させる様なことを言わないでくれと思ったが、遥の言葉が特別な意味を含んでいないとしても戸惑い以上に嬉しかった。

 なんとか泣き止んだものの、久しぶりに泣いて疲れてしまい、今日はそのまま遥と一緒に帰る事にした。遥も今日はこのまま帰宅するらしい。

 泣いた所為で鼻が詰まり、鼻をすんすんと啜りながら帰路に着く。

 「大丈夫か?」

 「あい……」

 年を重ねると泣く事にすら体力を削がれる。

 泣き過ぎて頭がぼんやりとしているので今は正直周りの視線が全く気にならない。

 明日になると思い出して悶絶するのだろうが。

 「実は今日木守り様と明里ちゃんが話してるのを聞いてたんだ」

 「え、」

 どうやらあの時券売窓口のパートさんから明里が来ている事を知らされて追いかけて来たらしいが、とても話し掛けられる雰囲気では無かったとのこと。

 遥の言葉に明里は背筋が凍った。

 お前が言うなとか言われるのだろうか。

 今日木守りと話したことを思い出していた明里だが、あの話しを第三者に聞かれていたと思うと恥ずかしくて穴があったら喜んで入りたいくらいだ。

 「『今のあなたに価値が無いと言うのなら、あなたを必要とした人々の想いまで価値が無いと言うのですか』」

 明里が木守りに言った言葉をそのまま諳んじる遥。

 「あれは木守り様への言葉だが、明里ちゃんにも通じると思ったぞ」

 恥ずかしいことを堂々と口走っていた過去の自分と、それを臆面も無く言葉にする遥に似て非なる恥ずかしさを感じて、明里はただただ俯くしか無かった。

 遥はそんな明里の頭を苦笑しながら優しい手つきで撫でた。

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