二十
翌日、雲一つ無い秋晴れの空が広がる朝に明里は久しぶりに東院美術館にやって来ていた。
「おはようございます」
「おや、久しぶりだねぇ」
券売窓口に居たのはパートさんだった。遥で無かったことに少しほっとしてしまった自分が情けない。
平日の朝なので客入もまだほとんど無い。券売窓口で企画展のチケットを購入して展示室へ向かう。
今回は木守りを目玉とした茶道具中心の展示会だ。明里の目的は他でもなく木守りを一目見ることだった。
他の作品を眺めながら順路を辿っていると、展示も半分に差し掛かった所でお目当ての木守りが展示ケースの中に鎮座している。
「今日はお前さんの方が来たのか」
背後から声を掛けられて振り返ると仏頂面の木守りがそこにいた。
明里は木守りの本体へ視線を戻す。
「どうしても、木守りさんをこの目で見てみたくて」
明里の言葉に木守りは小さく息をついた。
再び視線を向けた展示ケースの中には、赤樂茶碗が柔らかな光を受けて堂々と展示されている。
独特な釉薬の色と調和している土の質感。手にしっくりと馴染みそうな温かみのある茶碗だ。
明里は硝子越しに息を殺してじっと木守りの本体に見入っていた。
「お前さんも物好きだな」
腕を組んで明里の横に静かに佇んでいた木守りが呟いた。
作品を見る為に屈めていた腰をすっと伸ばして木守りを見据える明里。いつもと雰囲気の違う明里に木守りは小さく首を傾げた。
「昨日安恵寺で木守りさんの話しを聞きました」
「……そうか」
明里の言葉に木守りの雰囲気もぴんと張りつめた。
今までにない緊張感に少し手が震える。
自分の考えが正しいのかどうかは未だ分からない。だが、答えは一つでは無いと言う事を伝えたかった。
「木守りさんが砕けてしまったことはとても悲しく思います」
明里の言葉に木守りがふと顔を上げた。
口を真一文字に結んで静かにこちらを見つめてくるので、気持ちが萎みそうになるがなんとか堪える。
今の木守りにあるのは歴史的価値が大きい。再生されたとはいえ、一度砕けてしまっては美術品としての価値は無いに等しいのかもしれない。
形は砕ける前の姿に似せたとしても、それは本当の意味で長次郎が望んだ姿でも、利休が愛した姿でも無い。そんな姿になってまでこの世に在る意味があるのかと木守りは言っていた。
だが、
「でも、今の木守り様は人の思いが繋ぎ合わせた姿だと思うんです。形としては完璧じゃないかもしれませんが、欠片しか残っていなくても、あなたが天下の名品であることに変わりはありません」
気持ちが真っ直ぐ伝わる様に木守りの目をじっと見据える。
明里の精一杯の言葉を受けた木守りは目を丸くさせている。
「今のあなたに価値が無いと言うのなら、あなたを必要とした人々の想いまで価値が無いと言うのですか」
砕けてしまった事実は変えられない。
だが、それでも尚人に求められた事実も変わらない。
それだけは誇って欲しいと明里は思った。
自分の言葉で何か変わる訳では無いかもしれない。自分の数十倍長く生きた木守りにとっては何も知らない小娘が、と腹を立てるかもしれないが、明里は自分が思った事を伝えたいと思った。
たとえ軽蔑されても良い。そういう思いを持った人間がいるということを頭の片隅にでも覚えてもらえていたらそれで良い。
明里の言葉を静かに聞いていた木守りがゆっくりと口を開いた。
「人も付喪神も、己は己でしか無く他者にはなれぬ」
次は明里が静かに木守りの言葉を聞くが、言ってしまった後で木守りの逆鱗に触れていないかと心臓が全力疾走している。
「他者の気持ちを全て理解できるなど到底不可能だ。お前さんはそれが分からぬ人間ではなかろう」
いつもより心なしか低い木守りの声にぎくりと明里の肩が跳ねた。
自分の事を知らない人間に知った様に語られることが一番腹に据えかねるものだということは明里も理解している。
それを言われてしまえば元も子もない。分かっていたことだけに、やはりそれを言われると悲しかった。
「何を知った口を、と思わないでも無い。だが、それ以上に気付かされたことが大きい事も確かだ」
恐る恐る明里が顔を上げると、木守りは綻ぶ様に苦笑を浮かべた。
「お前さんの言葉の通りだ。その言葉、しかと胸に留めておこう」
発せられた声はとても穏やかなもので、明里は心底安堵した。
そして若輩者の言葉を素直に受け止める木守りに器の大きさを感じさせられた。
「だが、言われっぱなしは性に合わん。儂からも苦言を言わせてもらうとしよう」
え、と明里は間抜けな声を上げ、言われた言葉を理解した途端弛緩した体がまた強張った。
「もっと周りを頼ってやれ」
どんな苦言が飛んで来るのかと身構えていたが、想定外の言葉に思わずきょとんとした表情を浮かべる明里。
「藤原の娘も何も言わずとも心配しておる。遥などお前が藤原の娘ばかり頼るから最近日に日に目に見えて不機嫌になっておるぞ」
「え」
具体的なことを言われて漸く理解するも戸惑いの声しか出ない。
というか美喜と連絡を取っていた事が遥にバレていたのかという驚きの方が勝ってしまって頭の中がしっちゃかめっちゃかになっている。
「一人で頑張る事は確かに立派だ。しかしそれで周りを心配させては元も子もないぞ」
嵐の様に荒れていた心は、木守りの深く腹に響く声で不思議と凪ぎ、代わりに木守りの言葉が棘の様に鈍く、深く、胸の奥に刺さった。
先程明里の言葉を受け取った木守りもこんな感情だったのだろうか。
少なくとも自分の心には波が立った。
あんなにも穏やかな表情で受け止めた木守りの器の大きさを改めて思い知らされた。
「人を信じれる事も強さの一つだろう。大きな痛みを伴うが、得るものも大きい。お前さんには実り大き人生を送って欲しい」
本来の意味で人を信じるという事は信じた者の全てを受け入れるということだ。例え傷つけられても、それさえも赦せることが人を信じるという事だろう。
「はい」
木守りが明里の為を思って言ってくれた言葉。
次は明里が受け取る番だ。
そして明里は企画展を最後まで見て回り、昼前には学校に登校して授業を受けて今日も今日とて作業室に篭って只管白い布をちくちくと縫い続ける。
一時間もしていると眠気で瞼が以上に重たい。いつもなら眠くなる頃に木守りがやって来くるのでなんとか眠気も堪えられたが、今日は木守りが来ない。朝にあんなに濃い話しをしたので来ないことも分かる気がする。
どれだけ頑張って目を開けようとしても重力で瞼が降りて来てしまう。結局睡魔に抗うことが出来ず、少しだけ仮眠を取る事にした。
キリの良い所で糸を切って針山に針を刺し、作品の元となる白い布を丁寧に畳んで隅の方に避ける。そして座布団を一列に並べ、鞄を枕にして自分の上着を掛けた。
もちろん自分の上着に体が全て収まる訳が無いので上着からはみ出した部分が肌寒いが仕方無い。一生懸命体を縮め、出来る限り上着に収まる様にする。携帯のアラームをセットし、上着を目の下まで引き上げて明里は目を閉じた。




