第8話 聖女の隠密(買い食い)作戦、開始!
「ラステア聖女殿、万歳!」
「聖女様、どうか我が街に祝福を!」
王都の下町広場は、割れんばかりの歓声と熱気に包まれていた。
色とりどりの花びらが舞う中、中央の石畳をゆっくりと進むのは、純白の聖衣をまとったラステアだ。
今日も完璧な『氷の聖女』モード。
翡翠色の瞳には一切の油断がなく、民衆の歓声に、ただ静かに、気高く微笑み返している。
その一挙手一投足に、周囲を固めるエルフの精鋭護衛(SP)たちが鋭い視線を走らせ、不審者が近づかないよう厳戒態勢を敷いていた。
(……よし、配置についたぞ)
そんな厳重な警戒網の少し外側、群衆の雑踏に紛れて、俺はフードを深く被ってスタンバイしていた。
ラステアが民衆へ向けて、優雅に右手を振る。
──が、その指先が、一瞬だけ俺の方を向いて3本の指を立てた。
(了解)
俺は群衆をすり抜け、あらかじめチェックしていたドワーフの屋台へと走る。
「親父、ハチミツバターパン3個、と、ドワーフ肉の串焼きを2本!」
「あいよ! 聖女様のお通りだ、景気良くサービスしとくぜ!」
焼き立ての、バターがじゅわりと染み込んだ甘いパンと、脂の滴る串焼き肉を受け取る。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。これを、エルフの護衛たちにバレずにラステアに渡さなければならない。
視察の行列が、広場の路地裏へと差し掛かる。一瞬だけ、群衆の影になって護衛の死角ができるポイントだ。
ラステアが歩みを緩め、優雅に、しかし確実に俺のいる路地の方へと視線を向けた。彼女の長い耳が、フードの奥の俺を捉えて、ドレスの隙間で「ぴこぴこ」と小刻みに揺れる。
(今だ──!)
俺は気配を完全に消し、群衆の隙間からラステアの背後へと滑り込んだ。
すれ違いざま、彼女の広がる純白の袖のなかに、油紙に包んだアツアツのパンと串焼きを、音もなく滑り込ませる。
「……っ」
ラステアの喉が、小さく鳴ったのが分かった。
彼女は完璧なポーカーフェイスのまま、袖の中に隠した『人間界のジャンクフード』をしっかりとホールドし、何事もなかったかのように歩き去っていく。
ミッション完了。俺は再び群衆へと紛れ、小さく息を吐いた。
♢
数時間後、視察の中間休憩。
王都が用意した、広場に面する高級ホテルの最上階。
「本当に大丈夫なのか」
ラステアは、「『一人の時間が欲しい』とかなんとか言って部屋にいるから、その隙に来て」とか言っていたが……。
バレたら処刑だろ、これ。だって、裏の配管を、えっさ、ほいさって伝ってるとか、怪しさMAXだろ。
ラステアのバフのおかげで、配管を上るのは容易だけどさ……。
部屋の最上階までなんとか辿り着く。
そぉっと窓の中の景色を見ると──。
「本当に一人だな」
部屋の中にはラステアだけしかいないみたいだ。
窓の鍵は空いている。
「お待たせしました、聖女様」
「クロス! 待ってた、本当に待ってたよぉぉ!」
窓から部屋に侵入すると、ラステアが大歓迎してくれた。
彼女の聖衣の袖から、すでにお肉を1本平らげた状態の油紙を取り出して、目に涙を浮かべていた。
「すごいよクロス! このハチミツバターパン、外はカリカリなのに、中はハチミツが洪水みたいに溢れてくる! ドワーフの串焼きも、お肉がギュッて引き締まってて、噛むたびにスパイスが弾けるの!」
「喜んでもらえて何よりですが、それよりもここまで来た俺に労いの言葉をくださいな」
「あ、おつかれー」
労いの言葉が雑。
「はぁ……。ちょっとラステア、ドレスにハチミツが垂れてます。あとでエルフの長老に怒られますよ」
「あわわ、大変! ペロペロ……ふぅ、セーフ」
綺麗なお指についたハチミツを舐めとる聖女様。
外では触れることすら許されない高嶺の花なのに、俺の前ではただの食いしん坊な女の子だ。
「ぷはぁー……! 美味しかったぁ。これでこのあとの退屈なスピーチも乗り切れるよ」
ラステアが最後のパンを飲み干した、その瞬間だった。
ゴォォォォォン……!
彼女の身体から、視察の比ではない凄まじい純白の神聖魔力がドバドバと溢れ出した。
魔力はテラスを越えて、王都の下町広場全体を包み込むような光の津波となって広がっていく。
「な、なんだこれ……!? ラステア、また魔力が暴走して──」
「え? あ、本当だ。なんか美味しいもの食べたら、身体がすっごくポカポカして、魔力が勝手に出てっちゃうんだよね。あはは、元気いっぱい!」
ラステアは無邪気に笑っているが、下町の広場を見下ろすと、とんでもないことが起きていた。
光を浴びた民衆の、日頃の疲れや病気が一瞬で完治し、広場の噴水の水が聖水へと変化し、街路樹が奇跡のような大輪の果実を実らせ始めている。
下町からは「奇跡だ!」「聖女様が、歩かれただけで街を浄化されたぞぉぉ!」という、地鳴りのような大歓声が沸き起こっていた。
「……ラステア。これ、下町の民衆、全員あなたのジャンクフードパワーで救われましたよ」
「え? そうなの? ラッキー! じゃあドワーフの屋台の人も元気になったかな? 来週も買いに行かなきゃ!」
えっへん、とジャージならぬ聖衣の胸を張るラステア。
やはりこの聖女、自分が「ハチミツバターパンを食べて世界に奇跡を起こしている」という異常事態に、全く気づいていない。
「……はぁ。まあ、あなたが元気ならそれでいいですけど」
俺は呆れつつも、眼下で狂喜乱舞する王都の街並みを見つめた。
無自覚に世界を救ってしまう隣の聖女様と、そのお財布兼共犯者の俺。
この奇妙で、ちょっとだけ誇らしい秘密の日常は、まだまだ終わりそうになかった。




