第6話 聖女の胃袋を守るため、まずは一匹
「ふぅ……満足、満足。じゃあクロス、また明日の夜ね」
お腹いっぱいのとんかつと、国家予算レベルの魔導具で冷やしたコーラを堪能したラステアは、ジャージのポケットに手を突っ込みながら、満足げにベランダから自分の部屋(隣室)へと帰っていった。
静かになった部屋で、俺は一人、残った食器を洗い始める。
ラステアの『永続バフ』のせいで、お皿を持つ指の力加減すら少し気を遣う。
「……にしても、本当にアイツが食べると魔力が上がるんだな」
アパートの庭を窓から見下ろすと、夜だというのに、彼女の魔力を浴びた雑草が綺麗な花を満開に咲かせている。
世界樹の聖女をここまで物質的・精神的に満たせるのは、王宮の格式高い精進料理ではなく、人間界の油と塩の暴力だった、というわけだ。
クスクスと笑いながら、洗い物を終えて電気を消した、その時。
(――ッ!?)
俺の身体が、不自然なほどの緊張感で強張った。
『世界樹の祝福』によって限界突破した五感が、アパートの敷地内に侵入してきた「異質な気配」を捉えたのだ。
薄い壁の向こう、ラステアの部屋のベランダへと近づく、不穏な足音。
それは人間のものじゃない。どろりとした、悍ましい魔力。
(魔族……!? なんでこんな下町のボロアパートに!)
理由は一つしか考えられない。さっきラステアがとんかつを食べて興奮した際、部屋から漏れ出た規格外の神聖魔力だ。あの濃密な光を感知して、王都に潜伏していた敵が引き寄せられたんだ。
「……あいつ、今ジャージ姿で無防備に寝転がってるぞ」
もしここでエルフの護衛(SP)たちが騒ぎ出せば、ラステアがこのボロアパートに隠れ住み、夜な夜な男の部屋でとんかつを貪っていることが王宮にバレる。
そうなれば、この最高に楽しい夜の時間は一発で終了だ。
「俺の平穏(と、美味いと言ってくれる奴)を、邪魔させるかよ」
俺は枕元に置いてあった鉄剣を握り締め、足音を消してベランダへと飛び出した。
月明かりが照らすアパートの屋根の上。
そこにいたのは、漆黒のローブを纏い、背中から蝙蝠のような羽を生やした魔族――魔王軍の隠密だった。
「ククク……間違いない。この部屋から凄まじい聖なる気配がする。まさかこんな悍ましい人間の巣窟に、エルフの聖女が潜伏していようとは……なっ!?」
魔族がラステアの部屋の窓に手をかけようとした瞬間、その目の前に、俺が音もなく着地した。
「おい。夜分遅くにご苦労さま」
「何奴……! 人間の羽虫が!」
魔族が鋭い爪を突き出し、俺の心臓を貫こうと加速する。
人間の限界を超えた速度。普通のF級冒険者なら、目で追うことすらできずに即死していただろう。
だが――今の俺の目には、その動きがまるで止まっているかのように遅く見えた。
「――遅い」
フッ、と息を吐きながら半身で爪をかわす。
そのまま、ラステアに治してもらった右肩を大きく回し、鉄剣を真横に一閃した。
ドンッ!!!
凄まじい衝撃波が夜の空気を引き裂く。
魔力の刃が魔族の身体を捉え、一切の反撃を許さずに、その肉体を一瞬で塵へと変えて消滅させた。
ラステアの永続バフが乗った俺の一撃は、中堅魔族を文字通り「一撃粉砕」する威力を秘めていた。
「……ふぅ。壁が薄いから、静かに倒せてよかったわ」
手応えのなさに呆然としつつも、俺は錆びかけた剣を鞘に収める。
隣の部屋の窓を見ると、カーテンの隙間から、明かりが漏れていた。
(あいつ、気づいてないよな……?)
心配になって、ラステアの部屋の窓を小さく「トントン」と叩いてみる。
すぐにカーテンが開いた。
出てきたラステアは、案の定、緑色のジャージ姿。口の周りに少しだけとんかつソースをつけたまま、不思議そうな顔で俺を見ていた。
「あれ、クロス? どうしたの、こんな夜中にベランダに出て。ロマンチスト?」
「……いや、なんでもないです。ちょっと夜風に当たりたくなって」
「ふーん? あ、それよりさっきね、急に肩がすっごく軽くなって、なんだかぐっすり眠れそうなの。クロスのとんかつパワー、本当にすごいや!」
ラステアはえっへん、とジャージの胸を張り、長い耳をパタパタと揺らした。
どうやら、俺が外で敵を討伐した瞬間、彼女に送られていたストレス(世界の穢れ)が浄化され、聖女としての負担が軽くなったらしい。
料理だけでなく、俺が彼女の周りの脅威を排除することも、巡り巡って彼女の癒やしになるのだ。
「……そりゃ良かったです。ほら、夜風は耳に悪いから、早く中に入って寝てください」
「はーい。おやすみ、私のヒーローさん」
ラステアは嬉しそうに微笑むと、窓を閉めてカーテンを引いた。
ジャージ姿でソースをつけた、無防備すぎる世界一の聖女様。
彼女のこのズボラで愛おしい日常を守るためなら、魔王軍だろうが世界の危機だろうが、喜んで裏でぶっ潰してやろう。
俺は自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込みながら、明日の夜は何を作って驚かせてやろうかと、そんなことばかりを考えていた。




