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第3話 氷の聖女の視線、あるいは夜のメニューの合図

 翌日。昼下がりの冒険者ギルドは、昨日以上の緊迫感に包まれていた。


「おい、全員並べ! 列を乱すなよ!」


「おいおい、本当に来ちまったぞ……エルフの聖女様がよ」


「こんなむさ苦しいギルドに何のご用なんだ……?」


 ギルドマスターの怒号が響き渡り、荒くれ者の冒険者たちが、まるで大手ギルドの面接に来た学生のように、直立不動で冷や汗を流している。


 俺はその集団の最後列、一番目立たない壁際に気配を消して立っていた。


(頼む。頼むから何事もなく通り過ぎてくれよ……)


 そんな俺の祈りも虚しく、重厚なギルドの扉が開かれる。


「ラステア聖女殿、お命じ通り、当街の冒険者ギルドへとご案内いたしました」


 銀甲冑に身を包んだ人間のエリート騎士たち。厳しい目つきをしたエルフの護衛(SP)たち。それらを引き連れて、『氷の聖女』と謳われるラステアが歩を進めてきた。


「――感謝します、騎士団長」


 その声が響いた瞬間、ギルド中の空気が凍りついた。


 凛とした、どこか触れれば切れる刃物のような、冷徹で気高き響き。


 そこにいたのは、よれよれの緑色ジャージを着たズボラエルフではなかった。


 純白の聖衣をまとい、一切の汚れを寄せ付けない神聖なオーラを放つ、完璧な『氷の聖女』


 翡翠の瞳は冷ややかに前を向いており、人間など一瞥もくれないといった風情だ。


「ぉぉ……なんて神々しいんだ……」


 隣のD級冒険者が、感動のあまり今にも膝をつきそうな勢いで呟く。


(騙されるなよ。あの人、昨日の夜、俺のベッドで『生姜焼き美味すぎワロタ』みたいな顔して白米かき込んでたからな?)


 俺は必死に笑いを噛み殺し、他人の振りを決め込もうと、そっと目を逸らし続けた。


 だが、聖女一行が、ちょうど俺の目の前の通路を通りかかった、その時。


 ぴくっ。


 ラステアの、長い耳が小さく動いた。


 人間には聞き取れないであろう、俺の微かな呼吸音でも察知したのだろうか。


 ラステアの歩みが、ピタッと止まる。


 ギルド中が息を呑んだ。護衛のエルフたちが「どうなされましたか、ラステア様」と武器に手をかける。


 ラステアは、冷徹な『氷の表情』を一切崩さないまま、ゆっくりと首を巡らせ──最後列にいる俺を、真っ直ぐに見つめてきた。


(おい、やめろ、見るな! 護衛の目が怖い!)


 周囲の冒険者たちが「え? 聖女様がこっち見てる? 俺? いや俺か!?」とザワつき始める。


 ギルド中が静まり返る極限の緊張感の中、ラステアは、ツンとすました顔のまま、誰も気づかないような速度で、俺にだけ完璧なアイコンタクトを送ってきた。


 具体的には。


 ほんの一瞬だけ、ふにゃりと眉を下げて悪戯っぽく微笑み。


 それから、自分の綺麗な人差し指を立て、口パクしてくる。


(あ……)


 彼女が声を発さずに何を言ったのか、瞬時に理解できてしまった。


『今日の夜は、昨日言ってた「焼き鳥(塩)」ね。1本ちょうだい』


 ……お礼をしに来るとか言っておいて、ただの夜ご飯の発注かよ!


 ラステアは、俺が微かに頷いたのを確認すると、何事もなかったかのように再び前を向き、凛とした足取りでギルドの奥へと去っていった。


「おい、クロス……! 今、聖女様、絶対お前の方を見てただろ!?」


 一行が通り過ぎた瞬間、隣の冒険者が俺の肩を激しく揺さぶってきた。


「いやぁ、気のせいだろ。俺みたいなF級を見るわけないって」


「そうだよな……。お前みたいな底辺男を見るわけ……。ああ、でもあの冷たい視線、ゾクゾクしたなぁ……!」


 周りの連中は「聖女様に睨まれた哀れな男」として俺を憐れんでいるようだが、違う。


 あれはただ、腹ペコな隣人がメニューを催促してきただけだ。


 世界中が畏敬の念を抱く『氷の聖女』


 その彼女と、衆人環視のギルドの中で、自分たちにしか分からない『秘密のサイン』を交わしている。


 背中に変な汗をかきつつも、俺の胸の奥は、なんだか妙にトクンと跳ねていた。


(しょうがないな……。今日は奮発して、ねぎまも作ってやるか)


 ポケットの中の銅貨を数えながら、俺はニヤけそうになる顔を片手で覆うのだった。


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