第2話 エルフの至宝は、生姜焼きの匂いに抗えない
「ぷはぁー!……生きてる。私、いま確実に生を実感してる……!」
俺のベッド(唯一のまともな家具)の背もたれに寄りかかり、炭酸の抜けたコーラを喉に流し込むラステア。
炭酸の抜けたコーラを飲んでるからか、そのまま、ぬぼぉっと彼女の気も抜けた。いや、そもそもこの部屋に来た時から気は抜けていたか。
手元には、完全に空っぽになったポテトチップスの袋。
これが昼間、神聖な馬車の中から王都の民に慈悲深い微笑みを振りまいていた『世界樹の申し子』のリアルな姿だ。
「……満足しましたか、聖女様」
「だからラステアでいいって。……ん、何これ。なんか、すっごく良い匂いがする」
ジャージの襟元をパタパタさせていたラステアの鼻が、クンクンと動いた。
同時に、髪の隙間から覗く長い耳が、ピンと直立する。
「ああ、夜食に『豚の生姜焼き』を作ろうと思って。肉をタレに漬け込んでたんです。ポテチだけじゃ夜中にお腹減るでしょ」
「しょうが……やき……?」
ラステアの翡翠色の瞳が、獲物を見つけた肉食獣のように爛々と輝き出した。
「クロス、それって、お肉? ジューシーで、油が滴る、あのお肉?」
「エルフってベジタリアンじゃないんですか? 昼間ギルドの奴らが『聖女様は朝露と木の実しか口にされない清らかな御方』って熱弁してましたけど」
「そんなのただの風評被害! エルフだって、若者は肉が食べたいの! 里の長老たちが『肉を食べると血が汚れる』とか言って、頑なに大豆で作った擬似肉しか出してくれないもん‼︎」
ラステアはベッドから飛び起きると、俺の狭いキッチン(魔導コンロが一つあるだけ)にすり寄ってきた。
すでにヨダレがこぼれそうな顔をしている。普通にかわいいな、おい。
「……そもそも、なんでエルフのトップが、こんな下町のボロアパートに隠れ住んでるんですか。国賓なんだから、王宮の最高級ホテルにでも泊まればいいのに」
「だって、あそこ、四六時中『お怪我はありませんか、ラステア様』『お食事の毒味を、ラステア様』って、四方八方から監視されるんだもん。おまけに食事は全部、薄味のスープとサラダ。……あんなの、留学っていう名の軟禁だよ」
ラステアはジャージのポケットに手を突っ込み、不満げに唇を尖らせた。
「だから、留学初日の夜に、転移魔法でこっそり抜け出したの。そしたらこのアパートの窓から、すっごく香ばしい『焼き鳥』の匂いがして……」
「俺のベランダに不法侵入してきたんでしたね。焼き鳥につられて」
「そう! あの時クロスがくれた、タレの絡んだモモ肉……。あの瞬間、私の世界は変わったの。だから翌朝、人間に化けて、クロスの隣の部屋をギルドの紹介で速攻で契約した。ふふん、私の行動力を舐めないことね」
どや顔で胸を張るラステアだが、胸元にはポテチの塩が少しついている。締まらない聖女様だ。
「ふっ。ラステア様。実は焼き鳥には『塩』もあることをご存知で?」
「塩、だと……? なにそれ、食べたーい‼︎ 今すぐに食べたーい‼︎」
「そんなに反応するとは……すみません。今日は生姜焼きで」
ジュウジュウと小気味いい音を立てて、生姜と醤油の香ばしい香りが狭い部屋に充満する。
皿に盛り付け、白米を山盛りにした茶碗と一緒にラステアの前に差し出した。
「ぜんっぜん、生姜焼きで良い♪」
「さあ、召し上がれ」
「いた、いただきます……!」
ラステアは、エルフの伝統的な礼拝の時よりも真剣な顔で手を合わせると、箸を器用に扱って、肉をご飯の上にワンバウンドさせてから口に放り込んだ。
「――――――っ!!」
声にならない悲鳴。
ラステアの長い耳が、まるで踊るように「ぴこぴこ、ぴこぴこ!」と激しく前後に揺れ動く。エルフの耳は感情に正直だ。
「な、なにこれ……! 甘辛くて、ちょっぴりピリッとして、お肉の脂が白米に染みて……! 美味しい、美味しすぎるよクロス……!」
「落ち着いてください。ご飯は逃げませんから」
ガツガツと、およそ聖女とは思えない勢いで白米をかき込んでいくラステア。
ふと見ると、彼女の身体から、微かに淡い緑色の光――神聖な魔力がぽろぽろと溢れ、部屋の空気を浄化していくのが分かった。
心なしか、ゴブリン退治でバキバキだった俺の肩の凝りが、すうっと軽くなっていく。
(気のせいか? この人、ジャンクなもの食べてる時の方が、魔力が活性化している気が……)
「ふぅ……ごちそうさまでした……」
ものの数分で完食したラステアは、お腹をさすりながら、満足感に満ち溢れた。文字通り『女神のような微笑み』を浮かべいる。外で見せる氷の微笑とは違う、心からの満面の笑みだ。
「ねえ、クロス。私、確信した」
「何をです」
「人間界の料理は、絶対に世界樹の加護を超えてる」
「はい?」
この聖女様は一体なにを言い出すんだ。人間界の料理が世界樹の加護を超えているなら、人間はもっと進化してたろうに。
「……よし、決めた。私、明日の昼間、クロスのいるギルドに視察に行く予定があるの」
「えっ!? ウチに来るんですか?」
「うん。だから、ちょっとした『お礼』をしてあげる。楽しみにしててね、私の専属シェフさん」
ラステアはジャージのポケットから、今度はコーラの空き缶を取り出し、「じゃあ、また明日!」と、ベランダから自分の部屋へと軽やかに飛び移っていった。
……お礼?
嫌な予感しかしない。
明日、ギルドで何が起きるんだ……?
翌日、俺はその予感が最悪の形で的中することを知るのだった。




