第21話 秘密結社『ひだまり荘』の朝食
「……くっ、これが『ダークシェフ』の、朝の仕込みというわけね」
翌朝。朝の6時。
『ひだまり荘』の202号室のキッチンで、A級冒険者のエレナは、借りてきた猫のように背筋をピンと伸ばして立っていた。
彼女が鋭い眼差しで見つめる先には――ただトースターで食パンを焼き、目玉焼きを作っている俺の姿がある。
「エレナさん。朝からそんなに身構えなくていいですよ。ただのトーストと目玉焼きですから」
「フン、私を騙そうとしても無駄よ。その目玉焼きの焼き加減、黄身の半熟度合い……完全に、食べる者の精神を弛緩させ、洗脳するための計算され尽くした『魔導調理』だわ……!」
(ただの片面焼き(サニーサイドアップ)です)
エレナは完全に、俺のことを「料理の腕で世界を裏から牛耳る巨悪の天才」だと思い込んでいた。昨夜の生クリームフレンチトーストの衝撃が、彼女の優秀な脳細胞をバグらせてしまったらしい。
その時、ベランダの窓がガラッと開いた。
「クロス〜、おはよ。なんかいい匂いがする……」
目をこすりながら入ってきたのは、いつも通りよれよれの緑色ジャージ姿のラステアだ。
髪の毛は寝癖で爆発しており、長い耳も「ふにゃん」と力なく垂れ下がっている。
「聖女様っ! 起床されて早々、そのような無防備な姿を男の前に晒すなど――」
エレナが慌てて割って入ろうとしたが、ラステアはそれを無視して、吸い寄せられるように俺の隣へと歩いてきた。
「エレナ、朝からうるさい……。それよりクロス、今日の朝ごはんはなぁに?」
「今日は異界の調理法を使った『らぴ◯たパン』です。食パンの縁にマヨネーズで土手を作って、真ん中に卵を落として焼いたやつです」
「らぴ◯たパン……なんだか、ばるすという呪文を閃きそう!」
「目が逝きそうですね」
「しかし、このまよねーずの土手……! 朝からなんて罪深い……!」
ラステアの耳が「ぴこん!」と一瞬で覚醒した。
俺が焼き上がったトーストをお皿に乗せてテーブルに出すと、ラステアとエレナが並んで席についた。
カリッと焼けたトースト、その上でぷるぷると震える半熟の目玉焼き、そして香ばしく焦げ目のついたマヨネーズ。
「いただきます!」
ラステアが勢いよくガブッと一口齧り付く。
じゅわぁ……。
「ーーーーーーッッッ!!!(朝の奇跡)」
マヨネーズの濃厚な塩気と、溢れ出したトローリとした黄身がサクサクのパンに絡み合う。
ラステアの体内から、朝一番の「爽やかな神聖魔力」がブワッと溢れ出し、アパートの部屋の中に心地よいマイナスイオンの風が吹き抜けた。
「ふあぁぁ……最高。朝のマヨネーズ、身体に染み渡るよ……」
「……な、何よこれ。ただパンに卵を乗せただけじゃない。そんなもので、この私が――」
エレナも負けじと一口パクリと口に含んだ。
サクッ、トロォ……。
「っ……!?(驚愕)」
エレナの背筋がビクッと跳ね上がる。
朝の空腹の胃袋に、ダイレクトに響くマヨネーズの脂質と黄身のコク。
「……美味い。美味すぎるわ……っ! 朝一番の脳に、最も効率よく幸福物質を送り込むための完璧な計算……! クロス、あなたやっぱり天才を通り越して恐ろしい男だわ……!」
エレナは感動のあまり涙目で俺を睨みつけてくる。
「ねえ、紅髪。言ったでしょう? クロスの配下になれば、毎日こんな幸せが待ってるんだから」
ラステアがマヨネーズを口元につけたまま、先輩風を吹かせてニヤリと笑う。
「は、配下だなんて人聞きが悪いわ! 私はあくまで、この『ダークシェフ・クロス』による世界改変計画を、一番近くで監視するために――」
「はいはい、監視でも何でもいいですから、食べたらすぐギルドに行きますよ。今日は定例報告の日ですからね」
俺が呆れながらお茶を差し出すと、エレナはゴクゴクとそれを飲み干し、急に大真面目な顔で声を潜めた。
「……そうね。クロス、あなたの言う通り、表の舞台での情報収集は不可欠だわ。実は今、ギルドの上層部が、ここ数日王都の夜空に現れた『謎のオーロラ現象』の調査に乗り出しているの」
「えっ、マジですか?」
俺の背中に冷や汗が流れる。原因は目の前でマヨネーズパンを頬張っている聖女様だ。
「ええ。ギルド長は『王都の近くに、伝説級の神獣か、あるいは魔王に匹敵する規格外の存在が潜伏している可能性がある』と睨んでいるわ。まさか、それがこのアパートで朝からマヨネーズを貪っている『組織のトップ(聖女様)』だとは、夢にも思っていないでしょうけどね……フフフ」
エレナは不敵に、どこか楽しそうに笑った。
完全に「自分たちだけが世界の真実を知っている秘密結社」のメンバー気取りだ。
(神獣でも魔王でもなくて、ただの腹ペコ聖女の胃袋の悲鳴なんだよなぁ……)
「よし、クロス! ギルドでの調査は、A級である私が上手くカモフラージュしてあげるわ! あなたは安心して、次なる『禁断の料理』の開発に勤しみ schedulingなさい!」
「あ、はい。助かります……」
やたらスケジュールの発音が良いな。
こうして、勘違いの方向性が「世界を操る謎の秘密組織」へとシフトした『ひだまり荘』。
ギルドを巻き込んだ大調査の手が迫る中、俺たちの美味しくてヤバい(主に勘違いが)日常は、さらにスケールアップしていくのだった。




