第16話 禁忌の麺。真夜中の背徳
「……クロス。人間界には、私の知らない『禁忌の麺』が存在するって、本当?」
深夜2時。
木造アパート『ひだまり荘』の俺の部屋に、いつもの緑色ジャージ姿のラステアが、まるで重大な軍事機密を告発するかのような真剣な顔で忍び込んできた。
翡翠色の瞳はギラギラと輝き、長い耳は好奇心で前方にピンと向いている。
「禁忌の麺って……どこでそんな不穏な言葉を覚えてきたんですか」
「王宮の図書室の隠し書庫。かつて人間界からエルフの里に伝わった禁書に書いてあったの」
「なんですか、それ」
「『それは夜中に食べるほど美味く、醤油の塩気と豚の脂、そして白い悪魔の球根が五臓六腑を支配する。一度啜れば、太ると分かっていてもスープを飲み干すまで止まらない』って……」
「あー、それは異界の食べ物ですね。その名も『いえけーらーめん』」
「『いえけーらーめん』……クロス、私、その食べ物を知らないけど、異常に食べたくなってきた」
彼女の反応も当然だ。
その異界の食べ物、いえけーらーめんは、名前に魔力でも込められているのか、夜中になると無性に食べたくなってしまう代物。
ラステアは俺のシャツの裾をギュッと掴み、うるうるとした瞳で見上げてくる。
「食べたい。その、異界の食べ物を私どうしても食べたいの、クロス……!」
「……仕方ありませんね。その名を聞いて大人しくしろというのが無理です」
「クロス……!」
「ちょうど、B級レベルのクエストをギルドマスターが回してくれて、報酬が入ったところですし、材料はありますよ。ただ、本当に太っても知りませんからね?」
「エルフの代謝能力をナメないでよね! ほら、早く作って!」
ま、それもそっか。
この聖女様ったら、どんだけジャンクフードを食っても太らない体質らしい。これがエルフの体質か。世の女の敵だね、こりゃ。
キッチンに立ち、早速とりょうりを開始する。
極太の麺を茹で上げ、濃厚な豚骨醤油スープに鶏油を浮かべる。そこへチャーシュー、ほうれん草、海苔をトッピングし、仕上げにラステアが言っていた“白い悪魔”――すりおろしニンニクをドカンと山盛りに盛り付ける。
「お待たせしました。夜食の王様、家系ラーメン(ニンニクマシマシ)です」
「これが……異界の食べ物……禁忌の麺……!」
目の前に置かれた、ギトギトと輝くスープとニンニクの強烈な香りに、ラステアは息を呑んだ。
彼女は息を整えると、お箸で極太の麺をごっそりと持ち上げ、フーフーと息を吹きかけてから、一気に啜った。
ズズズッ、ズズズズズッ……!
「ーーーーーーッッッ!!!」
その瞬間、ラステアの身体がビクンと跳ね上がった。
あまりの衝撃に、翡翠色の瞳のハイライトが一瞬で消え去る。
「な……何これ……っ! 濃い! 濃くて、塩っぱくて、豚さんの旨味の油が、お口の中に津波みたいに押し寄せてくる……! そしてこの、ツンとするのに最高にハイになれる白いお野菜の破壊力……! 脳が、脳の細胞が一つ残らずパチパチって弾けてるよぉぉ!」
「スープに浸した海苔で、白米を巻いて食べるのもお勧めです」
「んむっ!? ……う、美味すぎるぅぅ! 悪魔! クロスはやっぱり悪魔だよぉぉ!」
「悪魔ではありません」
「んほぉぉぉぉ!」
ドレスを脱ぎ捨てた聖女様は、もはや理性を完全に失っていた。
ジャージの袖を捲り上げ、もの凄い勢いで麺を啜り、ニンニクまみれのスープをごくごくと飲み干していく。エルフの清廉さなど、ギトギトのスープの前に完全消滅していた。
そして、その瞬間だった。
ドゴォォォォォン!!!
彼女の体内から、これまでとは完全に次元の違う、禍々しいまでに濃密な純白の神聖魔力が爆発した。
今までの魔力が『清らかな光』だとしたら、今回の魔力はニンニクのせいで『超高密度のエネルギーの塊』だ。
光の波がアパートを飛び出し、真夜中の王都の夜空へと突き抜けていく。
窓の外を見ると、彼女の深夜の背徳パワーを浴びたアパート周辺の街路樹が、夜中だというのに一斉に満開の桜を咲かせ、夜空に神々しいオーロラが出現していた。
深夜の王都は、「なんだあの光は!?」「天変地異か!?」と、にわかに騒がしくなり始めている。
「ぷはぁーっ!! 食べた、全部飲み干しちゃった……! 幸せすぎて、もう思い残すことはないよ……」
丼を空っぽにしたラステアは、口の周りをギトギトに光らせたまま、ベッドの上で完全に腑抜けた顔でひっくり返っていた。長い耳が「ぴこ……ぴこ……」と、満足感で弱々しく揺れている。
「……ラステア、外が大変なことになってますよ。あと、明日からのあなたの吐息、もの凄くニンニク臭くなりますからね」
「ふえ? ……あはは、まぁいいじゃん。美味しかったし、元気いっぱいだし!」
本人は相変わらず1ミリも反省していない。
ラステアの『ニンニク魔力暴走』によって出現した夜空のオーロラが、王都に潜むある厄介な勢力」の目を引きつけてしまったことを知るのはもう少し後に後になってからわかる。
ニンニクマシマシの背徳の味と共に、俺たちの日常は、さらにヤバい方向へと加速していくのだった。
「クロス、明日の朝ごはんは『フレンチトースト』ね。甘いやつ」
「……まずはブレスケアを飲んでください、聖女様」




