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王太子妃候補たちのお茶会

王太子妃候補たちのお茶会。

表向きは親睦を深めるための名ばかりの交流会――その実態は、優雅な仮面の裏で行われる腹の探り合いと静かな牽制の場であった。


会場となった王宮の一室には、春を凝縮したような淡い花の香りが満ちている。

差し込む陽光に照らされ、磨き上げられた陶器のティーカップや、繊細な細工が施された銀縁のティーセットが、眩いばかりの光を撥ね返していた。

その整えられた調度品さえも、ここに集う者たちへの無言の圧力となっている。


円卓を囲むのは三人。


――その中で、真っ先に目についたのが、クリスタ・ハメット伯爵令嬢だ。


意志の強さを湛えたきりりとした青い瞳に、一点の乱れもなくまとめられた艶やかな黒髪。

両耳の上に輝く銀の蔦模様の髪飾りは、彼女の潔い美しさを象徴しているようだった。


装飾を最小限に留めたその佇まいは、決して地味などではない。

むしろ、無駄を徹底して削ぎ落としたからこそ、彼女の持つ聡明さと矜持が鮮烈に際立っている。


物静かながら、筋の通らないことを嫌う性格で、王太子妃教育の場でも、彼女は折に触れて冷静な指摘を口にする。


そのあまりに隙のない正論は、時に相手に一切の弁解を許さない。

彼女が意図せずとも、真っ直ぐな言葉は結果として相手を鋭く追い詰めてしまうのだ。


そして――

エリーズ・スタイナー伯爵令嬢。


燃えるような赤の巻き髪に、どこか憂いを帯びた黄色の垂れ目。

夜会では常に肉感的な肢体を強調する装いで殿方たちの視線を独占している彼女だが、今日は「王太子妃候補」という立場を弁え、控えめなドレスを選んでいた。

しかし、その慎ましささえも彼女の天性の華やかさを覆い隠すことはできない。


男性の前では柔らかな笑みを絶やさない彼女は、その裏側で同性からは警戒され、遠巻きにされる――そんな類の人種であることを、わたくしは知っている。


スタイナー家という盤石の後ろ盾があることも、彼女の不敵な余裕を支えているのだろう。

それでも、宮中で流れている噂は、わたくしに向けられることのほうが多かった。


彼女のやり方は、決して露骨ではない。

直接的な嫌がらせや、浅はかな罠を仕掛けるような真似もしない。

ただ、会話の端々に、あるいは一瞬の視線の配り方に、じわりと棘が刺さるような違和感を忍ばせてくる。

もしこちらが不用意に反論すれば、彼女はたった一言で場の空気を味方につけ、こちらを悪者に仕立て上げてしまうのではないか――

そんな油断ならない空気を、その微笑みの下に隠し持っている。


――将来、この国の王妃の座に就くのであれば。

その程度の度胸と大胆さは不可欠なのかもしれない。

そう認めざるを得ないほどに、彼女の佇まいは堂々としたものだった。


一方で、クリスタ様は終始、その端正な表情を崩すことはなかった。

周囲からの視線や、他者と比較される過酷な立場にあることを、最初から当然のこととして受け入れている。

そんな、深く静かな落ち着きが彼女には備わっていた。


王宮内において、彼女は「もっとも無難な王太子妃候補」と定評がある。

エリーズ様のように、一目で人の心を奪う鮮烈な華やかさがあるわけではない。

しかし、彼女には決して失言も失策もないのだ。

その絶対的な安定感こそが、派手さはないものの、彼女への信頼を底堅いものにしていた。


実家であるハメット家もまた、彼女の気質を写したかのように堅実な立場を築いており、宮廷内に根強い人脈を有している。

何が起きても動じず、ただ正しくそこに在り続ける。

その「崩れぬ強み」こそが、彼女をこの場に留めているのだろう。


そして、わたくし――

ヘスティア・オルドリッジ侯爵令嬢。

王家との縁を何よりも重んじてきた、侯爵家の長女。

王太子妃候補の筆頭と目されている。


ここに集う三人は、厳格な選定の儀を勝ち抜き、最終段階まで絞り込まれた候補たちだ。

いずれも王太子殿下と年齢が近く、家格や政治的な重みにおいても釣り合いが取れている。


さらに近年、王妃に求められる資質は変化しつつあった。

古くからの家柄のみならず、実務的な公務適性、さらには他国との外交を左右する対外的な対応能力。

それらの評価基準においても、彼女たちは互いに遜色のない、極めて高い水準に達している。

客観的に見れば、誰が選ばれてもおかしくはない。

――少なくとも、「建前」では。


この国の王家に、側妃はいない。

かつての乱れた後宮を廃し、選抜された唯一人の王妃のみを頂くことで、泥沼の派閥争いを根絶したのである。


万が一、数年の時を経ても世継ぎが誕生せぬ場合に限り、然るべき例外措置がとられる。

それがこの国の鉄の掟であった。


それほどまでに「完璧な椅子」が用意されているからこそ、選考の場に漂う空気はどこまでも重い。


静かに視線を落とす。

円卓の上には、色とりどりの菓子が並んでいる。

本来ならば、甘いものはわたくしの好物だ。

見ているだけでも心が浮き立つはずなのに、今日ばかりは不思議なほど、手を伸ばす気になれなかった。


……やはり、あの会話のせいね。


数日前、王太子殿下と交わしたやり取り。

その記憶が、鉛のように胸の奥に重く淀んでいる。


このお茶会も、今日が最後。

二週間後に控えた祝賀の場で、ついに次期王太子妃が指名される。

表向きは「祝賀」と称されているが、その場こそが実質的な最終審査であると、わたくしたちは事前に言い含められていた。


けれど――それは、あくまで表向きの理由に過ぎない。

すでに王太子の口から「有力だ」と告げられた以上、流れはほとんど決まったも同然だった。


祝賀の式典を前に、王太子妃候補たちがこうして一堂に会する機会は、もう訪れない。

沈黙に支配されたこの室内で、ここにいる誰もが、終わりを意識している。

その静寂がもたらす息苦しさを自覚している時点で、わたくしにはまだ余裕が足りないのだろう。


王太子妃教育は、単なる儀礼や作法の習得だけではない。

王族や貴族との距離感、一瞬の状況判断、そして微笑みの裏に隠された人心の機微を読み解く術――。

華やかに振る舞うその裏側で、常に周囲の思惑を見極める力が求められることを、この数年という歳月をかけて嫌というほど理解してきた。


――その経験があるからこそ、今日の空気の緊張感も、ある程度は予測できていたはずなのに。

いざ実際に向き合ってみると、知識や理屈だけではどうにもできない感情が押し寄せてくる。

頭では分かっていたはずなのに、この息苦しさだけはどうしても計算通りにはいかなかった。


茶会が始まってなお、しばらく沈黙が続いた。

誰かが口火を切らなければ、この張り詰めた空気は限界まで引き絞られていく。

その重苦しさに、わずかな衣擦れの音さえ躊躇うほどだった。

この均衡を、一体誰が動かすのか。

誰もが最初の一歩を探り、固まっていたその膠着状態を、しなやかに解きほぐしてみせたのは――エリーズ様だった。


彼女は、まるでこの静寂など初めから存在しなかったかのように、軽やかに、そしてこの上なく自然にその唇を綻ばせた。


「祝賀の後のこと、お二人はもう考えていらっしゃるの?」


エリーズ様の放った一言は、あくまで世間話のような体で耳に届いた。

しかし、彼女は遠回しに「選ばれなかった後の身の振り方」を尋ねてきていた。


「王家は、お役目が果たされた後もきちんと道筋を用意してくださるそうよ。家格に見合った縁談を、って。だから、心配はいらないわ」


――安心して王宮から去ってくださいな、とでも続きそうな響きだ。

エリーズ様はわたくしとクリスタ様を見つめ、柔らかく微笑んだ。


――この方は、祝賀で自分が選ばれると、少しも疑っていないのだろう。

その迷いのない確信は、一体どこから湧き上がってくるものなのか。

自身の才覚か、それとも背負っている家格の重みか。

目の前で不敵なほど美しく、悠然と構える彼女を見つめながら、わたくしは場違いな感情を抱いていた。

これほどまでに自分を信じ、未来を疑わずにいられるその強さが、ほんの少しだけ、羨ましくもあったのだ。


それにしても、縁談、か……。

――わたくしは、本当はどうしたいのだろう。

王太子妃として選ばれることではなく、その先にある未来を。


もし――もしもわたくしが、その相手を指名したなら。

王家が温情で、その間を取り持ってくれるような奇跡は起きないだろうか。

……なんて、そんな都合のいい話、あるはずがないわね。


王太子妃候補から外れた直後の侯爵令嬢が、個人的な思慕を理由に自ら縁談の相手を選ぶなど。

それは王家に対しても、己の家に対しても、到底許される振る舞いではない。

これまで誇りとしてきた侯爵家という身分が、これほどまでに重く、自由を縛る鎖のように感じられたことはなかった。


「エリーズ様はとても自信があるのですね。王宮では他の方が選ばれるのではないか、という声が多いですけれど」


「まあ」


クリスタ様の問いかけにエリーズ様は軽く目を瞬かせた。

他の方――すなわち、この場にいる「わたくし」が、宮廷内部の空気や関係者の態度から“すでに内定している”と見なされ、その認識が外へと滲み出た結果、王太子妃に内定しているのではないか、という噂が根を張ってしまったのだ。


「嫌だわ。あんなものを信じているの? 噂なんて、所詮は噂ですもの」


エリーズ様の言葉は、表面上こそ涼やかな響きを保っていた。

けれど、その声の端々には、隠しきれない鋭い棘が混じっている。

ふとした瞬間の目の奥に、ごくわずかな感情の光が走るのを、わたくしは見逃さなかった。


その微かな変化を敏感に察したのか、クリスタ様はすぐには言葉を返そうとはしなかった。

ただ、彼女が選んだその短い沈黙が、かえって室内の空気を研ぎ澄まし、緊張をより一層深いものへと変えていた。


「……ヘスティア様も、そうお思いになるでしょう?」


自分の考えこそが唯一の正解であると示すように、彼女は当然の顔をして同意を求めてきた。


その傲慢な態度に、彼女自身の苛立ちがわずかに漏れ出す。

無意識に動いた指先が、ティーカップの縁を小さく弾いた。


――こうした極めて些細な仕草に、隠したはずの本音はどうしても滲んでしまうものだ。


完璧な候補者として振る舞っているつもりなのだろうけれど。

少なくともわたくしの目には、彼女が己の感情を完全に御しきれているようには、到底見えなかった。

もっとも、わたくしなら、その程度の揺らぎを、この場の均衡を崩す隙に変えたりはしない。


「王太子妃の座に近い立場であればこそ、周囲の声をどう扱うかは、慎重であるべきだと思いますわ」


是とも否とも答えず、わたくしはやんわりと言葉を返した。


「……確かに。王太子妃に求められるのは、状況を冷静に見極める力ですものね」


ちらりと、クリスタ様の視線がエリーズ様へと流れる。


「もっとも、噂を完全に無視するのも、また危うい判断かと存じますが」


エリーズ様の唇が、わずかに引き結ばれた。

クリスタ様の口調はあくまで穏やかで、水面に波紋一つ立てないほどに静かだった。

けれど、その実、彼女もまた一歩として引く気配は見せない。


わたくしは、二人の間に漂う底冷えのするような空気を肌で感じながら、手元のカップへと視線を落とした。


派手に立ち回り、自らを誇示する者ほど、その意図は透けて見えやすい。

本当に恐ろしく、そして厄介なのは。

何もせず、ただそこに在るだけで着実に評価を積み重ねている相手なのだ。


その後も、茶会は形の上では穏やかに進んでいった。


季節を彩る菓子の意匠について。

間近に迫った祝賀の装い。

あるいは、王宮を賑わせる流行の旋律や、新たに整えられた庭園の噂。


交わされるのは、どれも表向きは当たり障りのない話題ばかりだ。

けれど、その水面下では、言葉選びのひとつ、視線の置きどころひとつにまで、互いの意図が滲んでいる。


誰の一言で、話題が自然に切り替わったのか。

誰が一歩引いたのか。

誰が、わずかに焦りを見せたのか。


銀のポットから紅茶が注ぎ足され、カップの中身が入れ替わるたびに、時間だけが静かに積み重なっていく。

だが、場の空気が緩むことは微塵もなかった。

むしろ、時が経つほどに、理性をじわじわと摩耗させる、淀んだ空気が色濃くなっていく。


笑顔を保つこと。

相手の言葉を受け流すこと。

余計な感情を表に出さないこと。


――それらすべてを完璧に遂行し続けなければならないこの時間は、やはり消耗が激しい。


これが、王太子妃候補のお茶会。

優雅な笑顔の裏側で、目に見えぬ刃を交わす場所。

指先の動き一つ、言葉の端に宿る含みに至るまで、一瞬たりとも気を抜くことは許されない。

何度この場を経験しても、精神が削られるようなこの感覚に慣れることなど、到底できそうになかった。


「お時間です」


部屋の端に控えていた侍女の促しを受け、三人はそれぞれに優雅な一礼を交わして席を立った。


先にクリスタ様が静かに部屋を辞し、続いてエリーズ様も扉へと向かう。

だが、その足が止まったのは、ちょうどわたくしの傍らを通り過ぎようとした瞬間だった。


エリーズ様は不意にわたくしの方へと振り返ると、その唇に、何かを物語るような意味深な含みを持たせてみせた。


「ヘスティア様。祝賀、楽しみですわね」


 * * *


廊下へ足を踏み出すと、壁際で控えていた専属侍女のリリムが、わたくしの姿を認めて深々と頭を下げた。

それから、衣擦れの音さえ立てぬ滑らかな動きで、ごく自然にわたくしの一歩後ろへと位置取る。


「帰りましょう」


歩を進めながら、わたくしは誰にも悟られぬよう小さく息を吐き出し、強引に気持ちを切り替えた。


王太子妃候補の座から、いかにして穏便に、かつ確実に退くか。

そのための具体的な策は、未だに何ひとつ定まってはいない。

二週間後という祝賀の期日を思えば、思考はどうしても焦りに支配されそうになる。


自室に戻り次第、もう一度リリムと対策を練らなければいけない。

――時間がない。


「お嬢様」


わたくしを呼ぶ彼女の声が、わずかに低く沈んだ。

その声音に宿ったただならぬ気配に、無意識のうちに歩調が緩む。


リリムは周囲に聞き耳を立てる者がいないか一瞬で確かめると、わたくしの耳元へ顔を寄せ、密やかに囁いた。


「スタイナー令嬢が……祝賀の場で、何か仕掛けてくる可能性があります」


その言葉は、廊下の静けさに溶け込むほどに小さく、秘めやかだった。

断定には至らない――それでも、無視するにはあまりに材料が揃いすぎている。


リリムがこの声音で口を開くとき、それは根拠なき憶測ではなく、集め得る限りの情報を精査した上での“警告”に他ならない。


わたくしは視線を前方の一点に据えたまま、深く、ゆっくりと肺を膨らませた。

冷えた空気とともに、先ほどのお茶会の光景が鮮明に脳裏に蘇る。


崩れぬ柔らかな微笑。

他者を圧倒する、余裕を湛えた声音。


――もし、あの揺るぎなき態度が、単なる自信によるものではなかったとしたら。


「そう……準備を急ぎましょう」


一言だけそう応じると、わたくしは再び前を向いて歩き出した。

祝賀は、単なる慶辞を交わすだけの場では終わらない。

その事実を、重い現実として改めて突きつけられた気がした。

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