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盤上遊戯

※本作には薬理・医療に関する描写が含まれます。

苦手な方はご注意ください。


人も盤上遊戯と同じだ。

配置と役割で結果が決まる。

誰をどこに置き、いつ動かすか――それだけで、結末の大半は定まるのだから。


むろん、警備すら例外ではない。

今回の祝賀の場には、例年になく厳重な警備が敷かれている。

来賓の持ち込み品はすべて検分され、給仕の動線はあらかじめ統制され、供される飲食物も王宮側で一括管理している。

毒物混入は、最も警戒される事態のひとつだ。

それゆえ、外部から何かを紛れ込ませる余地など、ほとんど残されてはいなかった。


だが、不可能なわけではない。

人の行動をほんの少し誘導するだけで、厳重な検分をすり抜ける道は生まれる。


問題は、作戦の要となる「ラディエル抽出液」――無色無臭の鎮静薬の効果持続時間が極めて短いことだ。

摂取が早すぎれば式の最中には痕跡が残らず、逆に遅すぎれば異変は祝賀の外で起き、こちらの望む評価には繋がらない。

つまり――祝賀の、まさにその最中に彼女の口に含ませるしかないのだ。


仮に別の薬を用い、侯爵家への差し入れという形を取ったとしても、それがヘスティア嬢の口に入る保証はない。

同席者が口にするかもしれないし、給仕の段階で取り分けられる可能性もある。

誰が、いつ、どれを手に取るかは制御できない。

その不確定要素が紛れ込んだ時点で、計画の確実性は瓦解する。


まして祝賀の最中、厳重な警備の内側で、一介の文官に過ぎないオレが自由に動けるはずもない。

だからこそ、その役目は他者に委ねるしかなかった。

その人物の傍にいて、自然に手を伸ばせる者に。


そこで盤上へ引きずり出すことにしたのが、エリーズ・スタイナー伯爵令嬢だ。

彼女は、実に予測しやすい人間だった。

少し自尊心を持ち上げてやり、同時にほんの少しの不安を与えてやれば、あとは勝手にこちらの望む方へと走り出す。

現に、ラディエル抽出液を入手したという情報も、すでに確認済みだ。


ただし――接触の仕方には、それなりの配慮が必要だ。

万が一、彼女が計画に失敗したとしても、こちらへ疑念の目が向くような形は避けたい。


王宮の回廊は、時間帯によって光の入り方が変わる。

特に西側の回廊は、昼時の反射光が苛烈なほどに強い。

白い石壁と床に跳ね返った眩い光は、そこに立つ人間の輪郭や色味を、わずかに滲ませてしまう性質を持っていた。


あの場所なら、オレの本来の髪と瞳の色は、実際よりもずっと明るく――それこそ、ほとんど金に見えるはずだ。

さらに眼鏡をかけ、仕事の際は常に束ねている髪を解いてしまえば、それだけで人間の印象などは大きく変貌する。


知人が見れば「少し雰囲気が違う」程度で済むが、初対面の彼女にとっては、その歪んだ姿こそがそのまま「記憶の像」として焼き付くことになる。

後にどれほど必死に思い返そうと、網膜の裏には曖昧な光の外見情報しか残らない。

あとは、言葉を置くだけだ。


「オルドリッジ令嬢とスタイナー令嬢の差はごく僅かだと感じております」


「祝賀当日の印象が、そのまま結果に結びつく可能性は高いかと」


断定はしない。

選択を促しもしない。

ただ、材料だけを目の前に差し出す。


人という生き物は、自分に都合の良い解釈を選ぶものだ。

「あと僅かで届く」という甘い希望と、「一歩間違えれば落選する」という焦燥。

その二つを同時に突きつけられた状態であれば、なおさらに。

彼女もまた、王太子妃という座を掴むために自らの意志でその盤上へ上がったのだ。

その結果がどう転ぶかまでは、こちらのあずかり知らぬことだ。


――さて、ここからが本番だ。

ヘスティア嬢を確実に王太子妃候補から外すには、もみ消しが不可能な祝賀の場を利用するしかなかった。

軽い失態では弱く、単なる体調不良では言い訳が立つ。

かといって毒混入のような国家問題に発展するものは重すぎるし、命を脅かす気もない。


オレが狙うのは、あくまで「制度上、切らざるを得ない懸念」だ。

軽度の眩暈、立ちくらみ、顔面蒼白、動悸、一時的な平衡感覚の乱れ……そのいずれかで十分だ。


あとは、スタイナー令嬢が使うあの薬――ラディエル抽出液を用いて、いかにしてこの目論見通りの反応を「作る」か、だが。

それは、ヘスティア嬢の体調条件を逆手に取ったものだ。


祝賀が催されるのは夜。

候補者たちが、己の未来が決まるこの運命の日に、緊張を覚えないはずがない。

加えて、熱気のこもる会場は暑い。

その上、女性は美しさを誇示するためにコルセットで腰を締め付け、当日の食事量も極端に控えている。

つまり、薬を盛る以前に、彼女の身体は軽い低血糖と脱水を引き起こしやすい状態にあるのだ。


そこへ、ラディエル抽出液に含まれるごく微量の鎮静成分と、祝賀の席で供される果実酒、そして空腹が重なれば、ふらつきや眩暈程度の反応は十分に起こり得る。


本来は、不眠や神経過敏の鎮静、術前の不安緩和などに用いられるものだ。

それ以上の、致命的な影響を及ぼす類のものではない。


ただ、空腹時においては格段に吸収が早まる。

それこそが狙いだった。

どれほど微量であっても血中にその痕跡が残れば、医師は「ただの体調不良」で片付けるわけにはいかず、「薬の影響を完全に否定することはできない」という解釈の余地を、公式な記録に刻まざるを得なくなるのだ。


これさえ残れば、仮にヘスティア嬢が健やかさを取り戻したとしても、以前と同じようには扱われない。

「万全ではない者を、次期国母として据えるのか」――その問いが生まれた時点で、彼女の既定路線に近かった王太子妃選定とて、揺らがざるを得ない。


というのも、二十七年前の事例があるからだ。


当時、現国王には別の王妃が選ばれていた。

だが選定の直後、その王妃は不自然な薬理反応を起こしている。

当時は軽度の発作として処理され、公には大事にならなかったが、医療記録にはその事実が克明に残された。


そして数年後、悲劇が起きる。

その王妃は、出産の際に重大な事故を引き起こしたのだ。

急激な血圧変動と、激しい痙攣。

直接的な原因こそ断定されなかったものの、公式の記録にはこう遺されている。

「体質的な薬理反応の不安定性が、何らかの影響を及ぼした可能性を否定できない」と。

結果として王妃は亡くなり、世継ぎを急ぐ王家は、新たな王妃を迎えざるを得なくなった。


だが、かつての選定で落とした令嬢たちを呼び戻すなど、王家としての体裁が許さない。

そんな無作法をすれば、彼女たちの実家である貴族家との関係に決定的な亀裂が入る。

かと言って、他の有力な令嬢たちはすでに他家へと嫁いだ後だった。

ゆえに王家は、大々的な儀を執り行う時間すら惜しみ、独自の網で現在の王妃を秘密裏に、かつ迅速に選び出したのだ。


つまり王家にとって、薬の影響が安定しない体質とは、単なる一過性の体調不良などではないのだ。

将来の世継ぎに直結する、絶対に看過できない懸念として、彼らの記憶に深く刻み込まれている。


王宮という場所は、伝統を重んじる。

だがそれと同時に、悪しき前例となることを何よりも恐れる場所でもあった。

王妃の健康問題は、そのまま王統の存続問題に直結する。

とりわけ出産時の事故は、過去の歴史においても幾度となく政争の火種となってきた。


だからこそ――その体質が「客観的な不適格」として証明されれば、国王とて国家安定のために彼女を切り捨てるほかなくなる。

かつて自らもその渦中にいた王妃なら、なおのことこれを危険視するはずだ。

王太子がどう動くかは未知数だが、最終的には国王の判断に従うだろう。


ならば、オレのやるべきことは一つ。

王宮文書標準化事業の一環として、過去の王太子妃候補たちの記録を整理し、さりげなく医師の手に渡す――ただ、それだけだ。


祝賀の儀が近づくにつれ、医療部では候補者たちの体調管理に関する確認業務が増大していた。

帳簿が回り、署名が重なり、注意事項が共有されていく。

誰もこれから起きる「事件」を予想などしていない。

彼らはただ、万が一の可能性を忘れないように、真面目に仕事をしているだけだった。


そこまで舞台を整えて、あとは当日を待つだけだ。

ここで失敗すれば、彼女は二度とオレの手の届かない、あまりにも高い場所へ行ってしまう。

それだけは――何があっても避けねばならなかった。

もし仕損じれば、これまでに巡らせた策も、費やした労力も、すべてが水の泡と化す。


エリーズ・スタイナーは、王太子妃になるために動く。

オレは、ヘスティア嬢を王太子妃から外すために動く。

二人の利害は一見して重なっているが、その根底にある思惑はまったくの別物だ。

だからこそ、この歪な構図は互いを邪魔することなく、ただ一つの結果へ収束する。


それぞれが、それぞれの思惑を胸に抱えたまま――祝賀は静かに幕を開ける。


王宮の大広間は、磨き上げられた大理石の床に無数の燭光を映し、金と白を基調とした絢爛な装飾が天井まで連なっていた。

高窓からは青白い月光がかすかに差し込み、無数の燭台の暖かい炎と溶け合って、広間全体に幻想的な陰影を落としている。


王族席の周囲には、淡い色彩の花々が整然と配されていた。

白や淡桃、薄い金色を帯びた花弁が金の装飾にやわらかな陰影を添え、祝賀の場にふさわしい華やぎを添えている。

ただし、香りはほとんど立たない。

人が長く集う場で余計な刺激を排するのは、この王宮における鉄則だ。


柱の根元や壁際にも、同じ色調で揃えられた花の意匠が控えめに繰り返され、視線を乱すことなく空間に調和をもたらしていた。

飾りすぎず、しかし質は最高級のものを――いかにも王宮らしい、計算された配分だった。


祝うための場であり、同時に選ぶための場。

この広間は、見栄えと同等かそれ以上の意図によって構築されている。

楽団の奏でる旋律が穏やかに流れる中、招かれた貴族や官僚たちがそれぞれの席へと着いていく。


オレは文官席の前方に位置を取り、祝賀の進行書を手にしていた。

形式上はただの記録係にすぎないが、その視線はすでに盤面全体を測っている。

王族席からは一段の距離があるものの、会場全体を見渡すには絶好の場所だ。

候補者卓の細部――令嬢たちの細かな表情までは追えずとも、その一挙一動を把握するには、これで十分だった。


やがて厳かに開会の号令がかかり、重厚な中央扉が左右へと開かれた。

最初に姿を現したのは、国王と王妃であった。

広間に集った全員が揃って起立し、深く臣下の礼を捧げる。

二人は並んで王族席へと進み、優雅な所作で着座した。


続いて、一段と高い声で改めてその名が告げられる。

祝賀の主役たる、王太子の入場だ。

そのすぐ後ろには、王女が静かに一歩控えて従っている。

若き主役の登場に、貴族たちの熱を帯びた視線が一斉に前方へと注がれた。


「本日は、我が王太子の生誕を祝う席に参列した諸侯、ならびに諸官に、まず感謝を述べる」


国王はゆるやかに広間を見渡し、朗々とした言葉を継いだ。


「同時にこの場は、王太子妃選定における最終の節目でもある。諸卿らには、これまでの過程と同様、候補者たちの資質と振る舞いを見届けてもらいたい」


わずかに間を置き、厳粛な声音で宣する。


「これより、祝賀を開始する」


国王の声が収まると同時に、広間の視線が一斉にその隣へと移った。

王太子が一歩、わずかに前へと歩み出る。


「本日は参列に感謝する。短い時間ではあるが、どうぞ楽しんでほしい」


熱を帯びる広間の空気とは裏腹に、その声には抑揚がなかった。

向けられた無数の視線を浴びながらも、王太子の表情には波一つ立たない。

ただ淡々と落とされたその言葉が、かえって彼という存在の底知れなさを広間に印象付けていた。


その余韻が消えぬうちに、次いで王太子妃候補たちの入場が告げられた。

宮廷式部官によって名が一つずつ厳かに読み上げられ、三人の令嬢が順に姿を現す。


エリーズ・スタイナー。

クリスタ・ハメット。

ヘスティア・オルドリッジ。


家名と略歴が広間に響く中、三人は王族席の前で優美に一礼し、それぞれ定められた卓へと着いた。

貴族たちは一様に穏やかな笑みを浮かべながらも、その鋭い視線は壇上へと注がれている。

視線、所作、声量、立ち位置――彼らが見ているのは貴族としての華やかさだ。


だが、オレが見るものはまったく違う。

足取りの安定、呼吸の乱れ、あるいは間の取り方。

これから背負うであろう、王太子妃という長時間の過酷な公務に耐えられるかどうか。

その適格性は、すべてこうした細部にこそ表れる。


候補者たちが和やかに言葉を交わす傍らで、居並ぶ貴族たちは獲物の隙を窺うような視線を走らせていた。

彼らが期待しているのは、王太子妃候補たちが見せる一瞬の動揺にほかならない。

たとえ今この場で直接手は下せずとも、ここで見出したわずかな瑕疵は、後に彼女たちを社交界の奈落へと突き落とすための格好の武器になる。

たとえ誰が妃の座を手にしたところで、一度ついた汚点は生涯消えることはない。

彼らはその綻びを何年、あるいは何十年もかけて執拗に突き崩し、未来の妃を敬われることのない孤独な偶像へと追い込んでいくのだ。

穏やかな賑わいの裏で、その静かなる処刑の準備が、着々と、しかし確実に進められていた。


やがて、厳かに配膳が始まった。

給仕たちが差し出す銀の杯を、候補者たちはそれぞれの席に着いたまま受け取っていく。

候補者たちの卓は王族席に近く、周囲には侍女や近衛兵の視線が幾重にも交錯していた。

余計な接触など、本来なら不可能なはずの場所。

だが――


オレは視線を上げたまま、あえてその細部を追わない。

駒がどこでどう動くか、そのすべてをわざわざ目で確かめる必要などなかった。

動くべきものは、もう動いているのだから。


合図に合わせ、広間の列席者が一斉に立ち上がる。

乾杯の音頭が厳かに告げられた。

当然、候補者たちの卓にも無数の視線が集まる。

王太子が静かに杯を掲げ、その起伏のない声で、祝意を述べた。


杯が上がり、そして下ろされる。

皆が果実酒に口を付け、しばらく経った頃――。


候補者卓の一角に、わずかな揺らぎが生じた。

それは極めて小さな変化であるがゆえに、かえって奇妙に目を引いた。


ヘスティア嬢が、不自然に一歩後ろへ退く。

その異変に気づいたのだろう、隣のハメット令嬢が何かを問いかけるように顔を寄せた。

だが、この距離では言葉までは届かない。


彼女は、一度だけスタイナー令嬢の方へと顔を向け、次いで、力なく自身の手元にある杯へと落とした。


いくら俯瞰して策を巡らせようと、人は神にはなれない。

現場には常に、想定を超える何かが起きる。


ぐらり、とヘスティア嬢の身体が大きく傾き、ハメット令嬢がとっさに手を伸ばした。

だが支えきれず、巻き込まれるようにして彼女自身も床へ膝をつく。

その腕に半ば身を預けるようにして――。

ヘスティア嬢は床へと倒れ込み、手から杯が零れ落ちた。

贅沢な硝子の杯は、厚い絨毯の上を鈍い音を立てて転がっていった。


――想定よりも反応が大きい。

ヘスティア嬢が倒れた瞬間、心臓が跳ね上がり、呼吸が止まるかと思った。

駆け寄りたいという衝動が全身を突き動かそうとするのを、オレはぐっと押し殺す。

いま自分に求められているのは、感傷に流された介抱ではない。観察だ。


誰が最初に彼女へ手を伸ばしたのか。

その刹那、各人がどの位置に立っていたのか。

彼女の手から離れた杯が、どこへ落ち、どの向きで止まったのか。

侍医が呼ばれてから到着するまでに、どれほどの時間が経過したのか。

そうした一つひとつの詳細が、残される公的な記録になる。

そして記録とは、単に事実を積み上げるだけのものではない。

事実にどのような意味を持たせるか、その方向性を定めるための絶対的な土台となるのだ。


広間のざわめきは、やがて囁きへと変わっていく。

祝賀の華やぎは瞬く間に剥がれ落ち、代わりに残されたのは、状況を見極めようとする無数の視線だった。


王族席の近くで、にわかに動きが起こる。

しかし、王太子は席を立とうとはしなかった。

ただ、その視線だけは一度、候補者たちの卓へ鋭く向けられた――ように見えた。


「静まれ。彼女をただちに医務室へ」


駆けつけた侍医の指示のもと、ヘスティア嬢は侍女たちに半ば抱きかかえられるようにして、その場を後にした。

大広間に、緊張が落ちる。

文官席の距離からは、壇上の細かなやり取りまでは聞き取れない。

ただ、王族席の近くでハメット令嬢が毅然とした態度で何かを進言し、それに国王が静かに頷いたのだけははっきりと見て取れた。


「祝賀はここで中断する」


国王の宣言は静かだったが、それゆえに広間全体を凍りつかせるだけの威力があった。

楽師たちは一斉に弓を下ろし、貴族たちは息を潜めて低い囁きを交わし合う。

もはや、生誕を祝う空気など微塵も残っていなかった。


候補者席では、ハメット令嬢がスタイナー令嬢に顔を向け、様々な視線を浴びる本人は、ただ俯いているだけだった。


あー……。

これは、少しばかりしくじったか。


スタイナー令嬢が望み通り王太子妃の座に就こうが、あるいは失脚しようが、オレにとってはどちらでも良かったのだが。

どうやら、結末は後者になりそうだ。


彼女は、この作戦の成功率を上げるための便利な駒に過ぎない。

万が一、直前になって怖気づき、ラディエル抽出液を使わなかった場合のために他の手段もいくつか考えておいたのだが、杞憂だったしな。

予定通りに動いてくれたおかげで、随分と短期決着がつきそうだ。

感謝はしてるが、手助けは出来そうもないし、元よりするつもりも無い。


盤上は動いた。

あとは、事前に整えておいた理屈を、然るべき場所に配置するだけでいい。

どの情報を、どの順番で、どの部署の判断材料として記録に残すか。

あるいは、どのような言葉を使ってその診断内容を公文化するか――それこそが、文官の仕事だ。


オレはゆっくりと息を吐いた。

医師の診断、国王の政治的判断、王妃の過去の記憶――。

準備したこれらすべてが、狙い通りに噛み合えば、ヘスティア嬢は王太子妃の座という茨の道から外れる。

あとは、この盤面が崩れないよう、最後の調整を行うだけだ。


――と、思ってたんだけど……。


……局面は、ずいぶんとあっさり決着に向かいつつある。

本来なら、ここからあと二手三手はかけるつもりだった。

想定していた手順で外堀を埋めて――そこでようやく、完全な「詰み」を迎えるはずだったのだ。


なのに、いざ蓋を開けてみれば、最初の診断が出た時点でほぼ終わりだった。

というのも、ヘスティア嬢には、「薬の影響かもしれない」という余地など残されておらず、本当に体質そのものに問題が浮上したらしい。

白黒のつかない曖昧な状態であれば、社交界も彼女をそこまで容赦なく切り捨てはしないだろう――そんな甘い目算は、一瞬で吹き飛んだ。


彼女の体質――それを知った瞬間、背筋が凍った。

自分のしたことを今更、正当化するつもりはない。

だが、もし、何もしなかったら……。


後にその事実が露呈して、その座を追われていたか、もしくは血脈を繋ぐ代償として文字通り身を捧げていたか。

あるいは、義務を果たせぬ例外措置として側妃を迎えられ、冷え切った宮廷で生涯肩身の狭い思いをした可能性もある。

どちらにせよ、数年後に起きるその悲劇は、今回の比ではないくらい深刻な事態になっていたはずだ。


今の彼女は、突然断たれた未来に深く落胆しているかもしれない。

けれど、いつか前を向いてほしい。

そのうち、王太子妃の権力などより、ずっと価値のあるものを見つけられるかもしれないから。

……なんて、これもオレの独善的な思い込みに過ぎないけれど。


結局、彼女の了承も得ず、ただ自分の欲を優先した結果が図らずも「王家の生贄」という残酷な役目から引き剥がしたのだとしたら、これ以上の皮肉はない。


そんなことを考えていたらいつの間にか、足は医務室の方角へと向かっていた。

その途中でヘスティア嬢が目を覚まし、意識もはっきりしているという話が耳に入り、胸をなでおろす。

しかし、知人とはいえ婚約者でも家族でもないオレに見舞いへ行く資格はないのだと気づき、歩みが止まる。

目と鼻の先に彼女がいるというのに、立場という壁がオレを阻む。

もどかしさに拳を握りしめ、廊下の先にある閉じられた医務室の扉を見つめた。

――いや、これでいい。

自らにそう言い聞かせ、未練を断ち切るべく踵を返した。

ディノの作戦が分かりにくかった、という方へ。

簡単にまとめるとこのような流れです。


・緊張、空腹、アルコールといった悪条件を利用し、ラディエル抽出液で軽い体調不良を引き起こす。

・血中に痕跡があれば、医師は「薬の影響を否定できない」という公式記録を残さざるを得なくなる。

・「薬への懸念」という記録が残った以上、王家は過去の前例からヘスティアを王太子妃に選べない。


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