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案内という名の逢瀬

お兄様からの書状が届いたのは、柔らかな雲が空を白く覆い、午後の光が影を落とす、凪のような静かな午後のことだった。


封蝋に刻まれているのは、見慣れた我が家の家紋。

けれど、その押し方はどこか雑で――一体どれほどの急用か、あるいは、いかなる焦燥に駆られてペンを執ったのかと、密かな疑問が脳裏をよぎる。


ゆっくりと封を切り、紙を広げる。

記されていた内容は、実に簡潔なものだった。


ディノ様が文官として随行し、ペネロペ王女殿下が外遊の名目でこの地を訪れること。

そして――ついでのように書き添えられていたが、お兄様も王女殿下の婚約者として同行するらしい。

必要事項だけを並べた、実務的な文面。

……そこまでは、よかった。


しかし、その下に続く数行を視界に入れた瞬間、静かに紙を折りたたんだ。

――読む価値はなさそうね。


本来自分が歩むはずだった、茨の道に兄を突き落としたこと。

わずかに疼いていた罪悪感は、その罵詈雑言を見た瞬間、霧散した。

だいたい、お兄様もわたくしを利用して自らの繁栄を築こうとしていたのだから、お互い様というものだ。

わたくしは即座に思考の扉を閉ざし、その文面を意識の底へ、跡形もなく葬り去った。

封蝋がこれほどまでに乱れていた理由も、合点がいった。

きっと、やり場のない怒りに身を任せていたせいね。


それよりも、王都から遠く離れたこの地では、噂も情報もほとんど入ってこない。

だからこそ、あの時の王女殿下と話した“夢物語”が本当に実行されたとは手紙に目を通すまで知らなかった。


わたくしは、そっと瞳を閉じ、今しがた読み終えたばかりの内容を、静かに反芻した。

まさか、殿下自らお越しいただけるとは……。

そして――お仕事とはいえ、ディノ様までも。

内側からじわじわと、形のないぬくもりに浸されていく。


久しぶりに会える。

それだけで、十分に嬉しいはずなのに。

けれど同時に、はっきりとした確信が胸の内に芽生えていた。

――これは、勝負どころだわ。

ここで何もできなければ、次にいつディノ様に会えるか分からない。

恋愛指南書で叩き込んだ知識、その集大成を披露する時が来た。

そして彼を振り向かせるのよ。


療養地に来る前、わたくしは王宮に縛られていた。

王太子妃候補という立場が、言動のひとつひとつに枷を嵌めていた。

けれど、今は違う。

少なくとも互いに未来を約束した婚約者はいない。

以前よりも、ずっと――距離は近づけるはずだ。

だからこそ、この機会を、逃すわけにはいかない。


「――リリム」


呼びかけると、控えていた侍女がすぐさま一歩前へ出る。


「屋敷の掃除を、いつもより念入りに。それから客間の装飾も、少し趣向を変えましょう」


指示を出しながら、自然と足取りが軽くなるのを自覚する。

窓辺のカーテンの色、花の配置、香りの選び方――些細なことひとつで、印象は変わる。

準備できることは、すべて整えておきたい。


内側から湧き上がる熱が、心地よい緊張へと形を変えていく。

失敗は、出来ない。

わたくしは小さく息を整え、再び部屋を見回した。

やるべきことは、まだ山ほど残っているのだから。


数日後。

侍女や護衛を引き連れた数台の馬車が、屋敷の前庭へと滑り込んできた。

わたくしをはじめ、使用人たちは玄関先で背筋を伸ばし、その一行を恭しく出迎える。


馬車の扉が開き、先に降りた兄が王女殿下へと手を差し伸べる。

その様を見て、兄も少しは淑女への接遇を心得たのかと感心したのも束の間、こちらへ歩み寄ってくる二人の姿が目に飛び込んできた瞬間、わたくしは思わず絶句した。


そこには、これ以上ないほど露骨な仏頂面を晒す兄の腕に、しがみつくようにしてぶら下がる王女殿下の姿があった。

おそらくは婚約者同士、親密なエスコートを演出しているつもりなのだろう。

あいにく二人の身長差がありすぎるせいで、その姿は優雅な歩みとは程遠い。

むしろ殿下は、大股で歩く兄に小走りで引きずられているようにしか見えないのだ。

後方に続く護衛や侍女たちも、不安げな面持ちでその危うい道行きを見守っていた。

正式に婚約者となったのであれば、もう少し殿下への気遣いというものを学び直すべきではないだろうか。


お兄様、そのうち不敬罪で捕まるのではないかしら……。


そんな呆れ混じりの視線を奥へ流した、その時だった。

一行の後方に、ディノ様の姿を見つけた。

最後にお顔を拝見してから、およそ三ヶ月。

手紙のやり取りは欠かさずとも、視界に入る距離に彼がいるのはあまりに久しぶりのことで。


ふと、彼と視線がぶつかる。

わたくしに気づくと、ふわりと、春の陽だまりのような微笑みを向けてくれた。


ああ……本当に、ここにいる。

目の奥がじんわりと熱くなる。

先ほどまでの兄への呆れなどどこかへ吹き飛んでしまい、ただ本物の彼が目の前にいるという事実に、静かな感動を覚えていた。

深く息を吸い込み、あふれ出しそうな想いを無理やり胸の奥に押し込める。

震える声を整え、精いっぱいの敬意を込めて殿下にカーテシーを捧げた。


「本日は、お越しくださりありがとうございます、王女殿下」


ようやく挨拶の言葉を紡ぎ出したわたくしに、彼女は鈴を転がすような愛らしい声で、事もなげに仰った。


「構わなくてよ。未来の義妹を心配するのは、当然のことですもの」


慈愛に満ちているようでいて、逃げ場を許さないその宣言。

隣に立つお兄様が、こみ上げる頭痛を堪えるように額を押さえた。


応接室へ案内し、リリムが静かに茶を淹れる。

香り立つのは、わたくしが独自に調合した茶葉だ。

幸いにも街の人々には好意的に受け入れられていたこの香りを、殿下も手紙を通じて心待ちにしてくださっていたらしい。

運ばれてきたカップを見つめる彼女の視線が、期待に細められる。


ひととき、茶器の触れ合う音だけが応接室に響いた。

ひと口含み、ふぅと満足げに一息ついた彼女が、わたくしを見据えて微笑む。


「視察は昨日で一通り終えましたもの。……今日は“余白”の時間ですわ」


その言葉通り、彼女は山積していた公務を昨日までにすべて片付けてみせたらしい。

過密を極めた日程を滞りなく終えた者だけが許される、余裕に満ちた微笑みだった。


「ですから、今日は街を見てみたいです。護衛は二名、距離を置いて。人目のある場所では干渉を禁じます」


そう宣言するやいなや、殿下は立ち上がり、隣に座る兄の腕を急かすように引いた。

だが、王女の細腕で成人男性を動かせるはずもない。

兄は諦めたように、ため息を吐いた。


――あの表情。

ただ王女殿下に振り回されているわけではない。

冷徹に状況を測り、どこまでを許容範囲とするかを見極めている目だ。


結局、兄は渋々といった体裁を取りながら、彼女に引きずられるような足取りで部屋を後にした。


二人の後ろ姿を見送りながら、わたくしはふと不安に駆られた。

まだ幼さの残る可憐な美少女と、鋭い眼光を放つ黒ずくめの青年。

そのあまりに不釣り合いな組み合わせは、客観的に見て「危険」の一言に尽きる。


「お兄様、誘拐犯に間違われないかしら……」


不意に近くから漏れ聞こえた笑い声に、わたくしはハッとした。

どうやら、無意識に心の声が溢れ出してしまったらしい。


「ヘスティア嬢の目にはそんなふうに映っていたんだね。……まあ、実を言うとオレも同じことを心配してたんだけど」


ディノ様は軽やかな口調で言いながら、わたくしの素直さを面白がるような色を瞳に宿した。


「でも問題ないよ。後ろから護衛も付いていってるから本当に間違われたとしても、大事にはならない」


その言葉に安堵しつつも、平然と二人を見送った彼へ小さな疑問が芽生える。

王女殿下は余白とは言っていたけれどディノ様はこの場に残っていても構わないのだろうか。


「……あの、よろしいのですか? 文官として、あちらに同行しなくても」


「この後は自由に過ごしていいと許可をもらっているんだ」


何気ない言葉の響きに、わたくしの心臓は密かに跳ねた。

つまり、今の彼は誰の目も、公務の縛りも受けない「自由な身」なのだ。

ようやく再会できたというのに、侍女が控えるこの部屋で、ただ形式的なお茶を飲み交わすだけで終わってしまうのは、あまりに惜しい。

淑女ならば、微笑んで大人しくしているべきだろう。

けれど、冷めていくお茶の湯気が、まるで残された短い時間のようで、焦燥ばかりが募る。


……わたくしも、勇気を出してお誘いするべきではないかしら。

『殿方を虜にするには、時には大胆な不作法こそが特効薬』――あの秘術の書に綴られた禁断の一節が頭をよぎり、三ヶ月の空白を埋めたいという願いが、内側で静かに、けれど熱く疼きだす。


窓の外に広がる、どこまでも澄んだ青空。

もしあそこへ、彼と一緒に踏みだせたなら。


……そうだわ、名案がある。

ただ「お散歩に」なんて誘い方では、まるで恋人同士の「逢い引き」のようで、彼を戸惑わせてしまうかもしれない。

けれど、この地の「街案内」を口実にすれば……。

そう、あくまで案内役として外へと連れ出すのなら、決して不自然ではないはず。

きっと彼も、変に警戒することなく応じてくれるだろう。

そうして自然な形で時を分かち合い――あとは、この三ヶ月で学んだ戦術をもって彼を倒す……いえ、落とすのよ!


自分でも強引な理屈だとは分かっている。

けれど、その大胆な思惑が、今のわたくしを強く突き動かした。


もし、よろしければ――

意を決してそう紡ごうとした、その時だった。


「実は、この地の物価や流行を把握しておきたいのだけれど……男一人では浮いてしまうかな、と思って」


彼は少し困ったように眉を下げ、わたくしを見つめた。


「手紙で君が教えてくれたことが、どれも興味深くてね。よければ女性の視点から意見を伺いたいんだけど……街を、案内してもらえないかな?」


――まあ!


それは、まさにわたくしが伝えようとしていたこと。

まさか彼の方から先に、その手を差し伸べるような言葉をくれるなんて。

思ってもみなかった幸運に、そして何より、手紙の内容を大切に覚えていてくれたという喜びに、視界がぱっと明るくなる。

その眩しさに、あやうく全てを忘れ、ただの幸せな少女として頷いてしまいそうになった。


……いけない、しっかりしなくては!

危うく、彼の無自覚な策略によって目的を見失い、不戦敗を喫するところだったわ。


「ええ、もちろんですわ。わたくしでお役に立てるのなら、喜んで」


内心の昂ぶりを悟られないよう、必死で緩みそうになる頬を抑え、精一杯おしとやかに微笑んで頷いた。


部屋の隅で控えていたリリムへ視線を送れば、彼女は心得たように深く一礼した。

主人の名誉を損なわぬよう、けれど二人の時間を邪魔せぬように彼女は影のようにその気配を消した。


十分後に各自支度を済ませて玄関に集合。

そう決まってからの動きは早かった。

といっても、わたくしの準備は化粧と衣装をわずかに整え、自分で稼いだ硬貨を忍ばせる程度のことだ。


約束の時間に玄関口へ向かうと、そこにはすでに彼の姿があった。

驚いたことに、彼は文官としての権威の象徴である上着を脱ぎ捨て、髪紐を解いてくつろいだ装いになっている。

おそらく、正確な情報を掴むための彼なりの策なのだろう。

仰々しい官吏の姿を捨て一市民の視点に立つことで、より確かな物価や、若者の間で本当に流行している「生の声」を拾いやすくしているのかもしれない。

それなのに、彼があまりに自然体なものだから、まるでこれからデートに行くような錯覚に陥ってしまう。


つかず離れずの距離でリリムを従わせ、わたくしたちは真昼の街へと足を踏み入れた。

逃げ場もなく降り注ぐ強い日差しが、石畳の上に白く熱く降り積もっている。


隣を歩く彼は、わたくしの歩幅に合わせて速度を落としてくれている。

そんなさりげない気遣いが、心に温かく染み入る。

陽光の下で見る彼は、屋内にいた時とは色彩が異なって見えた。

その輪郭に少しだけ知らない誰かが混じったような気がして、少し落ち着かなくなる。


「あちらに見えるのが……」


街の案内を兼ねて、何処に何があるのかを説明しながら並んで歩く。

わたくしの話に耳を傾けながら、彼は周囲に広がる穏やかな景色に、優しく目を細めていた。


「ここは、うちの領地に少し似ているね。空気の穏やかなところとか」


その台詞に、わたくしの脳裏では「恋愛指南書」の記述と、ラトナの助言が激しく反芻した。


――ソレっぽいことを言え、と。


今がその時ではないかしら。

わたくしは高鳴る鼓動を抑え、精一杯の勇気を振り絞って想いを口にする。


「でしたら、いつかわたくしも行ってみたいです。その、……二人で」


「二人で」という部分に、ありったけの想いを込めた。

熱くなる頬を隠すように俯き、彼からの甘い返答や、戸惑うような沈黙を期待して待った。

けれど。


「その時は、案内役を頑張らないとね」


彼は事も無げに、いつもの微笑みを返した。

……まったく、伝わっていなかった。

社交辞令としての言葉だと受け取ったらしい彼の横顔を仰ぎ見ながら、わたくしは心の中で、人知れず小さくため息をついた。


「王女殿下の外遊に同行するなんて、正直どうなることかと思ったけれど……来てよかったよ。ある程度は自由に動けるし、仕事だから給料も出る。それに――」


彼はどこか晴れやかな顔で、道中を振り返るように言った。


「仕事を手早く済ませてしまえば、移動中の馬車の中では意外と手持ち無沙汰でね。おかげで、久しぶりにゆっくり眠れたよ」


冗談めかした口調がふと影を潜め、隣を歩いていたディノ様の足音が止まった。

遅れて足を止めたわたくしが振り返ると、彼の視線は迷子にでもなったかのように地面へと落ちている。

吐き出した言葉の熱を冷ますような、わずかな沈黙が流れた。


「……何より、ヘスティア嬢の以前と変わらない姿を見て、ようやく落ち着けた気がする。ずっと気になっていたから」


言い終えると同時に、さらりとこぼれ落ちた前髪がその顔を完璧に覆い隠してしまう。

俯いたままの彼がどんな瞳をし、何を考えているのか。

今のわたくしには、それを窺い知る術はなかった。


「……君は、ずっとこのまま、この街にいたいと思う?」


伏せられたままの髪の向こうから、縋るような、あるいは拒絶を待つような声が響く。

その問いに、わたくしは静かに首を振った。

たとえ彼がこちらを見ていなくとも、その答えに迷いはなかった。


実際、わたくしは今、かつてないほど充実した日々を過ごしている。

新しい出会いに恵まれ、新たな試みも始めた。

身体の回復も順調だ。

貴族社会特有の刺々しさはなく、ただ穏やかな時間だけが流れている。

皮肉なほどに、この地は心地よい。

けれど、最初からここは「いつか去る場所」だと割り切っていた。


「いいえ。ずっと甘えていられるとは思っておりませんわ」


言葉にすると、自分の覚悟がより鮮明に形を成していく。

わたくしの本当の居場所は、ここではない。

この安らかな揺り籠に、いつまでも身を任せているわけにはいかないのだ。


「いつか、もう一度。息の詰まるあの世界へ戻る覚悟はできています」


迷いのない言葉を真っ向からぶつけると、彼の肩からふっと力が抜ける。

そのままゆっくりと顔を上げたその口元には、自嘲とも安堵ともつかない淡い笑みが浮かんでいた。


「……そっか、それを聞いて安心したよ。君は、ちゃんと前を見たままだったんだね。変なこと聞いて、ごめんね」


吹っ切れたようなその声に、空気が緩む。

邪魔な前髪を払い、わたくしを真っ直ぐに見つめ返した彼の瞳は、いつもの誠実で穏やかな輝きを取り戻している。

つい数秒前、彼の声に混じっていたはずの湿り気は、まるで白昼夢だったかのように綺麗に拭い去られていた。


「気にしないでください。では、案内の続きに参りましょうか」


とりとめもない会話を再開し、二人の足音がまた重なり始めた。

彼の歩幅は、先ほどよりも少しだけ力強く、迷いなく「現実」へと踏み出しているように感じられた。


しばらく歩を進めた先、涼やかな音色に誘われるように辿り着いたのは――

軒先に色とりどりの硝子を並べた硝子工房だった。


のどかな街の石畳には、急ぐ足音も、馬車の轟きもない。

ただ 眩しいほどの陽光が 降り注ぐ中、入り口の重厚な木枠のドアを押し開けると、細い硝子管が触れ合い、チリン、カランと涼やかな音が響いた。

まるで薄い氷がゴブレットの中で跳ねるような、高く澄んだ音色だ。

一歩踏み入れると、外の焦げ付くような暑さは影を潜め、肌をなでる空気はどこかひんやりと心地よい。


窓辺には職人が吹き上げた不揃いな形の瓶や、色とりどりの硝子玉が太陽の光を浴びて、店内の白い石壁にゆらゆらと光の波紋を映し出していた。

足元には赤や青、琥珀色の透き通った影が長く伸び、二人の歩みに合わせて万華鏡のように揺らめく。


「……ほぅ」


思わず、唇から感嘆の溜息が漏れた。

外の静寂とは打って変わった、光と色彩が織りなす幻想的な空間。

わたくしはまるで、魔法の森に迷い込んだ子供のように、きらめく世界に見入ってしまった。


中央の円卓には、深い紺色のベルベットが敷かれ、その上には厳選された品々が鎮座していた。

文官である彼の目が留まったのは、重厚な切子硝子に銀の蓋が設えられた、一際存在感を放つインク瓶だ。


「この銀の蓋、かなり気密性が高そうだ。大事な報告書の途中でインクが乾いてしまう心配も、これならなさそうだよ」


彼は瓶を持ち上げ、窓から差し込む熱に透かして見せた。

厚みのある硝子の底で、その歪みが陽光をねじ曲げ、まるで透明な液体が鈍く光を弾いているかのような錯覚を抱かせる。


「それに、こうして光に透かせば、澱んだインクも黒曜石のように見えるかもしれない。退屈な事務作業にも、このくらいの彩りは必要だよね?」


さらりと自嘲気味に笑ったあと、一度インク瓶を置く。

店内に溢れる色とりどりの輝きに目を細め、ゆっくりと壁際の棚へと歩み寄った。

そこには小さな硝子の動物や繊細な小物が、まるで宝探しを待つ宝石のようにぎっしりと並んでいる。

その棚の隅で、彼は一つの品に指を止めた。


「手紙に、最近は茶葉の調合が趣味になったって書いてあったでしょ? 茶葉を量るのにちょうどいいと思って。……案内のお礼に、贈ってもいいかな?」


彼が手に取ったその匙の端には、小さな硝子の飾珠がひとつ、銀の鎖で吊り下げられていた。

わたくしの瞳と同じ色をしたその雫は、細かく震え、窓からの光を反射してチカチカと可憐に瞬いている。


わたくしは驚きに目を瞬かせた。

手紙に綴った何気ない日常を彼が覚えていてくれたこと、そして、数ある品の中から「わたくしの色」を選んでくれたことが、何よりも嬉しくて。


「瓶から取り出すたびに、この飾りがキラキラと輝いて、きっとお茶の時間がもっと楽しくなりますわ。……ありがとうございます、大切にしますね」


わたくしは硝子店に満ちる光のような、柔らかな微笑みを返した。

ディノ様は返答に頷くと、店主に声をかけ、手早くインク瓶と茶匙の会計を済ませた。

小さな箱に納められた贈り物を受け取り、壊れ物を扱うように両手で大切に抱えた。


硝子細工店の明るい光に慣れた目に、次に訪れた銀細工店は、まるで深い森の奥にある書庫のような静けさを湛えていた。

重厚な木枠の棚は使い込まれて鈍い光を放ち、ほのかに金属を磨く研磨油の香りが漂う。

硝子の華やかさとは対照的な、一生を共にする道具だけが持つ、確かな重みと誇りがそこにはあった。


わたくしは壁際の小さな引き出しが並ぶ棚の前で、足を止める。

そこには、職人が丁寧に打ち出した銀の紙挟が並んでいた。

調合茶の覚え書きを留めた羊皮紙の束をまとめたり、読みかけの本の頁に印を付けたりするのに、それは誂え向きの品だった。

自分用に選んだのは、可憐な野の花の細工が施されたもの。

……これなら、無機質な羊皮紙の束も、少しだけ華やかになりそうね。


ふと、少し離れた場所で古い銀杯を眺めているディノ様の背中が目に入る。

わたくしは彼に気付かれないよう、静かに、けれど真剣に別の棚を探し始めた。

文官として日々向き合う、彼の執務机。

そこにある、先ほど買ったばかりのあのインク瓶。

その隣に、そっと寄り添うべき「何か」を。


見つけたのは、小さな三日月の形をした銀のペン置きだった。

派手な装飾はないけれど、なめらかな曲線が月の光のような銀の光沢を引き立てている。

これなら、彼の愛用の羽ペンを優しく休ませてくれるに違いない。


店を出て、石畳の道を再び歩き始めたとき。

わたくしは、柔らかな袋に包まれた贈り物を彼に差し出した。


「これ……さっきのお礼です。受け取ってくださいね」


彼は驚いたように足を止め、わたくしと小さな包みを交互に見つめた。


「先ほど買ったインク瓶に、この銀のペン置きを添えたら、もっと素敵な執務机になりそうではないですか? 疲れを感じたとき、ふとこの三日月が目に入れば……少しは癒やしになるかと思いまして」


わたくしの言葉に、彼は瞬きを何度か繰り返し、それから困ったような、けれど今日一番の柔和な顔で微笑んだ。


「……参ったな。机に向かうのが、こんなに楽しみになるとは思わなかったよ。大切にするよ、ありがとう」


こんなに穏やかな時間が続くなら――自分が特別なのではないかと勘違いしてしまいそうになる。

のどかな街の夕刻、二人の足音が重なりながら、静かに響いていった。

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