第6話 蘇る秘湯! 紅葉の絶景大浴場
地下へ続く石段は、これまでのどの通路よりも古かった。
一段踏みしめるたび、足元からかすかな温もりが伝わってくる。
まるで山そのものが息をしているようだった。
先頭を歩くモミジの額の霊石は、朱色から黄金色へと少しずつ輝きを増していく。
「コン!」
嬉しそうな鳴き声が洞窟へ響く。
「源泉が近いんだね。」
リアが微笑む。
その横でエリスは壁へ手を触れた。
「……温かい。」
「昨日までは冷たかった。」
「はい。」
リアも頷く。
「地下全体に熱が戻っています。」
温泉は生きている。
そう確信できる変化だった。
石段を下りきると、巨大な空間が姿を現した。
「……!」
二人は言葉を失う。
天井は見えないほど高い。
無数の鍾乳石が垂れ下がり、その先端から温かな雫が落ちている。
中央には巨大な円形の石台。
その中心に、一本の白い石柱が天井まで伸びていた。
石柱には幾重にも古代文字が刻まれ、その根元には四つの石製のバルブが並んでいる。
そして、その奥には――
巨大な石の扉。
高さ十メートルはある。
扉一面に、紅葉と狐、そして湯気に包まれた人々の姿が彫られていた。
「これが……。」
エリスは息を呑む。
「本当の源泉。」
リアは震える手で湯守帳を握りしめた。
「すごい……。」
前世でも。
異世界へ来てからも。
こんな温泉施設は見たことがない。
まるで神殿だった。
リアは四つのバルブへ近づく。
「赤、青、白、金……。」
それぞれ色の違う宝石が埋め込まれている。
「全部閉じています。」
エリスも確認する。
「一つずつ開ければいいのか?」
「いいえ。」
リアは首を横に振った。
「それなら昨日までに誰かが試しています。」
彼女は床を見た。
石畳には細い溝が刻まれ、四つのバルブは中央の石柱へ繋がっている。
「これは順番があります。」
その時。
モミジが石柱をぐるりと一周した。
「コン!」
尻尾である場所を指す。
リアが近づくと、小さな文字があった。
他よりもずっと小さい。
見逃してしまいそうな場所だ。
「……読める。」
リアはゆっくり読み上げる。
「四季を忘れる者、湯を失う。」
「四季?」
エリスが首を傾げる。
「春夏秋冬のことか。」
リアは周囲を見回した。
石柱には四つの絵が刻まれている。
桜。
青葉。
紅葉。
雪。
「なるほど。」
彼女は笑った。
「温泉は一年中、人を癒やします。」
「だから季節の順番なんですね。」
「春、夏、秋、冬。」
赤い宝石へ手を伸ばしかけた。
しかし。
「……違う。」
手が止まる。
「どうした?」
「これ。」
リアは桜の彫刻を指差した。
「少し削れています。」
よく見ると、桜だけ他の絵と向きが違っていた。
誰かが無理やり動かそうとした跡だ。
「誰かが間違えた。」
リアは静かに言う。
「だから開かなかった。」
しばらく考え込む。
すると、モミジが突然リアの袖を引っ張った。
「コン!」
「え?」
狐は石柱ではなく、天井から落ちる湯を見つめている。
ぽたり。
ぽたり。
四か所から落ちる雫。
それぞれ落ちる速さが違う。
リアは目を見開いた。
「そうか!」
エリスが驚く。
「分かったのか?」
「四季じゃない!」
「水の流れです!」
リアは床の溝を見る。
「春は雪解け。」
「夏は雨。」
「秋は実り。」
「冬は眠り。」
「温泉も自然の循環なんです!」
つまり順番は暦ではない。
水が生まれ、巡り、蓄えられ、静かに眠る流れ。
リアはゆっくりと一つ目のバルブを回した。
ゴン。
低い音が響く。
正解だ。
続いて二つ目。
三つ目。
そして最後。
カチリ。
四つ目を回した瞬間だった。
ゴォォォォォン!!
地下全体が大きく震えた。
石柱の文字が黄金色に輝き始める。
無数の歯車が一斉に回り始めた。
ゴウン!
ゴウン!
ゴウン!
長い年月止まっていた巨大機構が、ついに目覚めたのだ。
その瞬間。
巨大な石の扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。
白い湯気が一気に溢れ出した。
「熱い……!」
リアは思わず目を細める。
扉の向こうには、地下とは思えないほど巨大な空洞が広がっていた。
中心には、透き通ったエメラルド色の泉。
その底から、絶え間なく温泉が湧き出している。
「源泉……!」
リアの頬を涙が伝う。
「生きてた……。」
二十年間。
誰も見つけられなかった奇跡。
霊泉は、一度も枯れてなどいなかった。
その時だった。
ゴゴゴゴゴッ!!
突然、天井が激しく揺れる。
「何!?」
エリスがリアをかばう。
岩陰から複数の人影が現れた。
「ようやく見つけたぞ。」
聞き覚えのある声。
そこには不敵な笑みを浮かべたグラディウス伯爵と、武装した兵士たちが立っていた。
「ご苦労だったな。」
「お前たちが謎を解いてくれたおかげで、源泉まで案内してもらえた。」
伯爵はゆっくりと拍手をする。
「さあ、この霊泉は今日から私のものだ。」
リアは悔しさに唇を噛んだ。
あと一歩だった。
あと一歩で温泉は完全に蘇る。
しかし最後の瞬間、最大の敵が立ちはだかった。
白い湯気の中、グラディウス伯爵はゆっくりと拍手を続けていた。
「実に見事だ。」
「二十年間、誰もたどり着けなかった源泉だぞ。」
その目は、霊泉を見つめたまま離れない。
欲望に満ちた瞳だった。
「ありがとう。」
「お前たちのおかげで手間が省けた。」
リアは一歩前へ出る。
「この温泉は渡しません。」
「ほう?」
伯爵は鼻で笑う。
「たかが湯守が?」
「たかが温泉が?」
その一言で、リアの表情が変わった。
「……違います。」
静かな声だった。
「温泉は、ただのお湯じゃありません。」
「傷ついた人を癒やして。」
「泣いている人を笑顔にして。」
「また明日も頑張ろうって思わせてくれる場所です。」
「そんな場所を、お金のためだけに壊させません。」
一瞬、地下に静寂が落ちる。
兵士たちでさえ言葉を失っていた。
伯爵は肩をすくめる。
「感動的な演説だ。」
「だが現実は違う。」
杖を高く掲げる。
「捕らえろ!」
十数人の兵士が一斉に走り出した。
「リア!」
エリスが剣を抜く。
鋼と鋼がぶつかる。
キィン!!
一人。
二人。
兵士を押し返す。
だが数が多い。
「くっ……!」
リアは周囲を見回した。
戦えば勝てない。
なら。
湯守として戦うしかない。
その時。
視界に飛び込んできた。
巨大な石柱。
そして床を走る四本の水路。
「……!」
リアは息を呑む。
「エリス様!」
「時間をください!」
「何をする!」
「温泉を信じます!」
そう叫ぶと、リアは石柱へ駆け出した。
石柱には四つの小さな弁があった。
さっき開いた大きなバルブとは違う。
これは流量調整用。
前世でも旅館で何度も見た構造に似ている。
「そういうことだったんだ……。」
初代湯守は戦うためではなく、
守るために作った。
リアは迷わず一つ目を回す。
ゴン。
二つ目。
三つ目。
最後。
カチリ。
その瞬間。
ゴオオオオオオッ!!
霊泉から大量の湯が噴き上がった。
「なっ!?」
伯爵が目を見開く。
熱い湯ではない。
心地よい温度の霊泉が、水路を勢いよく流れ始める。
地下施設全体へ広がる。
止まっていた歯車が一斉に回転する。
ゴウン!
ゴウン!
ゴウン!
巨大な石管が震えた。
次の瞬間だった。
地下だけではない。
地上。
崩れたテルマエ。
巨大浴場。
露天風呂。
何百本もの石管へ、一斉に霊泉が流れ込む。
ゴォォォォォッ!!
乾いていた浴槽へ、透き通る湯が滝のように流れ落ちる。
白い湯気が空高く舞い上がった。
山全体を包むほどの湯煙。
そして――。
紅葉が輝いた。
くすんでいた葉が一瞬で真っ赤に色づく。
黄金色。
橙色。
燃えるような紅葉が山を埋め尽くした。
「……!」
リアは思わず涙を浮かべる。
「きれい……。」
エリスも剣を止めた。
こんな景色は初めてだった。
幼い頃に祖父が話していた。
『秘湯が蘇る時、山は紅葉で祝福される。』
その伝説が、今まさに目の前で起きていた。
「コンーーーッ!!」
モミジが高く跳び上がる。
霊泉の光を浴びた瞬間、体が眩しく輝き始めた。
ぼさぼさだった毛並みは、絹のように滑らかになる。
尻尾は一本から三本へ。
額の霊石は黄金色へ変わった。
「進化した……!」
リアが目を輝かせる。
モミジは空中で一回転すると、兵士たちの前へ軽やかに着地した。
「コン!」
尻尾をふわりと振る。
その瞬間、紅葉の葉が竜巻のように舞い上がった。
「うわっ!」
「前が見えない!」
兵士たちは次々と転び、武器を落としていく。
「な、なんだこれは!」
伯爵だけが叫ぶ。
「魔法だ!」
「違います。」
リアは静かに微笑んだ。
「この山のみんなが、温泉を守ってくれてるんです。」
兵士たちは総崩れになった。
エリスは伯爵の前へ立つ。
剣先を静かに向ける。
「終わりだ。」
伯爵は後ずさる。
「ま、待て!」
「私は貴族だぞ!」
「この国の法律では、私に逆らえば――」
「逆らったのはお前だ。」
エリスの声は静かだった。
「領地へ無断侵入し、遺跡を破壊しようとした。」
「証人もいる。」
兵士たちは顔を見合わせる。
誰一人、伯爵をかばおうとはしなかった。
「くっ……!」
伯爵は歯ぎしりすると、兵士たちを連れて逃げ出した。
去り際、振り返って叫ぶ。
「覚えていろ!」
「まだ終わったと思うな!」
その姿はあっという間に湯気の向こうへ消えていった。
静寂が戻る。
霊泉だけが静かに湧き続けていた。
エリスは剣を鞘へ納める。
そして、リアへ歩み寄った。
「終わったな。」
「……はい。」
二人は同時に笑う。
その時。
地下から温かな風が吹き上がった。
源泉の光が二人を優しく包む。
そして古代文字が最後の一文を浮かび上がらせた。
『心を通わせし者よ、祝福の湯へ進め。』
リアは文字を見つめる。
「祝福の湯……?」
エリスも静かに読み上げた。
「大浴場とは別に、まだ何かあるのか。」
モミジが嬉しそうに尻尾を振る。
「コン♪」
狐は二人を見上げ、まるで「こっちだよ」と言うように奥の通路へ歩き始めた。
その先にあるのは、初代湯守だけが知る「祝福の湯」。
そして、二人の距離をさらに近づける運命の露天風呂だった。




