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【秋の温泉旅SW8話完結短期連載】冷え切った古代テルマエの謎を解け! 追放された湯守ともふもふ神獣の秘湯再生記  作者: eccen.


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第5話 試しの湯と、ひとり占めの湯あみ

 朝露に濡れた紅葉が、風に揺れる。


 崩れた石橋の向こうでは、霧が谷を覆い尽くしていた。


 街へ続く道は完全に断たれた。


「……完全に閉じ込められましたね。」


 リアは苦笑する。


 普通なら絶望する状況だ。


 だが、不思議と心は折れていなかった。


「伯爵は地下通路の存在を知らない。」


 エリスは冷静だった。


「それだけが救いだ。」


 モミジも「コン!」と元気よく鳴く。


 昨日まで弱々しかった姿が嘘のように、尻尾はふわりと膨らみ始めていた。


「少しずつ元気になってる。」


 リアが抱き上げると、モミジは嬉しそうに頬へすり寄る。


 もふっ。


「ふふ……。」


 柔らかな毛並みに、自然と笑みがこぼれた。


「温泉が近づくだけで、こんなに違うんだ。」


 エリスも優しく頭を撫でる。


 モミジは目を細め、喉を鳴らした。


 その穏やかな空気に、リアはふと思う。


(最初に会った頃より……。)


(エリス様、優しい顔をするようになった。)


 本人は気づいていない。


 でも確かに変わってきていた。


 二人は再び地下施設の奥へ向かう。


 『初代湯守の日誌』に描かれていた隠し通路。


 石壁を調べると、目立たない場所に小さなレバーが隠されていた。


「これですね。」


 リアがゆっくり押し込む。


 ゴゴゴ……


 壁が横へ滑る。


 冷たい空気が流れ出した。


「すごい……。」


 通路の先には、自然の洞窟が続いている。


 人工の石造りではない。


 長い年月をかけて湯が削った天然の洞窟だった。


 壁には温泉成分が結晶となって輝いている。


「鍾乳洞みたい……。」


 リアは目を輝かせた。


 ぽたり。


 ぽたり。


 天井から落ちる雫は、ほんのり温かい。


「源泉が近い。」


 リアは確信した。


 三十分ほど歩いただろうか。


 突然、視界が開ける。


「……!」


 二人は同時に息を呑んだ。


 洞窟の奥には、小さな天然露天風呂があった。


 白い湯気が静かに立ち上っている。


 周囲には真紅の紅葉が岩肌から顔をのぞかせ、天井の裂け目から差し込む光が水面を黄金色に染めていた。


「きれい……。」


 リアは思わず立ち尽くす。


 誰にも知られていない秘湯。


 まるで世界から切り離された楽園だった。


 モミジは嬉しそうに飛び降りると、湯船の縁へ駆け寄る。


「コン!」


 前足でお湯をちょん、と触れる。


 すると。


 額の霊石が淡く輝き始めた。


「やっぱり!」


 リアは駆け寄る。


「このお湯、生きています!」


 手を浸す。


 ちょうどいい温度。


 少しとろみがあり、肌へ吸い付くような泉質だった。


「弱いけど……間違いない。」


「源泉だ。」


 エリスも静かに頷く。


 初めて見る、本物の霊泉。


 リアは湯守帳へ勢いよく書き込み始めた。


「泉温四十二度くらい……。」


「少し硫黄の香り。」


「炭酸も混ざってる……。」


 エリスは苦笑する。


「温泉になると、本当に周りが見えなくなるな。」


「え?」


「いや。」


 リアは慌てて我に返った。


「ご、ごめんなさい!」


「すぐ夢中になってしまって……。」


「謝る必要はない。」


 エリスは静かに湯船を見る。


「そんな顔をしているほうが、お前らしい。」


「……!」


 リアの頬が赤く染まる。


 思わず目を逸らしてしまう。


(い、今……。)


(褒められた?)


 心臓が落ち着かない。


 その様子を見たモミジが、


「コン♪」


 と、いたずらっぽく鳴いた。


 リアは湯船の縁を一周して調べ始めた。


 すると岩陰に、小さな木箱が置かれているのを見つける。


「こんな所に?」


 開けてみる。


 中には綺麗に畳まれた布が入っていた。


「これは……。」


 淡い桜色の湯あみ着。


 女性用だった。


 もう一枚。


 深い紺色の男性用もある。


「昔の湯守さんが置いたのかな。」


 布は古いが、不思議と傷んでいない。


 魔法で保存されていたのだろう。


 リアは嬉しそうに抱きしめた。


「試し湯にはぴったりですね。」


 エリスは少し驚く。


「入るのか?」


「もちろんです!」


 リアは真剣な顔になる。


「湯守は実際に入って確かめないと。」


「肌触り。」


「湯上がり。」


「温まり方。」


「全部大事なんです。」


 あまりにも真面目な説明に、エリスは思わず笑ってしまう。


「分かった。」


「私は外で待っている。」


「ありがとうございます。」


 リアはぺこりと頭を下げる。


 エリスは洞窟の入口へ向かいながら振り返った。


「慌てるな。」


「滑るぞ。」


 その言葉にリアは笑う。


「今度は気をつけます。」


 エリスが外へ出ていく。


 静かな洞窟に残ったのは、リアとモミジだけ。


 リアはゆっくりと湯あみ着へ着替え始めた。


 そして、そっと秘湯へ足を入れる。


「……あったかい。」


 つま先から、じんわりと熱が伝わる。


 肩まで浸かった瞬間――


「ふぁぁ……。」


 思わず力が抜けた。


「生き返る……。」


 頬がほんのり桜色に染まり、長い髪が湯気に揺れる。


 モミジも湯船の縁で気持ちよさそうに丸くなった。


 リアは目を閉じる。


 疲れが、心まで溶けていく。


 その頃――


 洞窟の外では、エリスがある異変に気づいていた。


「……誰だ。」


 気配。


 人の足音。


 しかも、複数。


 剣へ手を掛けた、その瞬間。


 ガラリ、と岩が崩れ、エリスの身体はバランスを崩す。


 そのまま洞窟の入口から中へ。


 ガラッ――。


 足元の岩が崩れた。


「しまっ……!」


 エリスは体勢を立て直そうとしたが、濡れた岩肌は想像以上によく滑る。


 そのまま一歩、二歩とよろめき、洞窟の中へ転がり込んだ。


「エリス様!?」


 湯船の中からリアの驚いた声が響く。


「……っ!」


 エリスはすぐに顔を背けた。


「すまない!」


「外で何者かの気配を感じた。」


「足場が崩れて……。」


 言い訳のように口にするが、自分でも情けないと思う。


 領主ともあろう者が転んで女性の入浴中に入ってしまうなど、本来ならあってはならない失態だった。


「だ、大丈夫ですか?」


 リアも慌てて湯船の中へ身を沈める。


 幸い、湯あみ着を身につけている。


 それでも濡れた布は肩や腕の線に沿い、湯気の中で輪郭がうっすらと浮かんでいた。


 エリスは視線を逸らしたまま立ち上がる。


「怪我はない。」


「すぐ外へ――」


「待ってください!」


 リアの声に、エリスの動きが止まる。


「気配って……本当ですか?」


「ああ。」


 さっきまでの照れた空気は消えた。


 エリスの声は領主としての冷静さを取り戻している。


「洞窟の外で二人。」


「こちらを探っている。」


 リアも表情を引き締めた。


「伯爵の兵士……。」


「おそらくな。」


 洞窟の入口からは、人の話し声がかすかに聞こえてくる。


「こっちに誰か来たらしいぞ。」


「本当に温泉があるのか?」


「伯爵様には見つからないよう調べろ。」


 リアは思わず息を呑んだ。


(もうここまで……。)


 伯爵は橋を落としただけでは終わらなかった。


 密かに偵察まで送り込んでいたのだ。


 モミジが耳をぴんと立てる。


「コン!」


 小さく鳴くと、湯船の縁から跳び降り、洞窟の奥へ駆けていく。


「モミジ?」


 狐は途中で振り返り、二人を呼ぶように尻尾を振った。


「隠れろと言ってるのか。」


 エリスが小声で言う。


 リアは急いで湯船から上がる。


「きゃっ。」


 濡れた足で少しよろける。


「危ない。」


 エリスが反射的に腕を差し出した。


 リアの身体が軽くぶつかる。


「ご、ごめんなさい。」


「いや。」


 二人とも少し照れながら距離を取る。


 だが今回は、どちらも妙に慌てなかった。


 以前より、お互いを自然に受け止められるようになっていた。


 リアは羽織を肩へ掛け、モミジの後を追う。


 洞窟の一番奥。


 岩陰へ入ると、小さな空間があった。


 外からは全く見えない。


 さらに驚いたことに、温泉の湯気が天然の幕のようになり、姿を隠してくれる。


「すごい……。」


 リアは思わず感心した。


「昔の湯守が作った避難場所か。」


 エリスも周囲を見渡す。


 その時。


 外から兵士の声が近づいてきた。


「おい、誰もいないぞ。」


「でも足跡がある。」


「温泉もあるじゃないか。」


「……湯が少ないな。」


 兵士の一人が湯へ手を入れる。


「まだ源泉は完全じゃない。」


「伯爵様へ報告だけして帰るぞ。」


 リアは胸を押さえる。


(お願い……。)


(見つからないで。)


 兵士たちはしばらく洞窟を見回った。


 しかし隠し空間には気付かない。


 やがて足音は少しずつ遠ざかっていった。


 静寂が戻る。


「……助かった。」


 リアがほっと息を吐く。


「コン!」


 モミジも嬉しそうに鳴いた。


 その時だった。


 リアの足元へ、一滴のお湯が落ちる。


 ぽたり。


 もう一滴。


 ぽたり。


「……?」


 見上げる。


 岩の天井から温泉が染み出している。


 リアは手を伸ばした。


 温かい。


 そして指先へ触れた瞬間――


 淡い金色の光が岩壁を走った。


「これは!」


 二人は同時に壁を見る。


 湯気に隠れて見えなかった岩肌へ、文字が浮かび上がっていく。


 古代文字だった。


 リアは夢中で読み始める。


「これ……。」


「日誌に書かれていた文字と同じです。」


 ゆっくり意味をつなげる。


 そして、小さく息を呑んだ。


「『試し湯で真実を知る者、源泉への道を授ける』……。」


 エリスが続ける。


「源泉への道?」


 リアは頷いた。


「試し湯は、ただ入るためのお風呂じゃなかったんです。」


「最初の試練だった。」


 その文字の下には、手のひらほどの窪みがあった。


「これに何かをはめる?」


 エリスが近づく。


 すると、モミジが自分の額を窪みへ近づけた。


 額の霊石が淡く輝く。


 カチリ。


 小さな音が響いた。


 岩壁が左右へ開いていく。


 その奥には――


 白い湯気に包まれた、さらに深い地下への石段が現れた。


 熱を帯びた風がゆっくりと吹き上がる。


 リアは胸へ手を当てる。


「間違いない。」


「この先です。」


「本当の源泉が、私たちを待っています。」


 エリスは静かに頷いた。


「行こう。」


 二人はランタンを掲げる。


 モミジが先頭に立ち、小さく「コン」と鳴いた。


 こうして三人は、古代テルマエ最大の秘密が眠る最深部へ足を踏み入れるのだった。


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