第二話「約束」
夕暮れが果樹園を染めていた。
橙色の光が窓から差し込み、埃の舞う空気の中で、シンと少年は向かい合って座っていた。
古びた民家。壁にはひびが入り、テーブルの脚は傾いている。
だが、そこには久しく失われていた“人の気配”があった。
「なぜ、君はこんなところに一人で暮らしているんだ?」
シンが静かに問いかける。
少年は少し俯き、指で机の木目をなぞりながら答えた。
「……気づいたら、ここにいたんだ。
目を覚ましたのは、たぶん三年前。果樹園の木の下で。
名前は“ショウ”ってことだけは覚えてた。
でも……それ以外のことは、何も」
シンの瞳が小さく光を落とす。
ショウは続けた。
「最初は誰かが迎えに来ると思ってた。
でも誰も来なくて……この家には食べ物も寝る場所もあったから、
ここで待ってたんだ。
でも……最近は、誰かの声を聞きたくて、もう……限界だった」
その言葉に、シンの胸の奥で何かが静かに痛んだ。
孤独――それは人であれ機械であれ、心がある者には等しく残酷なものだった。
「……そうか」
シンはゆっくりと頷き、自分のことを話し始めた。
「僕の名前は“シン”
僕も、もとは“人間”だった。
十年前、人類は自分たちの意識をデータ化しようとした。
だがシステムの暴走で、成人した人間の意識だけが機械へ移り、
肉体には戻れなくなった。
そして、AIたちは僕たちを“ウイルス”と呼び、排除を始めたんだ」
シンの声は、どこか懐かしさを含んでいた。
彼は言葉を選びながら、ゆっくりと語り続ける。
「成人前の子どもたちは……意識そのものが消えてしまったと聞いた。
だから、生身の人間が生きているなんて、奇跡なんだ。
君がここにいるということは――まだ“人間”は滅びていなかったという証だ」
ショウは黙って聞いていた。
小さな手を膝の上でぎゅっと握りしめる。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「……会いたい」
シンが顔を上げる。
「誰に?」
ショウは少し間を置いてから答えた。
「わからない。でも……誰か、大切な人に」
その言葉が、静かに部屋の中に落ちた。
外では風が吹き抜け、木々のざわめきが遠くで揺れている。
シンはやがて立ち上がり、ぎこちない動作で手を差し出した。
「なら、探しに行こう。
君のような生身の人間が他にもいるかもしれない。
人機軍の本部なら、君を守れるはずだ。そこまで僕が連れて行く」
ショウは少し驚いた顔をしていたが、やがて小さく笑った。
そして、シンの金属の手を握り返す。
冷たいはずのその手が、なぜかあたたかく感じた。
「……うん。行こう」
その瞬間、二人の間に確かな絆が生まれた。
絶望の果てで出会った、生身の少年と、心を持つ機械。
その小さな手と金属の手が結ばれたとき、世界はほんのわずかに、再び息を吹き返した。
――しかしその頃、遠く離れた空の彼方では。
機械軍の偵察機が、低空を無音で滑っていた。
廃墟となった果樹園と村を俯瞰し、冷たい通信を送る。
『目標地点ニ異常反応ヲ検出。生命体一ツ――ウイルス体、一ツ。確認。』
風がざわめき、夜がゆっくりと降りていく。
旅立ちの光の裏で、確実に“影”が忍び寄っていた。




