第9話 言い残したことは
菓子は、出さないことにした。
レナードは卓の上を眺め、茶の位置を少し動かした。
何も出さずに座らせるのは、落ち着かない。だが、パンへ蜂蜜を塗って添えるのは歓迎しすぎだろう。
自分で来いと呼びつけた相手なのだ。
「こちらでよろしいですか」
エステルが予備のカップを置いた。
「ああ。ありがとう」
「ユーゴさんたちは厨房にいます。あの人には会いたくないそうなので」
「話が済んだら知らせる。ここへ来なくていいと伝えてくれ」
彼女が頷いて出ていく。
レナードは椅子へ深く座った。
子供を使うなと言う。兄を捕らえた理由を聞く。それから、同じことをするなと念を押す。
昨夜考えた順番を、もう一度確かめた。
◇
徴税官ロベールは、城門へ着く前に足を止めた。
道の脇に、折れ曲がった砲身が残っていた。
太い鉄に、内側へ潰れた皺がある。その下では、鍛冶屋が車輪を量っていた。
城を攻めた兵から、話は聞いている。
砲弾が戻ってきた。城壁の石が飛んだ。領主は馬ごと倒され、軍は逃げ散った。
酔った者が戦を語れば、話は膨らむ。そう思おうとしていた。
だが、砲は本当に曲がっていた。
「お待ちしております。こちらへ」
門番に促され、小刀を預ける。
門をくぐっても、城壁に傷は見つからなかった。
中庭の向こうには、額に包帯を巻いた若者がいた。弟と並び、桶へ布を浸している。
弟がこちらを見て、兄の袖を引いた。
ロベールは目を逸らし、懐の紙へ触れた。
説明は、用意してきた。
◇
「徴税官ロベールと申します」
男は広間へ入るなり、深く頭を下げた。
「座ってくれ」
レナードが向かいを示す。
ロベールは椅子へ浅く腰掛けた。背筋を伸ばし、両手を膝に置いている。
まずは茶を勧めよう。
「冷める前に、どうぞ」
「は、はい」
男の指が受け皿へ当たり、硬い音が鳴った。
けれど、カップは持ち上がらなかった。
「先に、私の立場をご説明させていただきたく」
仕方がない。飲む順番まで決めるのは、王として細かすぎるだろう。
レナードは頷いた。
ロベールは、ユーゴの兄を拘束した経緯から話し始めた。
身元が分からなかった。賃金について騒ぎ、職員へ詰め寄った。弟は自分から働くと申し出たので、使いを頼んだ。
随分と、すらすら話す男だった。
レナードは脇へ立つベルトラムを見た。
彼は帳面を開き、何かを書き留めている。
今は聞いていればいいらしい。
レナードはカップを取り、続きを待った。
◇
ロベールは、話しながら青年の顔を窺っていた。
何も言わない。
怒りも、驚きもしない。
昨日の使者から、兄弟の話を直接聞いたとは知らされている。自分の説明と違うところは、幾つもあるはずだった。
それなのに、遮らない。
ロベールは卓の下で指を握った。
「ですから、兄に会わせなかったのも、調べが済むまでは不用意に……」
ベルトラムの筆が止まった。
まずかった。
先ほど、会わせるつもりだったと言ったばかりだ。
青年は茶を飲んでいる。
隠し事に気づいていないのか。それとも、どこまで嘘を重ねるか見ているのか。
門前の砲身が脳裏へ浮かんだ。
あの鉄が曲がる。
ならば、人間の腕など。
ロベールは膝の上で固まった手を、ゆっくり開いた。
「……兄の拘束を命じたのは、私です」
レナードがカップから口を離した。
男が、急に話し方を変えた。
ここで何か言うべきだろう。先を促すくらいなら、間違いはない。
「続けてくれ」
ロベールが唾を飲んだ。
「弟には、会わせると申しました。働かせるために……そう言えば、使いを断らないと考えまして」
ベルトラムが顔を上げた。
「賃金も、払っていないな」
「はい」
声は、先ほどよりずっと小さくなっていた。
◇
話が途切れ、レナードはカップを置いた。
もう終わりだろうか。
ベルトラムを見る。彼は帳面へ何か書き込んでから、脇へ控え直した。
ここで「ほかに聞くことは?」と尋ねては、進行を任せきりにしていると分かってしまう。
レナードは肘掛けへ片腕を置き、ロベールを見た。
「言い残したことは?」
相手の肩が、微かに揺れた。
いい。
今のは、王らしかった。
相手の話を聞き終え、最後にひと言だけ機会を与える。声を低くしすぎなかったのもよかった。あとは返事を待ち、静かに頷けば締まるだろう。
レナードは満足を顔へ出さずに待った。
ロベールは、息を止めていた。
言い残したこと。
これ以上隠すつもりかという問いなのか。それとも、もう弁明の機会はないという意味なのか。
青年の手が目に入った。
肘掛けへ無造作に置かれた、何の傷もない手。領主軍を退けた時も、この男はここへ座っていたという。
ロベールの喉が鳴った。
「……牢には、ほかにも2人おります」
レナードの指が止まった。
まだいたのか。
締まらなかった。
ロベールは、その手を見て椅子から腰を浮かせた。
「ただ、その2人は別の件で! 通行料を払わず、荷を運ぼうとしたのでございます!」
ベルトラムが尋ねる。
「荷は、どこにある」
「詰所の倉庫に……」
「徴収した金の記録は?」
ロベールの口が閉じた。
レナードは、少し待った。
この調子では、話が出るたびに止まってしまう。
「出し惜しみせず、まとめて頼む」
何度も聞かれる方だって、疲れるだろう。
しかしロベールは、顔から血の気を失った。
「べ、別の帳面がございます。領主様へ納めた額と、私が預かった額を分けて……それも、全てお渡しします!」
椅子からずり落ち、床へ両手をついた。
レナードは背もたれから身体を起こしかけ、やめた。
どうやら、まだ長くなるらしかった。
◇
詰所へ人を出すことになった。
ベルトラムが拘束者と荷、帳簿を確かめるための指示をまとめる。その間、ロベールは城の一室で待つことになった。
連れ出されるまで、彼は一度も茶を飲まなかった。
静かになった広間で、レナードは向かいのカップを見た。
「……口に合わなかったのかな」
片づけに来たエステルが手を止めた。
「あのご様子では、味も分からなかったと思います」
「そうか」
なら、茶が悪かったわけではないらしい。
安心していると、エステルがカップを盆へ載せた。
「ベルトラムさんが、助かったと仰っていました。あの方は、聞かれたことにしか答えないと思っていたそうです」
「随分、話してくれたな」
「あなたの前では、隠しきれないと思ったのでしょう」
レナードは、返事を少し遅らせた。
こちらとしては、半分くらいで面会が終わる予定だった。
だが、そう見えたのなら悪くない。
肘掛けへ手を戻し、静かに頷いておいた。
◇
午後、詰所から馬車が戻った。
拘束されていた2人は、荷を取り上げられた行商人だった。ベルトラムが別々に話を聞き、帳簿と照らし合わせていく。
ユーゴの兄の荷袋も見つかった。
中には古い上着と木の匙、縫い針を包んだ布。その底に、小さな革袋があった。
「ある……」
兄が紐をほどく。
銅貨が、掌へこぼれた。
「俺たちの金だ」
ユーゴが顔を寄せる。
「全部?」
「数える。待ってろ」
卓には、未払いの賃金も置かれた。ロベールが返すと認め、財布から出した金だった。
兄が硬貨を並べ、ユーゴが横から数えた。
途中で2人の数が合わなくなる。
最初からやり直しても、急かす者はいなかった。
「……合ってます」
兄が、ようやく顔を上げた。
ユーゴは硬貨を握ったまま、しばらく動かなかった。
◇
夕方、ニルスが厨房の卓へパンを置いた。
薄く切った表面に、蜂蜜が塗ってある。
ユーゴが自分の硬貨から1枚選び、差し出した。
「昨日のパンの金」
ニルスは手を振りかけたが、少年の顔を見て止めた。
硬貨を受け取り、皿を2人の前へ寄せる。
「じゃあ、これは今日の分も込みで」
ユーゴは兄を見た。
兄が頷く。
ようやくパンへ手が伸びた。
レナードは厨房の入口で、その様子を眺めていた。ユーゴが指へついた蜂蜜を舐め、兄に何か言われて笑っている。
城へ来た時には、見なかった顔だった。
「菓子は、こっちへ出して正解だったな」
思わず言うと、隣のエステルが微笑んだ。
「そのために、取っておかれたんですね」
違う、と言いかけた。
レナードは口を閉じ、落ち着いて頷いた。
そういうことにしておこう。
自分の分までなくなる前に、あとでニルスへ声を掛けておけばいい。
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