第8話 使者に託す言葉
少年は、空の桶を運ぶ女のあとに続いて城門をくぐった。
拾った縄を抱え、足元を見て歩く。仕事をしているように見せれば、大抵の大人は気に留めない。
門の内側には、包帯が干されていた。
兵が水を運び、子供が井戸端で靴を洗っている。聞いていたより、ずっと人が多い。
少年は厨房の窓を見つけた。
パンが並んでいた。
◇
レナードは、客用の椅子を動かしていた。
近すぎれば世間話になる。遠すぎれば、客に声を張らせてしまう。悩んだ末に半歩ぶん引いたところで、厨房から小さな物音が伝わった。
パンが床へ落ちたらしい。
続いて、誰かが素早く屈む。小さな足取りが棚の陰を抜け、裏口へ向かった。
レナードは椅子を下ろした。
◇
少年は裏口の戸へ肩をぶつけた。
動かない。
さっきまで、風で開いていたはずだった。
「表から出た方が、街道には近いぞ」
背後に青年がいた。
少年は腰へ手を回した。服の内側に、短い刃物がある。
柄へ届く前に、腕が止まった。
誰にも掴まれていない。なのに、手首が動かない。
「それは抜かずに話そう」
少年は指を開いた。
懐からパンを出す。
「……返す」
「腹が減っているんだろう。座って食べればいい」
青年が卓を指した。
少年は戸へ背をつけたまま、彼を見た。
「名前は?」
「ユーゴ」
「俺はレナードだ」
呼ばれて顔を出したニルスが、パンを見る。それから何も言わず、鍋へ火を足した。
ユーゴは椅子の端へ座った。
椀を出されても手をつけなかったが、レナードが同じ鍋からひと口飲むと、ようやくパンを浸した。
口へ押し込み、ほとんど噛まずに飲み込む。
「鍋にまだある。急がなくていい」
ユーゴの手が止まった。
「持って帰っても、いい?」
「誰かいるのか?」
返事の代わりに、肩の袋を引き寄せた。
その紐が椀へ引っかかった。
スープが卓へ広がり、袋が床へ落ちる。口から、細く折られた紙が滑り出した。
「ごめん!」
ユーゴが袖で卓を拭く。
レナードが紙を拾うと、少年は椅子を飛び下りた。
「それ、俺のじゃない! 預かっただけだ!」
声につられて、ベルトラムが入ってきた。
紙の宛先を見て、足を止める。
「どこで預かった」
ユーゴが両腕を頭へ上げた。
「殴らないで。ちゃんと届けるから……!」
ベルトラムは口を閉じた。
レナードが紙を卓へ置く。
「誰も殴らない。まず、座ってくれ」
◇
紙には、城へ入った人数と荷の種類が記されていた。
門番の数、馬の数、鉄を買いに来た鍛冶屋の名前。
ユーゴは街道の徴税詰所へ、これを届けるよう言われていた。
兄が、そこにいるという。
「荷運びの金を払ってくれなくて。兄ちゃんが話しに行ったら、帰ってこなくなった」
隣へ屈んだエステルが尋ねた。
「いつのこと?」
「10日くらい前。仕事をすれば会わせるって。でも、まだ終わってないって言うから……」
ユーゴは膝の間へ手を挟んだ。
「城の中まで見たら、今度はいいって」
レナードは紙を折り直した。
密偵を送り込まれた。
一瞬、その言葉に胸が躍りかけたが、少年の濡れた袖から覗く痣を見て、続かなかった。
「ベルトラム。この詰所へ人を出せるか」
「はい。兄がいるなら、連れ戻します」
「私も行きます。治療が必要かもしれません」
エステルが立った。
子供を使った相手には、伝言を送っておこう。
こういう時、王は長々と説明しない。使者が覚えられて、聞いた相手が少し黙るくらいの短さがいい。
レナードは背を伸ばした。
「伝えてくれ。こちらへ用があるなら、子供に運ばせず、自分で来いと」
ベルトラムが黙った。
すぐには言葉を足さず、その顔を見返す。彼が深く頭を下げたところで、レナードは視線を外した。
よかった。
今のは、かなりよかった。
声を荒らげず、ひと言で呼びつける。これ以上、相手を気にしている様子は見せない方がいい。
「一言違わず、伝えさせます」
「ああ。頼む」
ベルトラムが人選のため部屋を出る。
そこで、ふと気づいた。
本当に来たら、何を話そう。
自分で来いと言ったのはこちらだ。用件を聞こう、では相手も困るだろう。
まず子供を使ったことを叱り、兄を返せと言う。いや、兄は先に連れ戻すのだから、その話は終わっている。
卓のカップへ目がいった。
茶は、出すべきだろうか。
◇
廊下では、ベルトラムが部下3人へ伝言を告げていた。
「まず兄を保護しろ。そのあとで、お言葉を伝えろ」
若い兵が顔を上げる。
「詰所の責任者を、連れてくるのでしょうか」
「直接、返答を求めておられる。まずは何と答えるか聞いてこい。勝手な約束はするな」
3人が頷いた。
領主軍を退けた男が、名もない少年の話を聞き、その兄を取り戻すために自分たちを遣わす。
城の庇護が、門の内側だけで終わらないことを、彼らは理解した。
◇
詰所の徴税官は、馬車を止めると鼻で笑った。
「兄を返せ? ここにいるのは、取り調べ中の不審者だ」
「弟がいます。ユーゴという子です」
エステルが言っても、男は首を振った。
「知らんな」
「城の様子を調べれば、会わせると言ったそうですね」
窓口についた男の肘が離れた。
「……どこから来た」
「廃城です」
隣の兵が兜を外す。
徴税官が、その顔を見て立ち上がった。
「お前はベルトラムの……。隊長はどうした。閣下は? 妙な噂ばかり届いているが」
「領主様もヘルマン殿も、城にいる。王都へ引き渡すまで戻らない」
「本当に、軍が……?」
「俺は城壁から見た」
徴税官は兵の顔を見つめた。
奥で椅子が鳴る。裏口へ向かいかけた別の男を、同行した兵が視線で止めた。
「私は命令された仕事をしていただけだ。あの男を拘束したのも――」
「先に診せてください」
エステルが遮った。
「怪我をしているなら、手当てが要ります。城主様も、連れ戻すようにと」
「城主が、その男を知っているのか」
「弟の話を、直接聞いてくださいました」
徴税官の目が、3人の兵を辿った。
これまでなら、困れば領主の名を出せた。
その領主を捕らえた男が、子供に預けた紙まで読んでいる。
「……返せば、いいんだな」
「まず会わせてもらう。それから、ここにいる者の名前を聞く」
兵が一歩、窓口へ寄った。
「城主様から伝言だ。こちらへ用があるなら、子供に運ばせず、自分で来いと」
徴税官は、すぐには動かなかった。
やがて腰の鍵束を外した。何度も鳴らし、ようやく1本を選んだ。
◇
牢の若者は、扉が開いても顔を上げなかった。
腕は腫れ、額に血が固まっている。
エステルは入口へ膝をついた。
「ユーゴさんのお兄さんですね。弟さんが待っています」
顔が上がった。
「あいつ、何かしたんですか」
「あなたの分まで、パンを取ってあります。帰って、一緒に食べましょう」
若者は口元を押さえた。
近づいたエステルへ、今度は抵抗せず腕を預けた。
◇
夕方、門番が坂の下へ手を振った。
ユーゴが走り出す。
馬車の荷台では、包帯を巻いた兄が身を起こしていた。
「兄ちゃん!」
「止まってから! 2人とも!」
エステルの声に、ユーゴが足踏みする。
車輪が止まり、兵に支えられて兄が下りた。ユーゴはその腰へ抱きついた。
「どこ行ってたんだよ……!」
「悪い。迎えに行けなくて」
若者の手が弟の背を撫でる。
ユーゴは潰れかけた包みを持ち上げた。
「パン、ある。兄ちゃんのも」
レナードは門を開けたまま待っていた。
少年は兄の肩を支え、今度は門の真ん中を通ってくる。
「……帰ってきた」
「ああ。中で食べよう」
2人を迎えると、兵があとへ続いた。
「ご命令どおり、保護いたしました。詰所の責任者は、明朝こちらへ来ると申しております」
レナードは、ゆっくり頷いた。
「分かった。ご苦労だった」
兵が一礼し、中庭へ入っていく。
本当に来るのか。
顔には出さず、明日の予定を考えた。
茶は出そう。客用に買ったものが、まだある。
ただ、菓子までつけると、呼びつけた雰囲気がなくなる気がした。
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