第10話 王の買い物
クラリッサの馬車が戻った時、門番は荷台を見て笛をくわえた。
兵を呼ぶ笛ではない。
昨日から、荷が多い時には手の空いている者を呼ぶことになっていた。
その音に、厨房からニルスが出てくる。大工の男も金槌を置き、兵たちが荷台へ集まった。
「先に粉を。油は横へ寝かせないでください」
御者台から下りたクラリッサが、手袋を外した。
馬車は2台に増えていた。
後ろの1台には、寝台の枠と椅子が積まれている。その隙間へ、鍋、桶、布の包みまで詰め込まれていた。
レナードは広間から出てきて、荷を見上げた。
「全部、買えたのか」
「ええ。椅子は脚を直したものですが、座面は張り替えてあります。寝台は組み立ててから、軋む所を確かめてもらってください」
彼女は次々と指示を出したあと、ようやく息をついた。
上着の裾に泥が跳ねている。革の筒には擦れた跡がついていた。
「何か、あった?」
「お話は、荷を入れてから。少し長くなります」
レナードは頷いた。
商人が遠方から戻り、王へ報告する。
こういう場面では、急かさず待つ方がいい。
だが、長いなら先に茶を用意しようと思った。
◇
街道の検問で、荷を止められたという。
領主の倉庫を通さず麦を運び、ベルネットの名で商いをしている。役人は、通行料に加えて荷を半分置いていくよう求めた。
「以前なら、そこで戻るしかありませんでした」
クラリッサは卓へ革の筒を置いた。
「いただいた許可証を見せました。判断できないなら、城へ請求を回すようにと」
「通れた?」
「責任者が来るまで待たされました。その方は、城の印を見てから、荷には触れませんでした」
レナードは筒を見た。
印章が役に立った。
しかも、本人がいない街道で。
冠を入れるか迷った末、彫金師へ追加を頼んだのは正解だったらしい。
「よかった。次も使ってくれ」
「はい。ただ、毎回あそこで待たされるのは困ります。今後の通行も認めると、署名をもらってきました」
別の書面が広げられた。
エステルが隣から覗き込む。
「そんなことまで頼めるんですか」
「荷は次も通りますから。今日だけでは、商いになりません」
クラリッサは言い終えて、カップを取った。
少し飲み、それから目を閉じる。
レナードは、その様子を見た。
飲んだ。
昨日は最後まで手をつけられなかった茶を、今日は客が飲んでいる。
やはり、味には問題なかったのだ。
◇
「仕入れの残金と、鉄の売却代金です」
布袋が卓へ置かれた。
クラリッサは帳面を開き、金額を指で追って説明した。
麦粉、塩、油。家具の代金。運賃。修繕費。
レナードは途中まで頷いていたが、最後の数字で顔を上げた。
「これだけ買って、まだ残ったのか?」
「砲身が売れましたので。分厚く、材質もよかったんです。傷んでいない車軸は、運送屋が引き取りました」
敗れた軍の残した物が、椅子や寝台になった。
王の財務とは、こういうものなのだろうか。
少なくとも、自分では門の脇へ積んだままだった。
「助かった。俺だけなら、まだ鉄の置き場に困っていた」
「次に売る物も、探してあります」
クラリッサは帳面をめくった。
レナードは少し身構えた。
何か、売られるだろうか。
客が来る前に買い集めた燭台や壁掛けは、使っていないものも多い。しかし、あれは雰囲気を作るために必要で――。
「大工の方が、匙と皿を作っておられました。あれを町へ持っていきたいんです」
違った。
レナードは平静を保って頷いた。
「本人がよければ、頼む」
「もう相談しました。こちらで使う分を確保して、余った分を買い取ります」
エステルが嬉しそうに口を開く。
「ニルスさんも、今朝は腕がよく動くと言っていました。粉が増えたので、パンも試せるそうです」
「パンは、まず城で食べてください。売るなら、そのあとです」
クラリッサは笑って、別の紙を取り出した。
「食べる人が増えても困らないように、今のうちに仕入れ先を作っておきましょう」
◇
話が済み、クラリッサが立ち上がりかけた。
レナードは彼女の袖口を見た。
糸がほつれ、内側へ折り込んである。馬車で寝たのか、襟にも皺が寄っていた。
「次も、君へ頼んでいいのか」
「もちろんです。必要な品を書いていただければ」
「品物だけじゃなくて、こういう金のことも」
レナードは帳面を指した。
王が自分で市場を回り、釘1袋の値を比べるのも違う気がする。
専任の者がいれば、実にそれらしい。
クラリッサは返事をせず、彼を見た。
「ここを、仕事場にしませんか」
言ってから、レナードは少し考えた。
今のは誘い方が軽すぎたかもしれない。
もう少し、任せる側の言葉にしたい。
「城の出入りを、君に任せたい。金も、物も。必要な部屋は用意する」
クラリッサの指が、帳面の上で止まった。
いい。
今の方が、ずっと王らしかった。
財を預け、人を置く。相手の返事を待つ間も、肘掛けから手を動かさずにおく。
だが、返事がない。
任せすぎただろうか。
厨房の買い物くらいは、自分で続けた方がいいのかもしれない。
「……私の名を、ご存じで仰っていますか」
レナードは顔を上げた。
「ベルネットだろう」
「店を失った商人です。領主の名で取引を禁じられ、父の倉庫まで売りました。私に金を預けて、持ち逃げを疑わないんですか」
卓には、残金の袋があった。
使った額も、売った額も、彼女が全て並べていた。
レナードはそれを見てから答えた。
「今日、返しに来てくれたじゃないか」
クラリッサが黙った。
「俺にはできない買い物をしてくれた。次も頼みたい。それでは足りないかな」
彼女は視線を落とした。
帳面の角を撫でていた指が、やがて止まる。
「帳簿は、いつでもお見せします。使う額が大きい時は、先にご相談します」
「ああ」
「仕入れ先も、1つには絞りません。どこかに止められても、別の道で運べるように」
レナードは頷いた。
クラリッサは立ち、深く頭を下げた。
「お引き受けします」
◇
用意したのは、厨房の向かいの小部屋だった。
窓があり、卓を置くと中庭が見える。
「人が荷を運んできたら、ここで確かめられますね」
クラリッサが窓を開けた。
レナードは壁際へ寝台を運び、椅子を下ろす。
「休む場所は、別の部屋でもいい」
「今は、ここで十分です。馬車より広いですから」
冗談めかして言ったあと、彼女は荷物を卓へ置いた。
革の帳面と、ペン箱。
それから、小さな木札を取り出した。
擦れた表面に、ベルネット商会と彫られている。
立てる場所を探す手が、途中で止まった。
「これも、使っていいでしょうか」
「君の商会の名前だろう。もちろん」
木札が卓の端へ置かれた。
クラリッサは少し離れ、眺めた。
レナードも隣で見た。
王には、財務を預かる者が必要だ。
今朝まで思い描いていただけの役が、こうして部屋と名前を持つと、急に本物らしく見えてくる。
ただ、城の出入りと言ってしまったが、あの人へ客の受付まで頼むことになっただろうか。
あとで確かめておこう。
◇
夕食には、新しい椅子が並んだ。
長椅子を譲り合っていた者も、今日は両足を伸ばして座れる。
ニルスがパン籠を置き、大工の男が皿を配った。ユーゴは兄と水差しを運び、こぼさず置けるたびに少し背を伸ばした。
クラリッサが厨房へ入ると、エステルが手を振った。
「こちらです。あなたの分も、よそってあります」
席が空いていた。
クラリッサはそこへ座り、匙を取った。
豆のスープを口へ運ぶ。温かさが喉を通ると、肩に残っていた力が抜けた。
「明日、何か作れそうですか」
大工の男へ尋ねると、彼はパンを飲み込んで頷いた。
「皿なら。子供用の小さいやつも、要ると思って」
「まず、それをお願いします。城で使って、よければ町にも持っていきたいので」
話が始まる。
レナードは少し離れた席で、その声を聞いていた。
自分が口を挟まなくても、仕事が決まっていく。
王とは、こういう時に余裕を持って食事をするものだろう。
「レナードさん、袖」
隣のエステルが言った。
「え?」
「スープにつきます」
肘を上げると、彼女が外套の端を卓から外してくれた。
「食事の時は、脱いでもいいと思いますけど」
「……そうだな」
頷き、留め金を外した。
広間で迎える客と、毎日一緒に食べる相手。
同じ格好では、少し不便らしい。
◇
夜、ベルトラムは中庭の灯りを確かめていた。
クラリッサの部屋では、まだ窓が明るい。中からは、硬貨を数える音が聞こえる。
食料が入り、仕事が生まれ、金が回り始めた。
その時、門番が駆け寄ってきた。
「王都へ出した使者が、戻りました」
ベルトラムは門へ向かった。
馬から下りた男が、封をした書状を差し出す。
赤い蝋に、王家の紋章が押されていた。
「王都から、査察官が参ります」
ベルトラムの指が、書状を握り直した。
広間へ続く窓には、まだ灯りがある。
彼は封を切らず、その扉へ向かった。
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