第6話 その裁きに、異議はない
レナードが広間へ入ると、椅子に座布団が置かれていた。
濃い青の布で包まれ、四隅には短い房がついている。背もたれの彫刻にも、黒い外套にも合いそうだった。
腰を下ろしてみる。
昨日までとは、まるで違った。
「硬すぎませんか?」
入口でエステルが尋ねた。
「ちょうどいい。これ、どこから?」
「客室の予備の敷布です。中は羊毛を詰め直しました」
「君が縫ったのか」
「昨夜、皆に手伝ってもらいました。ずっと座っていらしたので、腰を痛めないかと思って」
レナードは座布団へ目を落とした。
気づかれていた。
片尻を浮かせたのを見られたのだろうか。いや、彼女は負傷者を診ていたはずだ。ここで慌てて否定するのも、かえって怪しい。
「ありがとう。長く使わせてもらう」
エステルは笑い、腕へ掛けていた上着を直した。洗ったばかりらしく、袖口がまだ湿っている。
「昨夜は眠れた?」
「少し。今は、ほかの人が診てくれています」
昨日攻めてきた軍には、治療のできる者もいた。自分たちの兵を救うため働き始め、夜明けにはエステルへ休むよう勧めたという。
「私が倒れたら、怪我人が増えるだけですから」
「それは困るな」
レナードは頷いた。
気に入った座布団を作ってくれる人が倒れるのも、困る。
◇
中庭では、武器を持たない兵たちが水を運んでいた。
片腕を吊った者は、座って包帯を巻き直す。歩ける者は鍋へ薪を足し、汚れた布を煮ている。
城内の部屋だけでは足りず、馬小屋へ藁を敷いた。入りきらない者は、中庭に張った天幕で一夜を明かした。
その間を、ベルトラムが杖をついて歩いてくる。
「お待たせしました」
広間の卓へ、数枚の紙を置いた。
「死者と負傷者、それから降伏した者の数です。夜のうちに逃げた兵もおりますが、追わせてはいません」
「それでいい。怪我人の食料は足りそうか」
「軍の荷車を押さえました。食料も薬もあります。ただ、全員をここへ留めるとなると――」
「帰れる者は帰そう」
ベルトラムが顔を上げた。
「釈放なさるのですか」
「全員を泊める場所はないだろう」
「それは、そうですが」
言いながら、彼は手元の紙を見た。
レナードは少し考えた。捕虜を帰すにも、何か手順があるらしい。軍にいた男がいるのだから、その辺りは任せた方がよさそうだった。
「自分の意思で来た者ばかりなのか?」
「多くは動員された兵です。農家の子や、町の職人もおります」
「なら、その人たちから。怪我で帰れない者は、治るまで置いてくれ」
ベルトラムの指が紙の端を揃えた。
「承知しました。武器を置かせ、氏名と帰る村を確認します」
「頼む」
返事をしながら、レナードは背を椅子へ預けた。
こうして指示を出すと、物事が進んでいく。
しかも尻が痛くない。
昨日まで、王の暮らしに何が欠けていたのか分かった気がした。
「では、残る2名を」
ベルトラムの声で、入口の兵が動いた。
◇
オスヴァルトは、両手を縛られて入ってきた。
肩を布で吊り、片脚を引きずっている。それでも広間へ入ると顎を上げ、レナードを睨んだ。
後ろにはヘルマンが続いた。こちらは顔を伏せ、足元ばかり見ていた。
「貴様が、この城の……」
オスヴァルトが唇を歪める。
「農民兵を相手に勝って、王にでもなったつもりか」
レナードは返事をする前に、カップを置いた。
そう見えたのなら、嬉しい。
ただ、ここで頷くのは違う気がした。まだ城に人が集まったばかりだし、本人たちの前で事情を説明するのも野暮だった。
「昨日、俺を吊るすと言っていたな」
「反逆者を処刑するのは、領主の権利だ」
「ベルトラムたちも?」
「あれは私の兵だ。どう扱おうと――」
ベルトラムの後ろで、若い兵が動いた。
拳を握っている。
オスヴァルトはそちらを一瞥し、鼻を鳴らした。
「飼い犬を拾って、恩でも売ったか」
「座らせてくれ」
レナードが言うと、兵が2人の後ろへ椅子を運んだ。
オスヴァルトは座らなかった。
その隣で、ヘルマンだけが膝から崩れるように腰を下ろした。
「ご説明します」
声が掠れていた。
「ベルトラム殿への処分は、閣下のご命令で――」
「ヘルマン!」
「私も諫めました! ですが、兵も処刑しなければ示しがつかぬと!」
ベルトラムが卓へ1枚の紙を広げた。
「処刑命令書です。逃げる時、持ち出しました」
署名が2つあった。
領主の名と、その下へ添えられた代官の名。
ヘルマンが口を閉じた。
レナードは紙を読み、顔を上げた。
「命令を書いたのは君か」
「……職務で、ございます」
「そうか」
静かな返事のあと、ヘルマンの肩が小さく震えた。
◇
「国王へ引き渡すのが、筋かと存じます」
ベルトラムが言った。
レナードは彼を見た。
「国王?」
「はい。封土を預かる領主が私兵を動かし、買い取られた城を攻撃した。兵への処分についても、証人がおります。王都へ訴え出ることができます」
「馬鹿を言うな」
オスヴァルトが笑った。
「王都へ着くまで、何日掛かる。誰が証人を守る? 私が戻れば、こいつらの家族がどうなるか、考えてみろ」
若い兵の顔から血の気が引いた。
レナードは、組んでいた手をほどいた。
家族まで出てくるのか。
捕らえた敵を逃がすと、こういうことが起きる。物語では見たことがあるが、実際に言われると、ひどく面倒だった。
「君は戻らない」
オスヴァルトの笑いが止まった。
「王都から迎えが来るまで、この城にいてもらう。手紙も、人を使う時も、こちらで確かめる」
「私を監禁するつもりか!」
「昨日は、俺を吊るすつもりだったんだろう」
レナードは声を荒らげなかった。
怒鳴り返しては、せっかくの椅子が似合わなくなる。
「部屋と食事は用意する。裁きが下るまで、そこで待ってくれ」
オスヴァルトが卓を蹴った。
動かなかった。
続いて立とうとした身体が、椅子へ押し戻された。顔を赤くして脚を踏ん張るが、腰は指1本ぶんも浮かない。
「連れていってくれ」
兵が両脇へ立つと、ようやく身体が動いた。
ヘルマンは抵抗しなかった。処刑命令書を見つめたまま、部屋を出ていった。
◇
昼過ぎ、門の外へ兵たちが並んだ。
帰りの食料を受け取り、名前を告げて坂を下る。松葉杖を使う者には、同じ村の兵が肩を貸した。
列の途中で、1人の男がベルトラムへ尋ねた。
「家族が心配なんです。領主様の兵が村に残っていたら……」
「戻り次第、村長へ事情を伝えろ。危険なら、家族を連れてここへ来い」
男は城を見上げた。
「入れてもらえるんですか。俺たちは、昨日……」
城へ砲を向けた。
最後まで言えなかった言葉を、ベルトラムは聞いたように頷いた。
「門で名乗れ。今度は、剣を持たずに」
男は深く頭を下げた。
その姿を、レナードは広間の窓から見ていた。
帰る者たちが城を振り返り、帽子を取っていく。
城の評判も、少しはよくなるだろうか。
あそこには得体の知れない男がいる、くらいならいい。何を頼んでも追い返されると思われては、客が来なくなる。
「こちらにも、お目通しを」
ベルトラムが戻ってきた。
卓へ広げられたのは、王都へ送るという書状だった。
戦いの経過と、領主を拘束した理由。負傷兵の保護。それから、近隣の村で報復を行わせないため、城へ逃げる者を受け入れることが書かれている。
「俺の名前で出すのか」
「はい。城主として、署名をいただきたく」
レナードはペンを取った。
こういう書状には、封蝋があるといい。
自分の紋章も、そろそろ考えるべきかもしれない。
丁寧に名前を書き終えると、ベルトラムが紙を受け取った。
「確かに、お預かりしました」
◇
夕方、エステルは厨房でパンを切っていた。
昨日の兵が残した鍋では、豆と肉が煮えている。ニルスは火を見ながら、片手で生地を丸めていた。
「今日のは、ちゃんと焼けそうです」
「もう少し小さくてもいいわ。怪我人には、切って渡すから」
その時、門の方から声がした。
兵の怒鳴り声ではなかった。
子供が、母親を呼んでいる。
エステルが中庭へ出ると、門の外に荷車が1台止まっていた。
鞄と毛布、その隙間に幼い兄妹が座っている。引き手の男は、昼に帰った兵だった。
「妻の実家が、この先の村なんです」
男は息を整えながら、門番へ話していた。
「兵が食料を持っていって、冬まで保たないって……。働きます。俺も、妻も」
レナードが広間から出てきた。
荷車を見て、厨房を振り返る。
「何人増える?」
「私たち夫婦と、子供が2人です」
「分かった。中へ」
男が妻の手を握った。
子供たちが荷車から下ろされる。兄が妹の靴を拾い、履かせてやっていた。
エステルは厨房へ戻り、パンを切る幅を少し狭くした。
鍋には、まだ余裕がある。
広間では、レナードが帳面を開いていた。
名前が4つ、増える。
城で暮らす者が増えれば、それだけ王らしくもなるだろう。ただ、客室の椅子まで運び出すと、謁見に使う分がなくなる。
明日は家具を買いに行こう。
彼がそう決めた頃、門の外ではもう1組、城へ続く坂を上ってきていた。
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