第5話 玉座からは立たない
城の西に、赤い旗が並んでいた。
歩兵の列が坂の下を埋め、その後ろを騎兵が進む。馬に引かれた魔導砲は6門。荷車から弾薬箱が降ろされるたび、指揮官の笛が鳴った。
窓辺のベルトラムが、敷居へ手をついた。
「閣下の旗です。砲兵まで、全て……」
「傷は大丈夫か」
「寝ていられません」
包帯の下から血が滲んでいるわけではなかったので、レナードはそれ以上言わなかった。
広間の奥へ戻り、椅子へ腰を下ろす。
黒い外套の裾を整える。卓には茶を置いた。入口には、志願した兵が2人立っている。
ついに、この光景が揃った。
レナードは肘掛けへ両腕を置き、門前へ意識を向けた。
◇
オスヴァルトは、馬上から城を見上げた。
壁は古い。塔の1つには草が生え、門に至っては紋章すら掲げられていない。
こんな場所へ2度も兵を退けられたなど、認めるわけにはいかなかった。
「弓兵は左右へ。砲撃のあと、歩兵を入れろ。城内の者は全員引き立てる」
隣でヘルマンが頷く。
「城主とベルトラムは、城門へ吊るせ」
その言葉に、門前の空気が震えた。
『話は終わったか』
声がした。
近くにいる男が、静かに尋ねたような声だった。
オスヴァルトは顔を上げる。
『用件を聞こう』
「領主オスヴァルトである! 城を明け渡せ! 今なら貴様以外の者の命は助けてやる!」
門の向こうから、返事はなかった。
レナードは広間で、少し困っていた。
先ほど全員引き立てると言い、今度は命を助けると言う。どちらにしても、客を渡す話には変わりない。
「断る。帰ってくれ」
オスヴァルトの口元が歪んだ。
「撃て」
◇
6つの砲口が、白く輝いた。
砲架が跳ね、地面へ打ち込んだ杭が軋む。噴き出す煙を押し破り、炎をまとった鉄球が城へ走った。
先頭の弾が門へ迫る。
その後ろへ、残る5発が続いた。
轟音が広間の窓を震わせた。
エステルが胸元を掴み、ベルトラムが窓の外へ身を寄せる。
砲弾は、門の前で止まっていた。
6つとも。
炎を噴いたまま宙に並び、門へ届かず震えている。
砲兵の1人が、装填棒を落とした。
「閣下。やはり、報告は――」
「次弾を込めろ!」
オスヴァルトが怒鳴った。
「止めているだけだ! 続ければ保たん!」
弾薬箱が開かれる。
レナードは、兵たちの動きを見ていた。前回と同じだった。砲弾を下ろせば、また撃ってくる。
では、返そう。
炎をまとった鉄球が、ゆっくり向きを変えた。
砲列の右端で、兵士が装填棒を放り出した。
「逃げろ!」
走り出した背中へ、指揮官が怒声を浴びせる。
その声を、最初の着弾が潰した。
鉄球が砲身を貫き、後ろの地面へ突き刺さった。砲架が砕け、持ち上がった車輪が兵を巻き込んで飛ぶ。
2発目が弾薬箱を叩いた。
白い閃光が膨れ上がる。
砲兵が伏せる間もなく、炎に呑まれた。鉄片が盾を突き破り、馬の腹を裂く。砲を引いていた馬が倒れ、繋がれたもう1頭まで地面へ引き倒した。
爆発は、隣の砲へ燃え移った。
オスヴァルトの馬が前脚を上げる。手綱へしがみついた彼の頭上を、千切れた腕が越えていった。
頬へ熱いものが掛かった。
拭った手袋が、赤く染まる。
「盾を! 閣下の前へ!」
ヘルマンが叫んでいた。
並んだ盾へ、焼けた砲の部品が突き刺さった。兵士が悲鳴を上げ、盾ごと倒れる。
6門あった砲列は、火と黒煙の中へ消えていた。
◇
ベルトラムは窓枠を握ったまま、動けなかった。
自分たちの時は、砲が折られただけだった。
兵は帰された。武器も返された。
あれが手加減だったことを、今になって知った。
「……退け」
誰にともなく呟いた。
しかし窓の向こうで、領主の旗は前へ進んだ。
「突撃しろ! 魔術師は城内だ! 門を破れば殺せる!」
オスヴァルトの声に、歩兵が動く。
後ろから騎兵に追い立てられた列が、盾を前へ出して坂を上り始めた。
広間で、レナードはカップを置いた。
帰らない。
ここまでされたら、普通は帰るものではないだろうか。とはいえ、まだ戦うというのなら、追い払わなければ終わらなかった。
ちょうどいい。
城を買った時から、1度やってみたかったことがある。
門の左右で、石積みの継ぎ目から砂が落ちた。
◇
先頭の歩兵が、城壁を見上げた。
石が、抜けていた。
上から崩れたのではない。人の胴ほどもある石が、壁からまっすぐ前へ出てくる。
その隣も、その下も。
幾つもの石が外れ、城壁の一角が櫛の歯のように透けた。
「壁が崩れるぞ!」
「止まるな! 進め!」
誰かが叫んだ。
だが、石は落ちなかった。
宙で列を作り、角をこちらへ向ける。
兵士は盾を持ち上げた。
次の瞬間、前にいた男が消えた。
石が盾を砕き、その後ろの胸甲を潰した。男の身体を抱えたまま、さらに2人を巻き込んで地面へ突き刺さる。
遅れて、重い音が腹を打った。
左でも、右でも、隊列に穴が開く。
折れた槍が跳ね、盾を握った腕だけが地面へ落ちた。石は土を噴き上げて跳び、逃げようとした兵の脚を薙ぎ払った。
悲鳴が重なった。
「伏せろ!」
伏せた頭上を、次の石が抜けた。
後ろで騎馬が砕けるように倒れ、乗っていた騎士が投げ出される。鎧のまま転がった身体を、後続の馬が踏み越えた。
もう、誰も前を向いていなかった。
兵たちは盾を捨て、這い、互いを押し退けて坂を下る。
オスヴァルトが剣を振っていた。
「戻れ! 戻らんか!」
その足元へ、石が落ちた。
馬の前脚が折れた。
オスヴァルトは鞍から投げ出され、肩から地面へ叩きつけられた。息が詰まり、剣が手を離れる。
顔を上げると、目の前に石があった。
血と土のついた角が、ゆっくり持ち上がる。
喉から声が漏れた。
逃げようとしたが、脚が動かなかった。
石は彼の頭上を越え、城へ戻っていった。
◇
戦場から石が浮き上がった。
地面へ埋まったものも、折れた盾へ食い込んだものも、1つずつ抜けていく。まとわりついた泥と血が途中で振り落とされた。
石そのものには、欠けた痕すらない。
レナードが衝撃を受ける面まで《領域》で支え、形を保っていたからだ。
石が城壁へ収まる。
最後の隙間が閉じた。
門の前には、傷1つ残っていなかった。
窓辺のベルトラムは、荒れ果てた坂と、元どおりの城壁を交互に見た。
背後で椅子が鳴る。
レナードが、肘掛けへ手を置いて座り直していた。
これほどの力を振るったあとも、息さえ乱れていない。
ベルトラムは膝をついた。
「……我々を、守ってくださったのですね」
レナードは静かに頷いた。
立って話を聞くべきだろうか。
だが、今はまずい。尻が痺れている。立った途端によろけたら、せっかくの勝利が台無しだった。
「礼はいい。皆のところへ戻ってくれ」
ベルトラムは深く頭を下げた。
勝利への賛辞より、保護した者たちの無事を優先する。この人に、部下の命を託してよかった。
足音が遠ざかるのを待って、レナードは片尻を浮かせた。
座布団は、今日買う。
◇
門が開いた。
剣をなくしたオスヴァルトと、その脇で両手を上げたヘルマンを、残っていた兵が連れてきた。
ベルトラムが門前へ立つ。
「武器を置け。負傷者は、その場から動かすな。担架を出す」
以前の部下たちが、彼の指示で走った。
厨房からエステルも出てくる。包帯を抱えたニルスへ声を掛け、倒れている者の間へ膝をついた。
降伏した兵の1人が、その顔を見て息を詰めた。
敵兵を治した罪で、捕らえられた女だった。
今、彼女の手が自分たちへ伸びていた。
「立てますか。無理なら、そのままで」
兵は何度も頷いたが、身体は起こせなかった。
エステルが人を呼ぶ。
城門の下を、最初の担架が通った。
その向こうでは、王になりたい青年が、椅子へ置く布を探していた。
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