第4話 今度は、門を叩いて
ベルトラムが領主の館へ戻った時、広間には既にヘルマンがいた。
卓には、城へ持ち込んだものと同じ書状が置かれている。
「50人を連れていって、砲を2門失ったそうだな」
領主オスヴァルトは、杯を手にしたまま言った。
「申し訳ございません。ただ、兵に死者は――」
「だから何だ」
杯が卓へ置かれた。
「兵を殺さず、食料だけ奪われて帰ってきた。相手の機嫌を損ねぬよう、砲まで差し出したか?」
「砲は、目の前で折られました。門へ近づくこともできず、矢も砲弾も空中で止まったのです」
「もう聞いた」
オスヴァルトが遮った。
「姿も見せない相手に怯えた言い訳を、何度も聞かせるな」
ベルトラムは、握っていた兜から指を離した。
「実際に城内へ入り、話をしました。若い男です。しかし、あれほどの魔術を扱う者は見たことがありません。攻めるのであれば、まず――」
「まだ指図をするつもりか」
領主がヘルマンへ手を差し出した。
渡されたのは、兵の配置図ではなかった。
ベルトラムの名が書かれた、処分状だった。
◇
翌日の昼、廃城ではパンが膨らまなくなっていた。
粉屋の息子ニルスは、焼き上がった塊を卓へ置き、申し訳なさそうに肩を落とした。
「朝より火が弱かったみたいで……」
表面は白く、持つと重い。
レナードはひとかけ口へ入れた。噛めないほどではないが、昨日のものとは違った。
「窯を見よう。途中で隙間が開いたのかもしれない」
「すみません。粉を無駄に」
「切ってスープに入れれば食べられる。俺が焼いたものより、ずっといい」
ニルスが顔を上げた。
「焼いたこと、あるんですか」
「ある。2度目は、火から離す時に剣が要った」
笑われた。
エステルまで口元を押さえている。
レナードはパンを皿へ戻した。王にも失敗した過去くらいあるだろう。あまり詳しく話さなければ、問題はないはずだった。
その時、門の外で馬がいなないた。
続いて、人の叫び声がした。
レナードは席を立ちかけ、止まった。
門前に、人がいた。
8人。倒れかけた男を左右から支えている者が2人。その後ろで、1人がしきりに坂を振り返っていた。
「誰か、頼む! 開けてくれ!」
門が叩かれる。
エステルが窓へ駆け寄った。
「兵士です。怪我をしている人も……!」
レナードは門を開いた。
支えられていた男が顔を上げる。
ベルトラムだった。
◇
「先日の、軍務官です」
中庭へ入ったベルトラムは、自分で歩こうとして膝をついた。
背中の上衣が裂け、血が腰帯まで染みていた。両手首には縄の擦れた痕がある。
「どうか、部下を……中へ」
「もう入っている。君も動かなくていい」
レナードは身体を支え、傷のない方を壁へ預けた。
先日は、軍を率いて来た男だ。
その男が、今度は自分を頼って来た。
こういう展開もあるのか。
思わず顔を見てしまい、すぐに傷へ視線を戻す。歓迎の言葉を考えるのは、あとだった。
エステルが跪き、上衣を切り開いた。
「何をされたんですか、これ……!」
「鞭だ。俺だけで済むはずだったが」
ベルトラムは門へ入ってくる兵たちを見た。
「同行した兵も、見せしめに処刑すると。こいつらが牢を開けて……」
「隊長が、俺たちの助命を頼むからです」
若い兵士が言った。
泥に汚れた顔を、袖で拭う。
「砲を失ったのは指揮官の責任だって。俺たちには、言われたとおりに報告しろと……そんなの、できるわけないでしょう」
エステルが傷へ手をかざした。淡い光が、裂けた皮膚を覆う。
「話はあとにしてください。まず血を止めます」
門の外で蹄が鳴った。
坂を上ってきた騎兵が、中庭を覗き込む。
「そこだ! 逃亡者を確認!」
若い兵士が剣へ手を伸ばした。
レナードはその前へ出た。
「剣は抜かなくていい」
声を掛けた時には、追っ手の槍がこちらへ向いていた。
「そいつらを渡せ! 領主閣下の命令に――」
槍の柄が、兵の手の中で軋んだ。
鉄の穂先が潰れる。
持ち主の顔へ折れ曲がる直前で止めると、兵は槍を捨て、手綱を引いた。
ほかの騎兵も馬を返した。
レナードは背中を見送り、門を閉めた。
◇
ベルトラムは、大工の男と同じ部屋へ運ばれた。
寝台が足りない。
レナードが予備の板を探していると、兵たちが自分から動き出した。
「長椅子を借りてもよろしいでしょうか。俺たちは、それで寝られます」
「毛布だけあれば十分です」
つい先日まで城へ矢を射ていた者たちが、廊下の家具を運んでいる。
先客の大工が壁を指した。
「そっちは雨が染みる。奥へ寄せよう」
「この城、雨漏りするんですか」
「する。城主様も、そこは直せなかったらしい」
聞こえていたが、レナードは黙っておいた。
戦いに敗れた兵が、自分の城で傷を癒やす。そこまでは申し分ない。
雨漏りについては、早く何とかしよう。
厨房へ戻ると、ニルスが麦を量っていた。
「何人分、増やしましょう」
「8人」
「分かりました。パンは、薄く切ります」
隣でエステルが布を煮ている。鍋を覗き込んだまま、レナードへ話しかけた。
「傷口は塞げました。ただ、熱が出るかもしれません。今夜は診たいので、私も同じ部屋に」
「椅子を運んでおく。食事は?」
「あとで……」
彼女の手が止まった。
顔を上げ、少し困ったように笑う。
「今、食べます。昨夜、私が皆に言ったことでした」
レナードは椀を差し出した。
◇
夕方、ベルトラムがレナードを呼んだ。
寝台へ伏せたまま、枕元に置いた剣を見る。
「申し訳ありません。昨日、見逃していただいたばかりで、このような……」
「逃げてきてよかった。間に合ったんだから」
ベルトラムの指が、敷布を掴んだ。
「閣下は、ご自身で兵を率いるつもりです。常備兵だけではない。各地の守備隊、騎士、砲兵も集めています」
「全員、ここへ?」
「はい。私が出る前に、動員の命令が出ました」
レナードは窓を見た。
外では兵たちが井戸から水を運んでいる。エステルに言われたのか、血のついた服を大きな桶へ浸していた。
あの者たちを処刑するために、全軍が来る。
そこまでして連れ戻したいのか。
「城から出すわけにはいかないな」
「私たちを置けば、あなたまで領主軍と戦うことになります」
レナードはベルトラムへ向き直った。
「もう、2度戦っている」
それはそうだが、という顔をされた。
病人へ言い負かすような返事をしてしまった。もう少し、王らしい言葉があったはずだ。
彼は声を落ち着かせた。
「ここまで逃げてきた者を、門の外へ戻す気はない」
ベルトラムが顔を伏せた。
やがて、寝台の端から片手を下ろす。
「剣を、取っていただけますか」
レナードが渡すと、彼は鞘ごと両手で持った。そのまま寝返りを打とうとして、傷が引き攣ったのか息を詰める。
「寝たままでいい。何をするつもりだ」
「私の剣を、お預けします。動けるようになりましたら、城を守るために使わせてください」
レナードは、差し出された剣を見た。
忠誠を誓う場面だった。
まだ国もないのに、そこまで付き合ってくれるのか。
いや、ベルトラムも軍を率いていた男だ。助けられた礼には、それにふさわしい作法があるのかもしれない。
なら、こちらも受けなければ。
鞘へ手を添える。
「預かる。ただし、使うのは傷が治ってからだ」
ベルトラムは目を閉じ、深く頷いた。
◇
夜、広間の卓へ1冊の帳面が置かれた。
持ってきたのはエステルだった。
「ベルトラムさんに頼まれました。皆の名前と、できる仕事を書いてあります」
大工。農夫。粉屋。
馬の世話ができる兵、鍛冶場で働いた経験のある兵。読み書きのできる者の名前には、印がついている。
最後の欄には、13人分の名が並んでいた。
「食料も数えておきました。しばらくは足ります。怪我人が増えても、寝かせる部屋はまだあります」
レナードは帳面をめくった。
人の名前と仕事が、城の部屋割りの隣へ書き込まれている。
3年間、自分で何もかも決めていた城だ。
それが今は、自分が知らないうちに整い始めている。
「助かる。任せてもいいかな」
「はい」
エステルは帳面を胸へ抱え直した。
頼んでおいたわけでもないのに、皆が役を見つけてくれる。
レナードは椅子へ背を預けた。
次に使者が来た時には、広間の両脇へ兵を立たせることもできるだろうか。
少し多すぎる気もする。まずは2人。残りは、入口に。
その頃、エステルは廊下で兵たちへ帳面を開いていた。
「ここにいる間、食べられなくなる人が出ないようにしたいんです。厨房と倉庫を、一緒に見てもらえますか」
兵たちは頷いた。
今度は守る側として、この城に残る。
誰に命じられるでもなく、翌朝の仕事が決まっていった。
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