第3話 客席は、こちらへ
城へ来て5日目、エステルは裏庭でレナードを見つけた。
桶を逆さにして腰掛け、剣を持った藁人形と向き合っている。
人形が斬りかかった。
刃は彼の肩へ触れる寸前で止まり、次には手首ごと地面へ押しつけられる。その間に別の人形が背後から槍を突き出したが、穂先は頭上を抜けて木へ刺さった。
「……朝から、鍛錬ですか」
レナードが振り向く。人形たちが一斉に止まった。
「少し、身体を動かそうと思って」
座っていたようにしか見えなかったが、エステルは頷いた。
「お客さんが来ています」
彼はすぐに立ち上がった。
「何人?」
「門から見えたところでは、50人ほど。馬車も2台あります」
レナードは桶を見下ろした。
危ないところだった。
もう少し遅ければ、この格好を見られていたかもしれない。
◇
坂の上に、兵が並んでいた。
弓兵の後ろに槍兵。その脇では、荷車から車輪のついた筒が降ろされている。金属の砲身に刻まれた溝が、青く光っていた。
なるほど。今度は人数だけでなく、道具も用意してきたらしい。
レナードは広間の椅子へ座り直した。今日は黒い外套を着ている。鏡で確かめた時には、少なくとも古物商には見えなかった。
門前へ声を運ぶ。
「用件を聞こう」
隊列がざわめいた。
先頭の騎士が兜を上げる。先日の隊長とは違い、髭に白いものが交じった男だった。
「領主閣下の命により、この城を接収する! 直ちに開門し、武装を解け!」
接収。
買って3年も経つ城を、今になって取り上げるつもりなのか。
「城の代金は払った。売買の証書もある」
「反逆者の財産は没収される!」
レナードは膝の上で指を組んだ。
反逆者になっていた。
昨日までは城主だったのに、ずいぶん話が進んでいる。先日の返答が、それらしく聞こえたのだろうか。
もっとも、相手もここまで兵を連れてきた以上、簡単に引き返せないのかもしれない。
「証書の確認なら、武器を置いて入ってくれ」
「これが最後だ! 門を開けなければ、撃つ!」
砲の後ろで、兵士が柄を回した。
砲身の溝が明るくなる。
広間の脇で、エステルが息を呑んだ。
「魔導砲です。城門を壊すための……!」
レナードは彼女へ顔を向けた。
「廊下へ下がっていてくれ」
「でも」
「ここからは、門がよく見えないだろう」
窓の近くへ寄られては困る。石の破片を残さず止める練習もしているが、客を危ない場所へ立たせる理由にはならなかった。
エステルが廊下へ退いたのを確かめ、レナードは門前へ意識を戻した。
砲口が白く光る。
轟音とともに、炎をまとった鉄球が放たれた。
門へ迫るそれを、《領域》で包む。
速さを奪い、炎を引き離す。鉄球は門の前で止まり、炎だけが空へ昇って消えた。
兵たちの声が途絶えた。
レナードは鉄球を傾け、門の外へ下ろした。敷石へ傷がつかないよう、ゆっくり置く。
「次は、もう少し小さな声で頼めるか。怪我人が寝ている」
今のは、よかった。
あれほどの音がしたあとに、静かに返せた。自分でも驚くくらい、声が落ち着いていた。
騎士が剣を抜いた。
「撃ち続けろ! 弓隊、前へ!」
矢が一斉に放たれた。2門目の砲が唸り、兵たちが盾を掲げて駆け出す。
レナードは肘掛けへ手を置いた。
門前に矢が並ぶ。
飛んできた姿勢のまま、何十本もの矢が宙で止まった。続く鉄球も、その後ろへ収まる。
突撃していた兵士が足を止めた。後続がぶつかり、盾の列が崩れる。
1人が槍を突き出した。
その槍だけを抜き取り、ほかの武器と一緒に持ち上げる。剣が、斧が、弓が、兵たちの頭上へ浮かんだ。
誰かが悲鳴を上げた。
「下がれ! 砲の後ろまで下がれ!」
騎士の号令で兵が逃げ戻る。
レナードは、2台の魔導砲を見た。
あれを残しておくと、また撃たれる。
砲身を持ち上げ、車輪から外す。兵士が操作する柄へしがみついたので、そちらは指が離れるまで待った。
金属が軋む。
長い砲身が、真ん中からゆっくり折れ曲がった。
同じ形に揃えた2本を、道の端へ置く。
坂の上が静かになった。
◇
「門を開ける。話をする者だけ入れ」
騎士は動かなかった。
馬が後ずさり、それを抑えたところで、ようやく門を見た。
「……何を、するつもりだ」
「先ほどから言っている。話を聞く」
少し待つと、騎士が馬を下りた。
兵へ何事か言い残し、1人で門をくぐる。中庭に入ってすぐ、客室の窓を見上げた。
そこから、大工の男が顔を出していた。
「怪我は、どうだ」
騎士が尋ねた。
「歩けるようにはなりました」
「そうか」
レナードは、その短いやり取りを聞いていた。
顔見知りらしい。
それなら交渉もしやすいかもしれない。騎士を広間へ通し、卓の向かいの椅子を引いた。
男は座らず、入口で片膝をついた。
「軍務官ベルトラム。降伏いたします。兵への処罰は、私が……」
「そこへ座ってくれ」
まずかっただろうか。
片膝をつかれる想定もしていたが、今の配置では低すぎる。顔を見るたびに、こちらが卓越しに身を乗り出すことになる。
ベルトラムは僅かに顔を上げ、椅子へ移った。
「怪我人は出ていないか?」
「ありません。今のところは」
「なら、兵を連れて帰っていい。ただし、ここへ撃ち込むのはやめてもらう」
男がレナードを見つめた。
「条件は、それだけですか」
それだけでは、軽すぎるのか。
レナードは少し考えた。交渉の席なのだから、こちらも何か要求するべきかもしれない。
「運んできた荷を見せてくれ」
◇
中庭へ、麦の袋が積まれた。
干し肉、塩、豆。煮炊き用の鍋まである。
50人で数日包囲するための食料だという。
レナードは袋を開け、中身を確かめた。城の備蓄は、予想より早く減っていた。食べる者が6人になったのだから当然だ。
「これを置いていってくれ。食料の分は、武器を返す」
ベルトラムは答えるまでに時間がかかった。
「……承知しました」
門外へ剣と槍が下りていく。矢は束ね、砲弾は砲の脇へ置いた。
曲がった砲身だけは、そのままにしておく。
あれで何もなかったと言い張るのは、難しいだろう。
兵たちが去ると、客室から4人が出てきた。
大工の男が麦袋へ手を掛け、エステルに止められる。
「まだ持たないでください。肩が開きます」
「見てるだけじゃ、落ち着かなくて」
レナードは袋を浮かせ、厨房へ運んだ。
男が苦笑して手を引く。
「俺の仕事、なくなりそうですね」
「井戸の屋根は、直せない。雨が漏る場所を塞いだら、別の所から降ってきた」
「そりゃ、水の道を見ないと」
男の声が、少し明るくなった。
◇
その晩、厨房には焼けたパンの匂いが満ちていた。
敵兵だった青年が、包帯のない方の手で小さなパンを割った。温かい中身から湯気が上がる。
「片手なので、形は悪いですけど」
レナードは受け取り、ひと口食べた。
表面が香ばしい。噛むと、麦の甘みが残った。
「これ、明日も焼ける?」
「粉があれば」
「今日、随分増えた」
青年が笑った。
隣のエステルもパンを割り、熱そうに指を持ち替えている。
城を取り上げに来た軍は帰った。食料は増え、焼きたてのパンまで出てきた。
レナードは卓の向こうを見た。
少なくとも、王の仕事をした日というのは、こういう夕飯で終わってほしかった。
◇
城から離れた街道で、ベルトラムは伝令へ書状を渡した。
「閣下へ。砲は通じず、兵は武器を奪われた。相手は最後まで姿を見せなかったと伝えろ」
「姿を?」
「城内へ入るまで、誰が止めているのかさえ分からなかった」
伝令が書状を胸へ収める。
「増援を要請されますか」
ベルトラムは、空になった荷車へ目を向けた。
あの青年は食料を要求した。
敵兵を飢えさせるためではない。城内で保護した者たちへ、食べさせるためだった。
「まず、閣下の判断を待つ」
答えてから、もう1つ言い添えた。
「城へ向かう者を見つけても、手を出すな」
兵が顔を上げた。
「よろしいのですか」
ベルトラムは、坂の向こうの城を振り返った。
「今日の条件を、破るつもりはない」
その夜から、街道の検問は城へ続く脇道を塞がなくなった。
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