第2話 王には、仕事がある
朝、厨房へ入ったレナードは、鍋の前で立ち止まった。
粥ができていた。
昨夜より濃い。刻んだ干し肉に加え、棚へ置いてあった玉ねぎまで入っている。
「おはようございます。勝手に厨房を使ってしまって、すみません」
エステルが振り返った。髪を後ろで結び、外套の代わりに袖をまくっている。顔色はまだ悪かったが、昨夜のように壁へ手をつくことはなかった。
「よく眠れた?」
「はい。起きたら明るくなっていて、驚きました」
彼女は椀を並べ、レナードの前へ1つ置いた。
「食事と寝場所のお礼です。皆の分も、もう運びました」
レナードは卓へ座った。
誰かが朝食を作って待っている。
城を買ってから初めてのことだった。しかも、自分が助けた治癒師である。王には、こうして身の回りを整える者もいるのだろう。
ただ、彼女の手には昨夜の傷が残っていた。
「洗い物は俺がやる。今日は、その手を休ませてくれ」
「これくらいなら平気です」
「治療する時も使うだろう」
エステルは自分の掌を見て、椀を持ち直した。
「……では、お任せします」
粥を口へ運ぶと、玉ねぎの甘みがした。自分で作る時は、切る手間を省いて入れなかった具だ。
「うまいな」
「よかった。塩の場所が分からなくて、少し探しました」
「棚の上か。次から下へ置いておく」
エステルが小さく笑った。
そこでレナードは、今の言い方では次も作ってもらうつもりに聞こえたかもしれないと気づいた。
訂正するのも妙だったので、粥を食べた。
◇
食後、エステルは負傷者たちを連れて広間へ来た。
寝ていた3人のうち、敵兵の青年だけは椅子に座っている。ほかの2人と荷車を押していた男は、壁際へ並んだ。
レナードは奥の椅子で彼らを迎えた。
ようやくだった。
門前でも厨房でもなく、磨いた床の先、高窓から光の差す場所。肘掛けへ腕を置き、足は組まずに待つ。傷ついた客の前でくつろぎすぎるのも違う気がした。
「昨日は、ありがとうございました」
エステルに続き、4人が頭を下げる。
「詳しくお話しします。この人たちは、東の戦線から戻った兵です」
彼女は順に名前を告げた。
敵兵の青年は、隣国から徴集された粉屋の息子だった。捕らえられた時には肩を深く斬られ、治療の必要はないと放置されていた。
「私が勝手に治療したんです。それで拘束されて……この人たちが、外へ出してくれました」
足を引きずる男が口を開く。
「俺たちは、エステルさんに助けてもらいました。あのまま見捨てたら、今度は俺たちが眠れなくなる」
「それで全員、追われることになったのか」
男が頷いた。
エステルは膝の上で手を握っていた。
「このまま、長くご迷惑をかけるつもりはありません。歩けるようになったら出ていきます。ただ、それまで……」
「行く当てはある?」
返事はなかった。
レナードは広間を見渡した。
部屋は余っている。寝具もある。足りないのは食料だが、買えば済む。討伐で貯めた金は、城の購入後も残していた。
そして何より、ここで行き場のない客を追い出す王というのは、どうなのだろう。
少なくとも、自分が演じたい王ではなかった。
「怪我が治るまでは、ここにいればいい」
エステルが顔を上げた。
「ですが、軍が来ます。昨日の隊長は、領主直属の――」
「来たら会うと、昨夜言ったはずだ」
静かに返せた。
レナードは肘掛けの指を動かさずにおいた。今、落ち着かなくなっているのは自分だけだろうか。5人とも黙ってこちらを見ている。
何か、付け加えるべきかもしれない。
「その代わり、動けるようになったら手を貸してほしい。見てのとおり、広すぎて持て余している」
男たちが顔を見合わせた。
「井戸の屋根なら直せます。大工をしていたので」
「俺は畑仕事を。城の裏、草を刈れば使えそうでした」
「粉挽きと、パンなら……」
最後の声は、椅子の青年だった。
包帯の巻かれた肩を押さえ、恐る恐るレナードを見る。
「俺も、残っていいんですか」
「パンを焼けるなら、ぜひ頼みたい」
青年の口が開いたまま止まった。
エステルが隣へ手を添えると、彼は何度も頷いた。
レナードは深く腰掛け直した。
大工と農夫とパン職人。
城で暮らすには、実に頼もしい顔ぶれだった。
◇
昼前、門の外へ馬車が来た。
今度は荷台ではなく、幌のない客車だった。護衛を連れた細身の男が下り、門脇に並ぶ武器を見て眉を寄せる。
レナードは広間にいた。
門へ声を届かせるのは、何度も試している。《領域》で声の振動を運び、男の前へ落とした。
「用件を聞こう」
男の肩が跳ねた。
周囲を見回してから、胸元を正す。
「領主閣下の代官、ヘルマンと申す。城の所有者に面会を求める」
「武器は門へ置いてくれ。中へ案内する」
男は護衛を振り返った。短い相談のあと、2人とも剣を外す。
重い門が開いた。
広間までの扉も順に開けながら、レナードは背を伸ばした。
正式な使者だ。
昨日の兵とは違う。相手は名乗り、面会を求め、武器を置いた。ならば、こちらも相応に迎えなければならない。
卓のカップを見た。
茶を出すべきか。交渉の前に飲み物を勧める王は、親しみやすくなりすぎないだろうか。
迷っている間に、ヘルマンが入ってきた。
「あなたが、この城の……」
「レナード・アシュクロフトだ」
男は椅子の前で立ち止まった。
レナードが立たないことを確かめるように顔を見てから、封のある書状を差し出す。
「逃亡兵4名と治癒師1名の引き渡しを。また、昨日押収された武器の返還を求めます」
書状が手を離れ、レナードの前へ運ばれた。
ヘルマンの指が引っ込む。
「武器は持ち帰っていい。人は渡せない」
「罪人と知って匿うのですか」
「まだ怪我が治っていない」
「治れば引き渡すと?」
レナードは書状から目を上げた。
広間の脇に、エステルが立っていた。朝より青い顔で、こちらを見ている。
自分の返事で、あの客室へ兵が入る。
それは、許せなかった。
「治ったあとは、本人に行き先を決めてもらう」
ヘルマンの目が細くなった。
「この城を購入されたことは承知しております。しかし、城壁を手に入れたところで、閣下の裁きを退ける権利まで得たわけではありません」
そう来たか。
レナードは、声を低くしすぎないよう気をつけた。
「なら、閣下へ伝えてくれ。ここで休んでいる者を連れ出したければ、俺に話を通せと」
「それが、正式な返答ですか」
正式。
いい言葉だった。今まで商人に尋ねられたのは、油の銘柄と薪の本数くらいだ。
「ああ。それが、この城の返答だ」
ヘルマンは黙って書状を受け取った。
退出するまで、レナードは椅子を立たなかった。
◇
馬車が坂を下ってから、エステルが歩み寄ってきた。
「私たちのために、そこまで……」
「引き渡すつもりなら、昨日泊めたりしない」
彼女は胸元を押さえた。
「治療所の仕事をしていたので、寝具の洗い方も、薬の管理もできます。ここにいる間、働かせてください」
「助かる。怪我人のことは、俺より君の方が分かる」
エステルは頷いた。その顔から、初めて迷いが消えた。
廊下へ戻った彼女が、男たちへ声を掛ける。
「裏庭へ行く前に、足を見せてください。無理をして長引かせたら、畑どころではありませんよ」
「草の具合を見るだけですって」
「昨日もそう言って、荷車を押していたでしょう」
レナードはその声を聞きながら、卓へ置き忘れていたカップを取った。
冷めていたが、構わなかった。
今日は、椅子から立たずに使者と話した。
しかも客は残り、城の仕事まで引き受けてくれた。王の暮らしというものへ、確実に近づいている。
◇
同じ頃、坂を下る馬車の中で、ヘルマンは膝へ書状を広げていた。
城内で書き留めた返答を、もう一度読む。
領主の裁きを拒み、庇護した者の扱いは自分が決めると告げた青年。
門はひとりでに開き、護衛2人は剣を置かなければ近づくことさえ許されなかった。城内に兵の姿はなかったが、それで安心できる相手ではない。
ヘルマンは最後の行へ、慎重に書き足した。
『城主レナード・アシュクロフトに、領主閣下へ従う意思は認められず』
乾く前の文字へ砂を振る。
報告を受け取る領主が、これを見逃すとは思えなかった。
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