第12話 王にも、好みがある
アドリアンは書き留めた返答へ目を通し、従者に筆を置かせた。
「本日は、ここまでにいたしましょう」
レナードはカップを下ろした。
もう終わりなのか。
まだ聞かれるつもりでいたが、こちらから話を引き延ばすのも妙だった。
「部屋を用意してある。今夜は休んでいってくれ」
「ありがとうございます。明朝、王都へ戻ります」
アドリアンが立つと、ベルトラムが扉へ向かった。
ところが監察官は、卓のパンへ一度目を落とした。
「失礼。食事を中断してしまいましたね」
半分に割ったパンが、そのまま残っている。
レナードは頷き、皿を寄せた。
「冷めても、うまい。食べてからにしよう」
王家の権限を拒んだあと、客と夕食を続ける。
なかなか、余裕のある振る舞いではないだろうか。
アドリアンも席へ戻り、パンを取った。
◇
翌朝、監察官一行の荷台には、人を運ぶための幌が掛けられた。
オスヴァルトとヘルマン、徴税官ロベールは、王都へ移されることになった。
ベルトラムが証拠の写しを渡し、移送の記録へ署名する。
「拘束中に、手荒な扱いは受けたか」
アドリアンの問いに、ヘルマンは首を振った。
オスヴァルトだけが、レナードを睨んでいた。
「お前も、いずれ王都へ呼ばれる」
「その時は、用件を聞こう」
レナードは静かに返した。
相手が馬車へ押し込まれても、見下ろしたりはしない。去る者へ最後まで余裕を見せる。
今の返しも、悪くなかった。
アドリアンが近づいてきた。
「お伝えいただいたことは、そのまま陛下へ申し上げます」
「ああ。こちらからも頼む。城を出て帰った者や、その家族へ手を出させないでほしい」
「その件も、報告に含めます」
彼は答えてから、厨房の方へ顔を向けた。
「昨夜のパンを、道中の分として売っていただけますか」
ニルスが目を丸くした。
「俺のを、ですか」
「昼には、宿場へ着きませんので」
「はい。すぐ包みます」
青年が厨房へ駆け込む。
アドリアンは、その背を見送った。
保護されるだけだった元捕虜が、この城では王家の使者へパンを売っている。
書状へ記すことが、また1つ増えた。
◇
王家の旗が坂の下へ消えると、レナードは広間へ戻った。
卓には、昨日使ったカップが置いてある。
縁に小花。
普段は気にならなかった。だが、王国の法と権限を論じながら手に取ると、どうにも落ち着かない。
アドリアンの目には、どう映っただろう。
せめて無地の物にしておけばよかった。
「今日は、町へ行ってくる」
昼食の席で告げると、ベルトラムが顔を上げた。
「王都から使者が戻るまで、お待ちになった方が」
「何か来たら、話を聞いておいてくれ。夕方には戻る」
王が出かけた途端に何もできなくなる城では困る。こういう時こそ、任せるのだ。
ベルトラムは少し考え、頷いた。
「では、門の方はこちらで」
「頼む」
レナードが立つと、エステルも椅子を引いた。
「私もいいですか。薬屋へ寄りたいんです」
「もちろん」
クラリッサが帳面から顔を上げる。
「私なら、割れにくいものを選びます」
レナードは足を止めた。
「まだ、何も言っていないけど」
「カップですよね。朝から3度、棚を見ていらしたので」
そんなに見ていただろうか。
エステルが口元を押さえた。
◇
城から1刻ほど歩いた先に、小さな町があった。
レナードは1人で何度も来ている。油、塩、茶。必要なものを買って、道具屋を覗き、たまに家具を見て帰る場所だった。
今日は、隣にエステルがいる。
歩調を少し落とすと、彼女が気づいた。
「もう足は平気です。治療ばかりで、身体が鈍る方が心配なくらい」
「じゃあ、帰りの荷物を頼もうかな」
「薬なら持ちます。家具は、運んでもらってくださいね」
「今日は買わない」
「クラリッサさんから、気に入った椅子を見つけても、先に値段を聞くようにと」
レナードは前を向いた。
あの椅子の値段まで、知られているのだろうか。
少なくとも、値引きせず買ったことは話さない方がよさそうだった。
◇
道具屋の棚には、カップが何段も並んでいた。
白いもの、青いもの、花柄。金色の縁取りがあるものを見つけ、レナードは手を伸ばした。
獅子の足を模した台座がついている。
いい。
これなら、言葉の重みも変わってくる。
「お酒の杯ですね、それ」
エステルが隣から覗いた。
「茶には、向かないかな」
「熱くて持てなくなりそうです」
確かに、持ち手がない。
レナードは棚へ戻した。
代わりに取った黒いカップは、厚く、ずっしりしていた。飾りはないが、落ち着いている。
これで茶を飲みながら、使者の話を聞く。
悪くない。
ただ、少し重い。
指に力を入れていると分からないよう、持ち方を変えた。
エステルが、それを見ていた。
「こちらは?」
差し出されたのは、深い藍色のカップだった。
縁と取っ手は白く、内側も明るい。持ってみると、見た目より軽かった。
「昨日、温かいうちに飲めませんでしたよね。これなら中の色も見えますし、取っ手も大きいから、外套の袖を気にせず持てると思って」
レナードは取っ手へ指を掛けた。
具合がよかった。
「よく覚えているな」
「毎日、隣で食べていますから」
エステルは棚へ目を戻した。
レナードは、カップを下ろさずにいた。
自分では、立派に見えるものばかり探していた。
彼女は、使っている時のことを見ていたらしい。
「これにする」
言うと、エステルが頷いた。
その隣に、同じ形の白いカップがあった。淡い緑の線が1本入っている。
レナードは、それも取った。
「君のは、これでどうかな」
「私の?」
「いつも茶を用意してもらっているし。自分のだけ買うのも」
言いながら、急に説明が足りない気がしてきた。
いや、増やしすぎても変だ。
「使いやすそうだから」
最後は、ひどく普通の理由になった。
エステルは白いカップを受け取った。
「……はい。これがいいです」
◇
薬屋を出た頃には、2人とも荷物が増えていた。
包帯用の布と、軟膏の材料。ニルスへ頼まれた酵母もある。
町の広場で、荷車を引く男がこちらを見た。
城から帰した兵だった。
男は足を止め、帽子を取った。
「その節は……」
「脚は、もういいのか」
「はい。あの、女房が礼を言いたいと。いつか、城へ伺ってもよろしいでしょうか」
「構わない。門で名乗ってくれ」
男が深く頭を下げた。
店先にいた者たちが、こちらへ目を向ける。
レナードは軽く頷いて歩き出した。
町でまで、大げさにされるとは。
エステルもいる。ここで照れて早足になるのは、王らしくない。
普段どおり歩くことに、少し集中した。
◇
帰り道、エステルは紙包みを両手で持っていた。
「重かったら、ほかの荷と一緒に運ぶよ」
「これは、自分で持ちます」
カップの包みだった。
レナードは頷き、自分も割らないよう抱え直した。
城門へ着くと、ユーゴが走ってきた。
「何買った?」
「茶を飲むものだ。薬もある」
「パンのは?」
「酵母も買えた。ニルスに教えてやってくれ」
少年が厨房へ駆けていく。
エステルはそのあとを追いかけかけ、振り返った。
「夕食のあと、新しい方で淹れますね」
「ああ。楽しみにしている」
レナードは広間へ入り、椅子へ座った。
藍色のカップを卓へ置く。
使者を迎えるために買いに行ったのだが、今は少し、違う楽しみができていた。
◇
その夜、王都の執務室で、アドリアンは国王の問いに答えていた。
「城主に、服従の意思はないと?」
「任命を受ける条件を確かめたうえで、拒みました」
卓へ、返答を書き留めた紙を置く。
「ただし、領主の不正への調査には協力しています。拘束した者も引き渡しました。領土の要求も、金銭の要求もありません」
「では、何を求める」
アドリアンは、厨房で見た青年たちを思い出した。
帰る場所を失った兵。王家の紋章を見て身構える子供。
「自分が迎えた者の扱いを、他者に委ねることを拒んでおります」
国王は書面を読み、指先で卓を叩いた。
その頃、廃城では2つの新しいカップから、並んで湯気が上がっていた。
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