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第71話
夜、部屋で。
「待てよ」
ルシアンは手元のパズルを見つめていた。彼はすでに三時間、この玩具と格闘している。
机の前で動かず、ただひたすらにパズルと向き合い、時折ため息をついたり、うなったりしている。
単純に見えて、異常に複雑だった。このパズルの構造は、見かけの単純さとは裏腹に、驚くほどの思考を要求する。
複数の段階を経ずに正解へ辿り着くことは、ほぼ不可能に近い。
「なるほど。順番か」
ルシアンは内部構造をずらし、角度を変え、組み替える。動作は焦らず、丁寧で、かつ論理的だ。まるで暗号を解くかのような真剣さがあった。
そして。かちり。音がした。
「開いた」
ルシアンは静かに息を吐く。短い快感と、さらなる知識欲が彼の心を占領する。次の瞬間。彼の目が細められた。
「いや、待てよ。もしかして」
これは。何かおかしい。この感覚は。
「この構造は、使えるのでは、あれに」
彼は机の上へ隣国の暗号資料を広げた。以前から軍部が苦戦している暗号文。
規則性が不明で、何度も解読に失敗している重要な資料だ。
「組み換え式か?」
ルシアンは素早く紙へ式を書き始めた。思考の速さは、まさに天才のそれ。パズルの構造を応用すると、暗号の並び方が妙に綺麗に噛み合う。
順番。回転。位置。入れ替え。すべてが整然と並び、新しい意味を生じ始める。
「ははっ、ははははははっ」
ルシアンは笑った。純粋な喜びに満ちていた。
「リリアナ、君は本当に素晴らしいよ」
そこで彼は立ち上がる。動作は素早く、決定的だ。
「セバスティアン、来てくれ」
即座に執事が現れた。呼ばれてからわずか数秒。素早さは、プロとしての訓練の賜物だ。
「お呼びでしょうか」
「この遊戯を見て欲しい、どう思う?」
ルシアンはパズルを渡した。その重要性が語調に滲み出ている。
パズルを受け取ると、セバスティアンは数秒眺め、そして目を見開く。
「これは、まさかですが」
「ははは、構造に気づいたかい?」
「はい」
セバスティアンの声が低くなる。返事の低さは、事態の深刻さを物語っていた。そして迷わずに行動に出る。
「この遊戯を、直ぐに軍部へ持ち込みましょう」
「そうしようか。とりあえず父にはまだ言わなくていい」
◆
翌日。軍部にて。無骨な将軍たちは、最初完全に呆れていた。当然だった。いくら公爵家の頼みでも遊戯を見ろとはバカにしているから。軍部も忙しいが、怒れないものの、顔には不満が出ていた。木製の玩具を見て、
「玩具だと?」
「そんなもののために呼び出したのか」
「我々は忙しいのだぞ」
不満になるのは予想はしていた。ルシアンは完全に無視した。貴族としての格式よりも、事実の重要性を優先していた。
「まあ、やってみてください」
「?」
軍部の男がパズルを手に取る。公爵家のルシアンに言われたから仕方なく、半信半疑な表情で、ぶっきらぼうに扱う。数分後。軍部の顔には異変が起こる。
「なんだこれは」
空気が変わった。その瞬間、将軍の表情は完全に変わっていた。彼の目は今、集中の輝きに満ちている。
さらに暗号資料と照らし合わせる。机の上に広げられた複数の書類。
書類の上で、パズルの構造と暗号の並びが、神秘的に共鳴し始める。軍部の動きが停止した。
「待て」
「この並び」
「一致するぞ!」
ざわめきが広がる。軍部全体へ、緊張と興奮が伝染した。将軍たちが一斉に立ち上がった。信じられないものを見た感じだった。
「まさか!」
「解読できる!」
「長年不明だった敵国暗号が」
軍部は騒然となった。狂喜乱舞は、何年も続く悪夢からの解放を意味していた。ルシアンは楽しそうに笑っている。計画が完璧に実行されたことを示していた。
「どうかな、気に入ってもらえたかな?」
「どこでこれを入手したか、教えてください。大変に重大なことだけに」
将軍が最初の時と態度を変えて言った。声は興奮と感謝で満ちていた。
ルシアンはさらりと答えた。答え方は、まるで取るに足らない事実を述べるかのようだった。
「妹からのプレゼントです」
一瞬の沈黙。そして。
「リリアナ様か」
「やはり天才か」
「救国の英知だった」
「妹も喜びますよ、きつと」
◆
夜。ルシアンと執事セバスティアンは、公爵邸へ戻ってきた。
私はのんびり紅茶を飲んでいた。穏やかな夜の雰囲気を壊さないよう、静かに部屋で寛いでいたのだ。そう言えば兄ルシアンはどこに行っていたのかしら。セバスティアンも一緒なのが気になる。まあ、私には関係なければいい、
「お帰りなさいませ」
「ただいま、リリアナ」
ルシアンが笑う。嫌な予感。その笑顔、絶対何かある。どこに行っていたのか。奥底には、何か大きなものが隠されている気がした。
「どうかしました?」
警戒心を込めて問いかける。
「リリアナからのプレゼントの遊びのおかげで、戦争を未然に防げたよ」
「はい? 意味がわかりませんけど」
何言ってるの。意味が分からない。混乱が私の思考を支配する。なぜ私のプレゼントのパズルと戦争が関係して繋がる。どう考えても接点はない。兄か狂ったのかな。
「ありがとう、リリアナ」
最高級の笑顔だった。重い。感謝が重い。重さは、単なる礼儀ではなく、心からの感謝の念を表していた。狂っていないか。
「なんのことですか?」
「あの遊具だよ」
「遊戯ですけど」
「ただの遊戯じゃない」
ルシアンは愉快そうに目を細めた。
「軍部が大騒ぎだった」
「ええええええ! 軍部に見せたと」
私は立ち上がった。紅茶のカップを落としそうになるが、何とか握りしめた。なぜ軍部に見せたのか理由が不明です。
「軍部になぜ」
「暗号解読に応用できたんだ」
「えっと、あの遊戯が暗号解読に使えたと」
同じ言葉を繰り返す。他に言葉が見つからない。頭がぼ〜〜となった。思考停止した。
「僕も驚いたよ。最初に遊んでいたら、難解な暗号と似ていることに気づいた」
いや私のほうが驚いてる。本気で驚いている。何か重大な勘違いが起きている気がしてならない。
セバスティアンまで深く頷いていた。
「流石でございます、お嬢様」
「違います! 私は純粋に遊戯として渡したのです!」
「敵国暗号を崩すとは」
「遊びだから!」
「遊びで国を救うまさに天才軍師」
「やめてぇぇぇ!!」
私は頭を抱えた。もう嫌。最近なにをしても国家規模になる。そのループから抜け出せない。本当に、もう嫌。何故こんなことになってしまったのか。兄が部屋で遊んでくれているだけで良かった。それが目的だった。しかし逆に話が大きくなった。想像もできない展開になった。あああああ、どうしよう!
◆
そして翌朝。王都新聞にはこう載った。
『救国の天才軍師、現る』
『リリアナ令嬢、軍部を導く』
『玩具が国を救った! 暗号解読の秘密兵器』
見出しを見るだけで、私の人生が大きく変わってしまったことが理解できた。
手が震える。目の前がクラクラします。私はベッドへ突っ伏した。
お兄様へのプレゼントが最強の暗号解読器に変身し、私は知らぬ間に救国の天才軍師へと昇格してしまったのだ。違う。絶対違う。私はただの暇潰しグッズを作っただけ。何故こんなことになっているのか、全く理解できない。
「なんで天才軍師なのよぉぉぉ!」
私の絶望的な叫びは、深夜の部屋で虚しく消えていった。




