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第68話 仮病のつもりの保健室
その日の朝のこと。最近の私は、本当に限界だった。掃除をすればテロを阻止し、ゴミ拾いで学園の守護聖女にされ、王太子と騎士団長が私を挟んで妙な空気になる。
そして気づくと何か国家規模の騒動に巻き込まれている。このサイクルの繰り返しに、私の心身は徐々に蝕まれていた。
おかしい。絶対におかしい。どうして私の人生だけ、イベント発生率が異常なのか。
普通、悪役令嬢ってもっと優雅に紅茶とか飲んでるんじゃないの?
なのに私は毎回、国家規模の何かに巻き込まれている。テロ、陰謀、秘密結社とか数え上げたら指では足りない。
疲れた。心が折れそうだった。精神的に。肉体的に。だから私は考えた。もう動かなければいいのだ、と。
そう。寝ていれば騒動は起きない。動かなければ、巻き込まれない。完璧な作戦である。
「保健室へ行きましょう」
私は静かに決意した。決意は、私の人生において、最も甘い判断だった。そうして 仮病作戦の開始となる。
「少し頭痛が」
そう言って私は学園の保健室へ逃げ込んだ。もちろん仮病である。今朝起きた時点で体調は完璧だった。
保健医は疑わなかった。疑うわけがない。最近の学園は、私が関わると本当に大変なことになるのだから。
「最近ずっと騒がしかったですからねぇ」
同情するような視線が刺さる。やめて。その優しさで泣きそう。
「少し休んでいきなさい」
「ありがとうございます」
私はふらふらした演技をしながら奥のベッドへ倒れ込んだ。ふかふかの布団が私を包み込む。静か。最高。外の喧騒が嘘みたいだった。
「平和だわ」
私は毛布へくるまり、心の底から安堵した。ここなら誰も来ない。アレクシスも来ないし、ガルドも来ない。
騒がしい信奉者たちも来ない。平穏な時間だけがここにある。今日はもう何も起こらない。完璧な作戦だった。
そう本当にそう思いたい。現実は、私の予想を大きく裏切ってきた過去があるけど大丈夫だろう。
暇だった。静かすぎる。寝るつもりだったのに、妙に目が冴えてしまった。
やはり寝ぼけていないのだ。仮病だからか、身体は元気そのもの。私はベッドへ座り込み、肩を回した。
「うぅ〜〜凝ってる」
最近ずっと緊張しっぱなしだったせいだ。常に何か起こるのではないか、という不安が身体中の筋肉を硬くさせていたのだろう。私は自分の首筋を押した。ぐりぐり。
「痛っ」
でも気持ちいい。前世ではよくマッサージ店へ通っていた。仕事終わり、肩こりと腰痛で死にかけていたのだ。
あの頃の苦しみに比べたら、今の状況も少しはましに思える。あの頃覚えた知識が、今になって役立つとは思わなかった。
「ここ押すと楽なのよね」
私は首から肩へ指を滑らせる。ぐっ、と押す。
「ああああああー」
最高。人類はなぜもっと早く指圧を学ばなかったのか。そんなことを考えていると、保健室の扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは保健医だった。若い女性だが、顔色が悪い。ものすごく疲れている。目の下には深いクマが刻まれ、肩は落ちている。ちょっと大丈夫かな。
「大丈夫ですか?」
「最近、生徒の来室が多くて肩が」
ああ。完全に職業病だ。私は思わず声をかけていた。いや、むしろ声が勝手に出た。
「そこ、押します?」
「え?」
「肩」
保健医はきょとんとした。かなり辛そうだったので、私はベッドから降りる。余計なお世話かもしれない。女性の痛みは、前世の私が何度も経験した苦痛だった。
「ここ、多分固まってます」
指を当て、軽く押した。
「ひゃっ!」
「痛いです?」
「い、い、い、いえ! も、も、もっともっと」
さらに少し位置を変える。ぐ、と。
「え? そ、こ、こ」
保健医が固まった顔色が、みるみるうちに柔らかくなっていく。
「どうです?」
「軽い!」
「そこ、疲れが溜まりやすいんですよ」
私は普通に説明した。前世知識だ。マッサージ店のお兄さんが言っていた。筋肉の構造、疲労の溜まり方、効果的な指圧の位置。
全てが昨日のことのように鮮明に蘇る。
「あとここも」
肩甲骨の辺りを押す。背中と肩の繋ぎ目、ここは特に疲労が溜まりやすい場所だ。
「ひぅっ! ううう、気持ちいい」
「効きます?」
「す、すごい!」
保健医が目を丸くした。驚きと喜びが混じった表情だ。
「何これ魔法?」
「ただの指圧です」
「しあつ、指圧?」
保健医が噛み締めるように呟く時だった。また扉が開く。まるで運命に導かれるかのように。
「せ、先生ぇ」
今度は怪我をした男子生徒だった。足を引きずっている様子から、かなり深刻な外傷ではないにしろ、軽くない痛みを感じているのが分かる。
「訓練で捻挫を」
「ああもう今日は多いですねぇ」
保健医が慌てて立ち上がる。しかし私はつい口を開いた。いや、別の何かが口を動かしたのかもしれない。
「その足、少し伸ばしてください」
「え?」
「ここ固まると痛いので」
私はふくらはぎを軽く押し、筋を伸ばす。前世で学んだ応急処置の知識が、自動的に指を動かしている。
「あと足首をこう回して」
「は、はい」
「無理しない程度に」
男子生徒が恐る恐る動かす。ゆっくりと。慎重に。そして。
「あれ?」
彼の目が丸くなる。
「痛み、軽くなってる?」
「筋肉が張ってたんだと思います」
「す、すげぇ!」
いや大袈裟。軽いストレッチよ。本当に。この学園の生徒たちは、魔法と非魔法の境界をうまく理解していないのだろう。すべてが奇跡に見えるのだ。
しかし保健医は完全に興奮していた。目が光っている。何か、とんでもないことを思いついたような。
「リリアナ様」
「はい?」
「これ、王都医学会に報告すべきでは?」
「えっ、医学会に。いや」
嫌な予感が、背筋を走った。私は余計なことをしたのか。またもやらなくていいことをしてしまったか。




