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第64話 お父様の書類、整理しておきました事件
私は最近、学んだことがある。それは余計なことをすると大体ろくでもない結果になる、ということだ。
雑草を抜けば古代結界が起動し、学園で平均点を狙えば教育改革になる。しかも最近はヴィクトリアまで妙な方向へ懐いてしまった。怖い。人間関係が怖い。もう何もしたくない。静かに生きたい。お菓子食べて寝たい。
そんなことを考えながら、私は公爵邸の廊下を歩いていた。
午後三時。外は曇り空で、廊下の窓からさしこむ光も薄い。召使たちの足音は足が進む先へ遠ざかり、私のこの館での孤独感は深まるばかりだ。
すると。
「……」
父の書斎の前で、私は立ち止まった。扉が半開きになっている。中では使用人たちが困ったように顔を見合わせていた。視線の先には、積み重ねられた書類の山。まるで紙で作られた塔のようだ。
「旦那様、こちらの書類は」
「後だ」
低い声が返る。疲れと苛立ちが混在した、危険な音色だ。
「しかし、本日中の決裁が必要なものも」
「置いておけ」
うわあ。これは。かなり機嫌悪い。私はそっと中を覗いた。机の上には書類の山。床にも山。ソファにも山。なんなら窓際にも積まれている。書棚から書類が雪崩のように落ちかけている箇所もある。ひどい。前世ブラック企業の年度末を思い出す光景だった。この状況は、私が見てきた書類地獄の中でも最高峰である。
父アルベルト・フォン・エルヴェルムは、険しい顔をしている。眉間の皺が深い。眉毛は剣のようにぴんと張られ、視線は書類に突き刺さっている。
絶対疲れてる。もはや人間のしなやかさが失われ、石像のようにかたくなってしまっている。
まずい。このままだとイライラが家全体へ飛び火する。そしてその流れで私まで巻き込まれる。破滅フラグだ。嫌だ。絶対に嫌だ。
私は真顔になった。ここは処理するしかない。幸い、前世の私は事務職経験がる。Excel。Word。PDF。会議資料。稟議書。経費精算。戦場は潜り抜けてきた。紙の山程度、怖くない。
「よし」
私は静かに袖をまくった。
◆
数時間後。私は完全に本気モードになっていた。
「この赤い印の書類は財務系。こちらは王宮関連。黒は重要度の高い軍事機密。緑は領地運営に関する農業と産業の統計」
ぱらぱら。さっさっ。私は高速で分類していく。前世スキル、炸裂である。指の動きはリズミカルに、そして正確に。書類を見ただけでその内容を把握し、最適なカテゴリーへと仕分けていく。執事セバスティアンも思わず息を呑むほどの速度だ。
そもそも書類整理とは、ルールさえ作れば単純作業だ。関連項目をまとめる。緊急度で分ける。不要な重複は捨てる。重要なものは一覧化。それだけ。難しく考えるから大変に見えるだけであって、本質は実に単純なのだ。
私は机の周囲へ色別のバインダーを並べていった。細かい字で見出しも記入する。青は外交。赤は財務。黒は軍部。緑は領地運営。紫は研究関連。黄色は許認可関連。完璧だ。これなら父がどの案件から着手すべきかも一目瞭然である。
「お嬢様」
使用人エマがぽかんとしている。口は半開きで、瞳には驚きの光が宿っている。
「すごいです」
「普通よ」
「紙が消えていきます!」
「整理してるだけだから!」
私は淡々と手を動かした。次々と書類を捌いていく。その手つきは迷いがなく、まるで指揮者がオーケストラを操るかのような優雅ささえある。
すると一枚の紙が目に入る。なんだこれ。数字が二重になってる。しかも字体が微妙に違う。あとから誰かが数字を重ね書きしたような痕跡が残っている。怪しい。私は眉をひそめた。
前世でもこういうの見たことある。雑な偽装資料だ。決算書の数字を改ざんしたり、支出を隠蔽したりする際のテクニック。偽造の手口は様々だが、このような二重加算は初心者的な手法である。
しかも同じような紙が何枚も混ざっている。複数の書類に同じパターンが見られる。これは個別の不注意ではなく、組織的な改ざんの証拠だ。
「あー」
なるほど。嫌がらせ書類か。というより、陰謀の一部か。私は即座に判断した。
「これはいらないわね」
ぽい。ゴミ箱へ投げた。その身ぐるみまで捨ててしまった。するとセバスティアンが一瞬固まった。顔色が見る見るうちに青白くなっていく。
「お嬢様」
「何?」
「今、何を?」
「不要書類を捨てただけだけど」
執事は沈黙している。針が落ちる音さえ聞こえそうなほどの静けさだ。どうしたのか、なんで、なんで、セバスティアンは珍しく目を見開いていた。瞳に映るのは、信じられないものを見た感じである。
「まさか」
「?」
「旦那様を脅迫するための偽装帳簿を、一目で見抜かれたのですか」
「へ?」
脅迫? 何それ。知らない。私は知らないぞ! 待ってくれ、そんな重要な書類なら先に教えて!
「字体が不自然だったから」
「字体」
「あと数字の並びも変。同じ場所に何度も加算されてる。こんなの会計書類としては成立してない」
私がそう言うと、セバスティアンは完全に黙り込んだ。怖い。なんでそんな顔するの。すると。
「なるほど」
低い声が響いた。父だった。いつの間にか扉の前に立っている。怖い。全然気配なかった。ああああああ〜〜終わったかも! またやらかしたか。
父アルベルト公爵はゆっくりゴミ箱を見る。そこには私が捨てた書類。彼はそれを一枚拾い上げ、じっくりと眺める。父の眼光は刃物のように鋭い。
そして。
「何事もなかったかのように処分するとは」
「いや、必要ないと思ったので。ごめんなさい」
「リリアナ」
父の目が真剣すぎる。嫌な予感がするぞ。
「お前は既に、私を超えているのか」
「超えてません!」
即答した。本当に心から否定した。しかし父は聞いていない。深い思考に沈んでいるようだ。表情は、何か重大な真実に到達したかのようである。
「この罠は巧妙だった」
「罠?」
「黒幕側がこちらへ送り込んだ二重帳簿だ。おそらくは私の決裁を得て、資料を重要な証拠として保管させる予定だったのだろう」
怖い。さらっと怖いこと言わないで。
「普通なら証拠として保管してしまう。それこそが罠。こちらを陥れるための細工だった。虚偽の資料に基づいて国家判断をさせ、最終的には私の失政を引き出す。実に周到だ」
「えええええ〜」




