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第63話
翌日。事態は最悪の方向へ進化していた。
「リリアナ様ぁぁぁ!」
登校した瞬間、ヴィクトリアが突撃してきたからだった。昨日の逃亡から一夜明けた彼女は、完全に別人のようだった。
「昨日のお言葉! このヴィクトリア、一生忘れませんわ!」
「はい?」
昨日は言葉を発していない。逃亡行動だけだ。忘れませんとは?
「わたくし、今まで小さい女でした」
どうしたの本当に。彼女の目には、明らかに涙が浮かんでいた。瞳が輝いている。まるで何か重大な啓示を受けたかのような、そういう表情だ。
「リリアナ様ほど大きな器を持つ方はいませんわ!」
違うって、私はただ静かにしたかっただけ。それがヴィクトリアにはどのように映ったのか。
何かしらの深い意味を読み取ったのか。完全な誤解は、今や取り返しのつかない段階へと進んでいるようだ。
しかしヴィクトリアは止まらない。興奮は、むしろ加速している。
「さあ皆様! リリアナ様の崇高なお考えを学びましょう!」
なんで?
しかも周囲も妙に納得している。し!
『流石リリアナ様』
『ライバルすら包み込むとは』
『聖母』
全く違う、塩対応よただの!
冷たい対応だけなのに。何故か勝手に美化されている。その見立ては、完全な誤解である。
誤解は急速に広がっていった。その日から、ヴィクトリアは完全に変わった。
以前は何かと突っかかってきていたのに、今では。
「リリアナ様、お茶をお持ちしましたわ」
「リリアナ様、本日はどちらへ」
「リリアナ様の隣、空いておりますわよね」
熱狂的ファンになっていた。ちょっと怖い。距離感が怖い。恐怖を通り越して、何かしら不気味さすら感じる。しかもヴィクトリアは辺境伯令嬢だ。
社交界における影響力が非常に大きい。結果、社交界まで妙な方向へ動き始めた。
『ヴィクトリア様が心酔するほどの人物』
『真のカリスマ』
『リリアナ派閥』
これらの噂話は、瞬く間に拡散され私の耳に届く。あたかも私が何か素晴らしい教義の持ち主であるかのように、喧伝され続けている。
やめて欲しい。ほんと派閥とか作らないで。私は隅っこで静かに生きたいだけだ!
私の願いは、刻々と遠ざかっていくようだ。すると騒ぎを聞きつけたガルドまで現れた。
「リリアナ様!」
近衛騎士団長ガルド・ヴァルハルト。大柄で無骨。なのに最近やたら過保護。変化の原因は、以前の救出劇だ。
原因は以前、偶然命を救ってしまった件だ。いや、本当に偶然だった。ガルドが馬車にひかれそうになったところへ私が飛び込んで、その結果馬車を回避しただけ。
事実は極めてシンプルである。ガルドは事件をかなり大きく解釈しているようだ。
なのに彼は、
『命を救われた』
と思っている。完全な誤解だ。違う、事故、ただの事故。運の良さが重なった偶然に過ぎない。
「最近、不審者が増えております」
ガルドは真剣な顔で言った。学園内での治安状況について、かなり神経質に考えているようだ。
「学園内にも護衛を配置しました」
「配置しないで!」
廊下を見ると、騎士たちがいた。なんで、学園よここ。戦場じゃない!
それはまるで、戦地の視察地点かのようなものだ。大げさ過ぎる!
「大げさでは?」
「リリアナ様に万が一があっては困ります」
真顔だった。怖い。眼差しは、完全に本気である。彼の中では、私の安全が最優先事項となっているのだろう。
しかもその直後。
「きゃっ!?」
誰かとぶつかった。正確には、ヴィクトリアが勢いよく飛び込んできたせいで、私がよろけたのだ。
彼女は恐らく、私に何かを話しかけようとして走ってきたのだろう。
だが、その行為は思わぬ結果を生み出した。
まずい。転ぶ、そう思った瞬間。
ぐい、と強い腕が私を引き寄せた。
「危ない!」
気づけば、私はガルドの胸へ抱き込まれていた。彼の身体は、訓練を積んだ騎士のそれだ。筋肉量も、その厚さも、一般人とは比較にならない。
近いし硬い、あと大きい。
「あっ」
ガルドが息を呑む反応から、彼も予期していない状況なのだと理解できる。
何か、言葉にならない思考が彼の脳内を駆け巡っているのかもしれない。
私は慌てて顔を上げた。
「ご、ごめんなさい」
「い、いや!」
ガルドの耳が赤い。
えっ、どうした? どうしたの。
「助かりました。ありがとうございます」
私は素直に礼を言った。実際に、彼の対応がなければ転倒していたはずだ。感謝の言葉は当然である。
するとガルドが完全に固まった。
「ああ、その、その」
声が妙に低い。まるで、彼の内部で何かしらの激しい感情が渦巻いているかのような、そういう音色だ。
「礼など当然だ」
しかし顔は赤いままだ。明らかに、彼は何らかの感情を抑圧しているようだ。この光景を見ていた周囲がざわつく。
「団長が照れてる?」
「珍しい」
「あのガルド様が」
それは、周囲の観察者たちにも明らかな反応だったのだろう。ガルドは咳払いした。
「警備を強化する」
「増やさなくていいです!」
「いや、必要だ」
必要じゃない。学園は学びの場所であって、戦地ではないのだ。しかしガルドは真剣だった。
ガルドの執念は、もはや通常の警備思想の範ちゅうを超えている。その後も彼は妙に私を気にしていた。
階段では先回り。扉は全部開ける。人混みでは壁になる。過保護が極まっている。ガルドの行為は、常に私の安全を最優先にしている。
その配慮の度合いは、正直なところ不気味ですらある。しかも周囲の騎士たちがにやにやしていた。
「団長、最近わかりやすいですねぇ」
「黙れ」
「いやぁ、ついに団長にも春ですか」
「違う! お前ら黙れ」
ガルドは即答したにも関わらず耳が赤い。わかりやすい反応は、否定の言葉とは裏腹に、明らかに何かしらの感情の存在を示唆している。
私は遠い目になった。違うの。私はただ。誰にも恨まれず。隅っこで静かにしたい!
チョコとか食べながら余生を過ごしたいだけなの!!
私の願いは、刻一刻と遠ざかっていっているようだ。




