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第60話
最近、私は本気で思っている。
そろそろ目立たずに生きたい、と。いや、前から思ってはいた。でも今は切実さが違う。おにぎりで農政に巻き込まれ、父への肩たたきで政敵が粛清され、ついには影の支配者なんて不穏すぎる異名まで広がってしまった。
違う。私はただ平穏に暮らしたいだけなのに。なのに最近、学園で廊下を歩くだけで道が開く。怖い。なんでみんな微妙に敬礼みたいなことするの。私は王じゃないのよ。
「こうなったら」
昼休みの教室で、私はこっそり決意した。
(次の試験で普通になるしかないわ)
重要なのは平均点。突出してもダメ。低すぎてもダメ。ほどほど。空気。存在感ゼロ。それこそが悪役令嬢の生存戦略である。私はぐっと拳を握った。
しかし、私の完璧なはずの決意は開始十分で崩壊した。
「えっと」
静けさ。広い試験会場。紙をめくる音だけが響く中、私は試験問題を見つめていた。難しい。いや待って。難しくない?
おかしい。これ学園試験よね?
王国転覆計画の暗号解読とかじゃないよね。私は震える手で問題文を読み返した。
『隣国との交易における関税均衡と軍事的抑止力の相関性について述べよ』
知らない。高校数学とかじゃないの?
なんで学生に国家運営させようとしてるの?
さらに次。
『古代魔導理論における属性干渉の矛盾点を五つ挙げ、改善案を論ぜよ』
無理。知らない単語しかない。魔導理論って何。スマホしか触ってこなかった一般人に求める知識量じゃない。魔法なんて使ったことない!
私はじわりと冷や汗を流した。まずい。平均点狙いどころじゃない。普通に赤点の危機。いや待って。落ち着いて。こういう時はできる問題から。私は必死にページをめくった。
ない。どこにもない。全部難しい。なんで、この世界の貴族教育どうなってるの?
前世の受験戦争より酷い。私は途方に暮れた。とりあえず何か書こうかとも思った。でも下手に書いて変に高得点取るのも危険だ。いや、でも白紙はもっと危険では。どうしよう。そうして悩んでいるうちに。
「そこまで」
終了の鐘が鳴った。
「あっ」
終わった。私は呆然と答案用紙を見下ろした。ほぼ白紙。一応、名前だけは書いてある。それだけ。人生終了のお知らせ。父に怒られるかな。
◆
「なるほど」
数日後。私は学園長室へ呼び出されていた。怖い。絶対怒られる。そう思いながら入室したのだけれど、なぜか室内の空気は妙に厳粛だった。学園長。家庭教師マグヌス。王太子アレクシス。宮廷魔道士セレス。なぜかヴィクトリア令嬢までいる。なんで。私、カンニングとかしてないよ?
しかも家の家庭教師まで必要ですか。
「リリアナ」
アレクシスが静かに私を見る。その目が真剣すぎて怖い。
「君の答案を見せてもらった」
「はい」
終わった。私は覚悟した。しかし。
「感服した」
「はい?」
思わず変な声が出た。なにに感服したと。予想もできない。
家庭教師マグヌスが重々しく頷く。厳格な教育係である彼は、普段滅多に感情を表へ出さない。彼が、今はどこか興奮していた。
「私は気づけなかった」
「何にですか」
「お嬢様が、現在の教育制度そのものへ疑問を抱いておられたことに」
「抱いてません!」
即答した。だがマグヌスは聞いていない。
「この白紙答案、まさに無言の抗議」
違います。
「既存の詰め込み教育では、本質的な知性を測れない。そう仰りたかったのですね」
違いますって。私は普通に解けなかっただけです!
しかしセレスまで頷き始めた。
「確かに興味深い」
やめて。混ざらないで。
「リリアナ嬢ほどの人物が、単純な問題を解けないはずがない」
「いや普通に解けませんでした」
「つまり解く価値がないと判断した」
「してません。勘違いです!」
「既存教育への否定か」
「違います!」
怖い。なんでみんなそんな深読みするの。
するとアレクシスが静かに口を開いた。
「私は感銘を受けた」
嫌な予感。
「点数という既存の価値観に縛られず、自らの信念を貫く」
「そんな立派な理由じゃない」
「真の自由を求めていたのだな、リリアナ」
「求めてません!」
むしろ目立たない程度に単位が欲しい。切実に。周囲は完全に納得モードだった。学園長まで感動したように頷いている。
「確かに近年の教育は、知識偏重になりすぎていたかもしれませんな」
待って。話が大きくなってる。この展開はまたも私が偉大な令嬢だとなりそう。
「思考力、発想力、柔軟性。そうしたものを評価するべき時代か」
「いや本当にただ白紙で」
「流石はリリアナ様」
ヴィクトリアまで何か言い出した。
「既存制度を壊すため、あえて自ら泥を被るとは」
「被ってません!」
「そこまでして改革を」
「だから、してません!」
誰も聞いてくれない。そして最悪なことに、この話は一瞬で学園中へ広がった。
『リリアナ様が旧教育制度へ異議』
『点数主義からの脱却』
『真の知性とは何か』
なんで。私はただ赤点取っただけなのに。しかも最悪なことに、学園の試験制度改定まで始まった。論述重視。討論形式。実践課題。思考力評価。意味がわからない。
廊下では学生たちが大騒ぎしていた。
「リリアナ様のおかげで暗記地獄が減った!」
「救われた!」
「女神だ!」
やめて。そんな目で見ないで。私は机に突っ伏したくなった。あああああ〜勘違いしている!
その時だった。
「ふざけないでくださいまし!」
鋭い声が教室へ響く。クラウディア・ベルンシュタインだった。髪を揺らしながら、彼女は苛立った様子で教壇を叩く。
「白紙答案が評価されるなど異常ですわ!」
おお。珍しくまともなこと言ってる。私は心の中で拍手した。そう。その通り。もっと言って。しかし。周囲の空気が冷えた。
「クラウディア様」
一人の女子生徒が困惑したように言う。
「リリアナ様は、私たちのために」
「そうだよ!」
「詰め込み教育を変えてくださったのに!」
「それを否定するなんて最低だなお前」
クラウディアが固まる。あ。これまずい流れ。
「ち、違いますわ! 私はただ!」
「努力する者を馬鹿にしてるのか?」
「既得権益を守りたいだけでは?」
「時代遅れだなクラウディア令嬢」
ざわざわ。ひそひそ。クラウディアの顔が青くなっていく。
私はちょっと同情した。気持ちはわかる。すごくわかる。だって私も同じこと思ってるから。
「な、なんですのその目はぁーーー!!」
クラウディアは半泣きで教室を飛び出していった。ああああ、かわいそうなことした。でも助けられない。なぜなら私も今、別の意味で死にそうだから。助ける余裕はなかった。
「リリアナ様」
ミレイユがきらきらした目で私を見る。
「本当にすごいです!」
「違うの!」
「学生たちの未来まで考えてくださるなんて!」
「違うのよおおお!」
私の否定は、誰にも届かなかった。
そして夕方。王宮から正式通知が届いた。通知とかヤバい感じしかない。話が大きくなりそうなフラグだ。
『学園教育改革への多大な貢献に感謝する』
やめて。本当にやめて。私は手紙を見つめながら、静かに頭を抱えた。ただ。テストが難しかっただけなのに。本来ならば、この時点で私の人生に幕が降りるはずだった。
完全に終わったのだ。しかし、運命という奴は本当に残酷である。その後、王国全体の教育改革委員会が立ち上がり、私はまたしても無責任な大人たちの期待の的になってしまう。
王妃からの親書まで届いてしまった。
「リリアナ嬢へ。国の教育を変えてくれるとは誠にありがたき。ついては改革委員会への参加を求む」
参加を求むって。そんな重い話じゃないっての。白紙答案で説教された方がましです。落第だとののしってください。お願いですから退学にでもして!
褒められて感謝されている。この世界の価値観は一体どうなっているのか。私はもう立ち上がる気力もなかった。
このまま学園生活はどうなるのやら。




