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第57話
「お邪魔でしたか?」
「すごく」
「そうですか」
笑顔で流された。セレスは興味深そうにこちらへ近づいてくる。視線は、なぜかおにぎりへ向いていた。
嫌な予感しかしない。
「リリアナ嬢」
「何ですか」
「これは?」
「おにぎりです」
「興味深い」
やめて、その顔やめて。絶対ろくでもない方向へ行く。セレスはミレイユの手元を見つめた。
「携帯性に優れ、片手で食べられ、保存性も高いしかも材料は単純」
「まあ、そうですね」
「塩の配分も絶妙だ」
ただの塩むすびです。
「この握り方は米の水分を適度に保ちながら腐敗を遅らせているのか」
違います。たまたまです。だがセレスは完全に考察モードへ入っていた。
瞳には知的好奇心の炎が燃え盛っていた。宮廷魔導士という肩書は伊達ではなく、彼は研究者気質が強いのだ。こんなことになるのは避けたかったのに。
「なるほど」
怖い。
「そういうことですか、リリアナ嬢」
「どういうことですか」
「来るべき食糧危機への備え」
「違います」
即答した。しかし彼は聞いていない。
「高級食材ではなく、誰でも作れる形へ落とし込むことで平民にも普及可能にした」
「違います」
「しかも長期保存に耐える」
「そんなに長持ちしません」
「民衆を飢えから救うための試作品」
「違いますって!」
だがもう遅かった。ミレイユが感動したように私を見る。
「ああだからリリアナ様は、こんな質素なお食事を」
「いやこれは目立ちたくなくて」
「平民の生活を理解するためだったんですね」
違う。本当に違う。こんなことになるつもりじゃなかったのに。単なる自衛手段だったのに。その後の展開は、もう地獄だった。
◆
翌日。学園中でリリアナ様流・救国携帯食が流行した。意味がわからない。どうしてこんなことになった。セレスのせいだ。
絶対セレスのせいだ。あの魔導士のせいで、単なるおにぎりが何か高尚な食べ物にされてしまった。
食堂では塩むすびが売り切れ。公爵令嬢がお食べになるならという理由で学園中の生徒が争奪戦を繰り広げている。
それはまだいい。問題は次だ。騎士科では携帯性が高いと訓練食に採用。いや、そっちは実用的でいいか。
むしろ役に立ってるし。でも次が最悪だった。さらに平民生徒たちからは、
「安くて腹持ちがいい!」
「栄養も考えられてるんですね」
「流石、公爵令嬢は違いますわ」
と絶賛。やめて。そんな大事にしないで。ただの握り飯だ。会社員時代に毎日食べてた。むしろ豪華弁当の方が珍しいくらいだ。前世でもコンビニのやつで十分だと思ってた。
こんなに注目されるようなものじゃない。でも世の中ってそういうものらしい。
権威のある人がやることは、どんなしょうもないことでも価値があるように見えるのだ。
その悔しさを噛みしめながら、私はただ静かに毎日おにぎりを食べ続けるしかなかった。
◆
私は王宮へ呼び出された。嫌な予感しかしないまま入室すると、そこにはアレクシス王太子と数名の文官がいた。全員真面目な顔。怖い。
「リリアナ」
アレクシスが静かに口を開く。静かだからこそ怖い。こういう時は大事な話が来るのだ。
「君の提案した保存食についてだが」
「提案してません」
「すでに各方面で高評価を得ている」
聞いて。話を聞いてください。これは提案じゃなくて、自衛手段なんです。
でも文官たちはメモを取りながら真剣に頷いている。
「特に辺境では、簡易携帯食として導入したいという声が強い」
辺境。食糧が不足しやすい地域。確かにおにぎりなら作るのは簡単だろう。でもそれは私の仕事ではない。
「それは農政課の方々で」
「よって君を、農政顧問補佐として推薦したい」
「嫌です!」
食い気味に断った。アレクシスは感心したように目を細める。
「地位に執着しない姿勢も、実に君らしいな」
違う。面倒なだけ。断ってるのに。
「いや、そういう問題では」
「謙虚さも備えている」
聞いて。王太子の機嫌がいいのが逆に怖い。これは何か仕組まれている。私はそう直感した。セレスと誰かが、何か企んでいるのだ。
「リリアナ、君ならできる」
「できません!」
「君は平民のことを考えている」
「考えていません!」
ただ目立たないようにしてただけです。でも王太子はもう完全にそのモードだ。希望の光のように私を見ている。
こ、これは、そう、これは主人公補正。セレスの神の采配という言葉が、予言めいて私の心に蘇った。
神は存在する。そして神は、私をからかうのが好きなのだろう。
「君こそが、この国を救う者だ」
「私は救世主ではありません!」
「謙虚さ」
また謙虚さ扱いされた。私は机に突っ伏したくなる衝動を堪えながら、静かに天を仰いだ。ただ、お弁当を地味にしたかっただけなのに。
どうしてこんなことになった。なぜ世界は、私の小さな選択を勝手に美化するのだろう。もう何も言うまい。どうせ言っても聞かないのだから。ただ静かに、この荒唐無稽な流れに身を任せるしかない。
救国携帯食。なんというバカらしい名前だろう。もう笑うしかない。私は天井を見つめながら、心の中で静かに悲鳴を上げていた。




