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第54話「願いの鏡」
王宮の応接間という場所は、どうしてこうも落ち着かないのだろう。
高い天井。重厚な絨毯。磨き抜かれた窓硝子。どこを見ても豪奢なのに、空気だけは妙に張り詰めている。貴族たちの視線や思惑が染みついているせいだろうか。少なくとも、庶民感覚の残る私にはあまり居心地の良い空間ではない。
この部屋に入るたびに思う。なぜこんなに天井が高いのか。きっと、格の違いを見せつけるためなのだろう。立派な天井、立派な調度品、立派な建築——すべてが、ここは下級貴族など入ってはいけない空間だと無言のうちに主張している。
できれば自室で毛布にくるまりながら焼き菓子を食べていたい。
クッキーならば塩辛く、ドーナツならば甘く。そういった素朴な喜びの中で、誰にも見張られずに過ごしたい。転生者という秘密を抱えながら、この世界に適応し続けるのは、思った以上に疲れるのだ。
そんなことを考えながら紅茶へ口をつけていると、向かい側に座っていたセレスが意味深に微笑んだ。
嫌な予感しかしなかった。セレスはこの国の宮廷魔道士であり、王族に近い立場にいる人物だ。彼の笑みは何度も私を試してきた。彼の目は常に何かを探るように光っていて、私に何か秘密があると気付いているのではないかと、いつも不安にさせられる。
「リリアナ嬢」
「なんでしょう」
「今日は面白い物を持ってきました」
「その時点で帰りたいのですが」
「まあそう言わず。面白いと思いませんか、新しい魔導具の検査をするというのは」
ひどい。平気で嘘をつく。この話のあからさまな臭さはどこからくるのか。彼は軽く指を鳴らした。すると控えていた魔導士が、黒い布に覆われた台座を運んでくる。
室内の空気がわずかに変わった。重い。ひやりとした魔力が漂っている。この感覚は、古い遺跡から出土した危険な物を前にしたときに感じるものか。本来、この世界に存在してはいけないものが、無理やりここに引きずり出されているような違和感。私は思わず眉をひそめた。
「何ですの、それ」
「古代魔導具ですよ」
さらっと恐ろしいことを言わないでほしい。古代魔導具なんて、大抵ろくでもない効果を持っている。歴史の教科書に載るような古代魔導具は、大陸戦争で国を滅ぼしたものばかりと原作知識であった。
(私に見せてどうするの?)
宮廷魔道士セレスは楽しそうに布を取り払った。現れたのは、一枚の鏡だった。銀細工の縁に奇妙な紋様が刻まれている。模様は何かの古代言語のような、解読不可能な意味を秘めているようだった。鏡面は不思議なほど滑らかで、覗き込むと吸い込まれそうな感覚がした。光がそこで反射せず、むしろ吸収されるような不気味さがある。
本能が警告する。関わるな、と。この感覚は、転生者としての前世の記憶か、あるいはこの世界で培われた危機感か。どちらにせよ、直感は強く危険と叫んでいた。
(私は魔道士じゃないけど、普通の令嬢です)
「願いの鏡です」
セレスが説明する声は教科書的で、まるで魔導学の授業のようだ。
「手を触れた者の心の深層。本当に望んでいるものを映し出す魔導具だそうですよ。つまり、触れた人物の本性を、視覚的に表現するというわけです」
「随分と趣味の悪い代物ですね」
「でしょう、だから学術的に非常に興味深い。どのような出力が得られるのか、是非見てみたいと思いまして」
「見てみたい」
にこにこしている。絶対面白がってる。セレスは他者の秘密や弱点を知ることに快感を覚えるタイプなのだ。貴族の中でも特に始末に負えない。
しかも最悪なことに、今日この場には観客が多かった。王太子アレクシスはこの国の後継者であり、ヒーロー的存在。いつも紳士で、そして時々鋭い指摘をしてくる人物。
ヒロイン役だったミレイユは温順で、王太子を慕い、私にも敵意を向けていないようだが、時々言動が予測不可能。
ヴィクトリアは、貴族社会で派閥を形成する有力貴族の娘で、頭が良く、人を見透かしたような瞳をしている。そして、なぜか父までいる。
どうして、なぜ公爵がこんな余興を見に来ているの。
父アルベルト・フォン・エルヴェルムは、いつもの無表情で紅茶を飲んでいたが、微妙に目が楽しそうだった。瞳には、娘の反応を観察するという明らかな意図が映っていた。
「面白いじゃないか」
兄ルシアンまでいる。いつの間に。
「その仮説が本当かどうか、試してみるのは有意義だと思うぞ」
場所を間違えた。間違いなく。こんな場所に来るべきではなかった。転生をやり直したい。帰りたい。今すぐ日本に帰りたい。
「で?」
ヴィクトリアが腕を組む。彼女の瞳には知的な好奇心が燃えていた。
「結局これは何を暴きたいのかしら。我が身の秘密を試す装置ってわけ?」
「もちろん」
セレスが細めた目を私へ向けた。笑顔はまるで獲物を見定める捕食者のそれだ。
「リリアナ嬢の本性ですよ」
静かに部屋がざわついた。やめて。なんでそんな公開処刑みたいな流れになってるの。この場の全員が、私の深層心理を覗き見することに興味を持ってしまった。退けない空気が形成されている。もし拒否すれば、やましいことがあるのかと疑われるだろう。
「最近の彼女はあまりに完璧すぎる」
セレスは頬杖をつきながら続ける。言葉には、確かに一片の真実が含まれている。
「慈悲深く、冷静で、先を見通している。社交の場では常に適切な言葉を選び、感情的な振る舞いは一切ない。ですが、それが演技でない保証はないわけです」
「演技じゃありません」
「そう言うと思いました」
疑いの目がすごい。特にヴィクトリアが真顔で頷いているのが腹立つ。彼女は自分の貴族としての立場から、完璧な人間を本能的に疑うのだ。
「確かに気になるわね。完璧さという仮面をつけた者の本質って、得てして醜悪なものよ」
「でしょう?」
「もし本性が世界征服とかだったら面白いのだけれど」
「違いますからね?」
するとミレイユが慌てたように立ち上がった。
「り、リリアナ様はそんな方じゃありません!」
必死さが、かえって場を熱くしてしまった。
「あら」
ヴィクトリアが片眉を上げる。表情は、ミレイユの強い反応に興味を持ったことを示していた。
「随分信頼しているのね。それとも何か、知っているのかしら」
「当然です! リリアナ様は優しくて素敵で」
「ミレイユ」
「はい!」
「落ち着いて」
熱量がすごい。ミレイユの声は確信に満ちていたが、確信が果たして正しいのか、私自身にもよくわからない。転生者である自分は、本当に優しいのか。それとも、最善の策として優しく振る舞っているだけなのか。
私はそっと額を押さえた。嫌な予感しかしない。この場は、もう私に逃げ道を残してくれていない。でも、ここで拒否するのも不自然だ。やましいことがあると思われかねない。
実際、中身が転生者という最大の秘密はあるけれど。それは絶対に明かすわけにはいかない。もし知られれば、この世界での居場所はおろか、命さえ危険になるだろう。私は覚悟を決め、小さく息を吐いた。




