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第49話 護衛が増えました
朝のエルヴェルム公爵邸は、静かなくせに妙な圧がある。磨き抜かれた大理石の廊下。そこを静寂の中すり足で歩く使用人たちの気配。巨大な窓からさらさらと差し込む淡い朝日が、館全体を柔らかく包み込んでいた。しかし、その柔らかさを台無しにするような重みが、空気全体を支配していた。
そして。
「なんで?」
私は、玄関ホールに整列した騎士たちを見て完全に固まっていた。
一人、二人、三人——いや違う。ざっと見ただけで十人以上いる。いや、もっとか。数えるのも怖い。しかも全員、王宮直属の近衛騎士だ。その証拠に、彼らの身に纏った銀の鎧が、朝日に反射して無駄に、いや無情に眩しく輝いている。威圧感がすごい。もう、本当にすごい。通行人が見たら戦争かと思うレベルである。
私は引きつった笑みで隣の執事を見た。執事セバスティアンは、完璧に端正な顔で、私の視線を受け止めた。
「セバスティアン」
「はい、お嬢様」
「玄関の前に騎士団がいるのだけれど」
「おりますね」
「なぜ?」
「ガルド様です」
理由になっていない。いや、なっている気もするのが嫌だった。事実、このセバスティアンの回答は完璧にそれが全ての理由というニュアンスを含んでいる。ガルド・ヴァルハルトが決めたことならば、それは必然なのだ、という重い静寂が流れる。次の瞬間、重厚な足音が廊下に響いた。
「リリアナ様」
来た。騎士団長ガルド・ヴァルハルト。大柄。無骨。鋼のような体格。朝の柔らかい光すら、彼の前では意味をなさないほどの圧感を放っている。朝から圧が強い。いや、ガルドに朝だからという理由は存在しない。彼は常に圧なのだ。
私は嫌な予感しかしなかった。この男、最近特に過保護になっているのだ。
(最近は本当に特に過保護になった)
「ガルド団長。これは?」
「護衛だ」
「見ればわかります」
短い返答が返ってきた。ガルドはいつも短い。その短さが、余計に圧感を増す。
「増やした」
「それも見ればわかります」
問題はなぜである。ガルドは真顔で答えた。その顔は、彼が心底真剣だということを示していた。
「最近、不穏な動きがある」
「そうなのですか」
「リリアナ様を狙う者が出る可能性がある」
(なんで?)
私は内心で叫んだ。いや、薄々わかっている。最近の王宮、妙に空気が悪いのだ。陰謀だの派閥争いだの、物騒な単語が飛び交っている。何か大きな権力争いが起きているらしい。その流れの中で、各貴族が様々な動きをしている。
そして、その狭間に、私が巻き込まれているということなのだろう。
(私、関係なくない?)
ただ静かに余生、いや学生生活を送りたいだけなのに。なぜこんな国家規模の面倒事に巻き込まれているのか。ここは乙女ゲームのはずだった。もっと、こう、恋愛とか青春とか、キラキラしたイベントがあるものではなかったのか。
「お気遣いはありがたいのですが」
私は最大限やんわりと言った。ここで強く反発すると、ガルドは聞かない。彼は一度決めたら動かない男だ。それを、私は知っている。
「護衛は最低限で十分ですわ。これでは目立ってしまいます」
見た目や注目を集めることは、乙女ゲームとして最も避けるべき行動だ。派手な護衛に囲まれて登校している姿なんて、学園中の誰もが見ることになる。そうなれば、不必要な注目を集める。
ただでさえ、公爵令嬢という立場で目立っているのに。私が言った瞬間に、騎士たちがざわついた。
「えっ」
「なんと」
「我々を案じて」
(違う、違う!!)
私は嫌な汗をかく。違う違う違う。あなたたちの心配ではない。自分が目立ちたくないだけだ。
騎士たちの目は完全に感動モードだった。感動の波が、まるで台風のように周囲を覆い尽くしている。
「普通の貴族ならば護衛の数を誇示したがるものを」
「さすがリリアナ様」
「我々の負担まで気にかけてくださるとは」
(そんな高尚な理由じゃないですよ)
「こんな素敵な令嬢様をお守りすることができて、我らは幸運だな」
騎士たちの視線が、一層熱くなった。これはもう、どうしようもない流れだ。私の言葉は、完全に自分の身を低くするための言葉として解釈されてしまった。
騎士団長ガルドが腕を組む。動作まで、何か決意的だった。
「やはりリリアナ様はお優しい」
「だから違いますって!」
「しかし危険だ」
「そこまで大げさに!」
「昨日も不審者が出た」
「えっ」
(え、何それ)
「捕らえた」
怖い。さらっと怖い。ガルドは怖いことをあっさり言う。それが彼の特徴だ。
「ちなみにどこで?」
恐る恐る聞いた。その質問に、ガルドは迷いなく答える。
「リリアナ様の通学路付近」
「帰りたい」
まだ家なのに学園行くのが嫌になった。普通に危ない。通学路の近くに不審者がいるだなんて。その不審者が私を狙っていたかもしれないなんて。
私は頭を抱えた。
(なんなのこの世界。乙女ゲームじゃなかったの?)
もっとこう、恋愛とか青春とか、キラキラしたイベントがあるのではなかったか。最初に転生した時は、そう思っていた。しかし現実は、刺客だの陰謀だのばかりだ。
「本日から登下校、校内巡回、休憩時間の警備体制も強化する」
「待って」
「さらに」
「さらに?」
「窓の外にも配置済みだ」
「待って怖い!」
「安心していい」
安心できる要素が一つもない。私が絶望していると、後方の騎士たちがうんうん頷いていた。彼らは完全に、このような厳重な警備体制が正しいと信じ込んでいるのだ。
「団長は本気だな」
「当然だろう。あのお方は王国の宝だ」
「先日の夜会でも冷静に避難誘導を」
「平民にも分け隔てなく接する慈愛」
やめて。尾ひれが育っている。しかもどんどん大きくなっている。私はちらりと執事セバスティアンを見る。
(助けてほしい)
執事セバスティアンは、完璧な無表情のまま紅茶を差し出した。彼は、もう私の努力が無駄だと判断したのだろう。
「諦めましょう、お嬢様」
「何とかして」
「ガルド様は止まりません」
「知ってた」
ガルドは一度決めたら動かない。私が助けたばかりにシナリオが狂ったのだ。巨大な岩みたいな男である。しかも困ることに、善意100%なのだ。悪気がないから余計に止めづらいキャラだったから仕方ない。
これは、私の責任でもあるのか。そう思うと、更に絶望が深まった。
「では出発する」
ガルドが宣言した。
「え、本当にこの人数で?」
「足りないか?」
「逆です!」
多すぎる。多すぎるのだ。屋敷の門が開く瞬間。外で待機していた使用人たちがざわめいた。
「まあ」
「近衛騎士団が」
「リリアナ様の護衛?」
「なんて厳重な」
(やめて。本当にやめて!)
私は今すぐ馬車に潜り込みたかった。しかし、それは許されず。
「リリアナ様、こちらへ」
ガルドが馬車の扉を開ける。しかも護衛騎士が左右に整列。完全に要人警護である。王族の移動ルーティンそのものだ。
「……」
私は無言で乗り込んだ。視線が痛い。ものすごく痛い。屋敷の使用人たちの視線が、完全にリリアナ様は本当に大事にされているんだなという敬意と感動に満ちていた。
馬車が動き出す。窓の外では騎士たちが周囲を警戒していた。馬の蹄の音が、リズミカルに石畳を打つ。街の通行人が二度見している。三度見している者もいるだろう。
(そりゃそうだ。見るだろう)
たかが公爵令嬢一人の登校風景ではない。これはもう、国家規模のパレードだ。まるで王族の移動である。私は王妃じゃない。
「目立つ」
ぼそりと呟く。すると向かいに座っていたガルドが真剣な顔をした。ガルドの表情は、完全にリリアナ様の懸念は理解した。しかし守ることの方が重要だと言っていた。
「安心していい」
「だから安心できません!」
「誰にも指一本触れさせない」
「そこまで狙われる予定ないんですが」
「油断は禁物だ」
ガルドは本気だった。確かに騎士団長としての心得としては、最高レベルの対応なのだろう。ここまで護衛されると、もう迷惑でしかない。原作でもこの通りの堅物だったか。この男、本当に私が国家機密級に狙われていると思い込んでいるのだ。
いや実際、刺客云々の話を聞く限り、半分くらい本当なのかもしれないが。
(嫌すぎる)
平穏が遠い。あまりにも遠い。平穏という概念が、もはや幻想に思えてくる。
その時。
「団長」
外を走っていた騎士の一人が声を上げた。馬の蹄の音が一瞬止まる。
「周囲に異常なし。引き続き警戒いたします」
「引き続き警戒しろ」
「はっ!」
統率された動き。洗練された連携。完全に軍事作戦だった。これでは魔物の討伐遠征に大軍をひきいて行くみたいだ。私は遠い目になった。その距離、果てしなく遠い。
そして。学園へ到着した瞬間、さらに絶望する。
「え?」
校門前にいた生徒たちが静止していた。全員こっち見てる。当然である。騎士十数名に囲まれた公爵令嬢が登場したのだ。目立たないわけがない。ひそひそ声が広がる。その波動が、私に届く。
(恥ずかしい)
心臓が縮む思いだ。
「リリアナ様よ!」
声が上がった。
「すごい警備」
「やはり最近の陰謀を警戒して?」
「王国のために動いておられるんだわ!」
違います。ただの巻き込まれ事故です。誰にも届かない。私の叫びは、空虚に消える。
「リリアナ様!」
ぱたぱたと駆け寄ってくる少女がいた。ミレイユである。庶民的な笑顔を浮かべたミレイユは、騎士たちの威圧感にも気づかず、というより気にも留めず近づいてきた。
その瞬間、周囲の空気が変わった。
するとガルドの目が鋭くなる。狼が獲物を見つめるような視線。周囲の騎士も緊張している。彼らは、ミレイユが脅威かもしれないと考えているのだ。
(やめて、ミレイユは無害だから!)
私は慌てて前に出た。馬車から降りる。
「大丈夫ですわ」
私の一言で騎士たちが一斉に下がる。完全に訓練された動きだ。ミレイユはきょとんとしていた。
「す、すごいですね?」
「そうね」
「皆さん、リリアナ様を本当に大切に思ってるんですね!」
「あははは」
(どこが!)
違う。たぶん半分くらいガルドの暴走である。ただ、ミレイユは尊敬の眼差しを向けていた。その純粋さに、私は何も言えなくなる。
「でも、そんな中でも私みたいな平民に普通に接してくださるなんて、やっぱりリリアナ様は素敵です!」
「待って」
「はい?」
「その誤解だけは解きたい!」
「誤解?」
純粋な瞳だった。その瞳の中には、完全にリリアナ様は慈悲深い人という信念が宿っていた。
(ダメだ。この子には一生伝わらない気がする)




