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悪役令嬢に転生した私は破滅フラグを回避したいだけなのに、なぜか貴族社会の救世主扱いされています  作者: おーちゃん


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第48話 偶然が世界を救う


 王宮の廊下は、妙に静かだった。

 ほんの数日前まで、夜会の余韻で浮き立っていた空気が、まるで嘘のように張りつめている。窓から差し込む朝の光は美しいのに、その美しさが逆に緊張感を強調している気がした。

 私は深くため息をついた。


(もう嫌)


 最近、王宮に来るだけで胃が痛い。

 原因はもちろん、あの騒動だ。

 私はただ巻き込まれただけなのに、なぜか陰謀を暴いた救世主みたいな扱いになっている。誰がそんな誤解を広めたのか知らないけれど、訂正しようにも周囲が勝手に話を盛るので収拾がつかない。

 廊下ですれ違う侍女たちは、私を見ると小声で囁き合う。


「やはり只者では」


「黒幕を見抜いた方ですもの」


「視線だけで悪人を震え上がらせるとか」


(そんな能力ない!)


 むしろ私は今、視線を合わせないように必死だ。

 目立ちたくない。

 静かに暮らしたい。

 できれば誰とも関わらずに帰りたい。

 私は両手でスカートを軽く持ち上げながら、人気の少ない廊下を選んで歩いた。


(今日は絶対に何も起こさない)


 そう決意していた。

 その時までは。


 朝の王宮は、通常であれば使用人たちが忙しく動く時間帯だ。しかし今日は何か異なる雰囲気が漂っていた。廊下の角々に、黒い制服を着た見張りのような人物たちが立っている。警備を強化しているのだろうか。それとも何か緊急の事態が発生したのか。

 私は足を進めるたびに、彼らの視線を感じた。でも話しかけてくることはない。むしろ私が近づくと、彼らは視線を逸らしたり、完全に身を隠したりしている。昨日からずっとこの状態だ。

 これ以上目立つのは避けたい。そう考えながら、私は廊下の脇の壁に身を寄せるようにして歩いた。装飾的な大理石の柱が立ち並ぶこの廊下は、本来は王族の私的な空間へ通じる経路のはずだ。人目に触れない道を選ぶのは、今の私にとって生存戦略である。

 そして、それが大きな間違いだったことに、ほどなく気づくことになる。


「今日中にあの計画を実行するんだ」


 前方からは、低い男たちの声が聞こえてきた。

 思わず足を止める。何か不穏な会話だ。


「本当に大丈夫か?」


「あの方が動く前に、全てを完了させるしかない」


「リリアナ嬢が気づいたら、作戦は失敗に終わる」


(え?)


 私の名前が出た。好奇心と不安が、私の体を支配した。静かに足を進める。廊下の角を、少しだけ覗く。

 隠し扉が開いており、そこから複数の男たちの声が聞こえていた。全員が青白い顔をしている。何か極めて危険な陰謀に関わっているのは、一目瞭然だった。

 私はそっと身を引こうとした。このような場所に関わるべきではない。逃げるなら今だ。足は自然とそう命じていた。

 ふわり、と歩く時だった。手に持っていた白いハンカチが、指先から滑り落ちた。


「あっ!」


 反射的に手を伸ばす。しかし磨き抜かれた大理石の床は、想像以上に滑りやすかった。


「きゃっ!」


 足がつるりと滑る。次の瞬間、私は盛大に転倒した。

 バターン!

 かなり大きな音が響いた。


(痛っ!)


 手のひらがじんじんする。涙目になりながら体を起こそうとした。壁の向こうから、いっせいに声が上がった。


「誰だ?」


「今の音は何だ!」


 私はぴたりと固まった。


(えっ?)


 続いて、慌てたような声。


「まさか盗み聞きか?」


「この密談が漏れたのか?」


「上層部に知られたのか?」


(密談? 嫌な予感しかしない)


 逃げようとしたけれど、転んだせいでスカートが絡まり、立ち上がれない。必死に身をかがめて、廊下の壁際に隠れようとした。だが手遅かった。

 隠し扉が音もなく開いた。中から現れたのは、青ざめた顔の貴族たちだった。全員、私を見るなり硬直する。


「リ、リリアナ嬢?」


(え、なんでそんな顔するの)


 一人が震える声で言った。


「まさか我々の計画に気づいて?」


「いつから聞いていたのです?」


「何か知られましたか?」


(聞いてない!)


(今初めて密談って聞いた)


 私は慌てて首を振った。


「ち、違いますわ! 私はただハンカチを拾おうとして、転んでしまっただけですの」


 説明しようとした瞬間。貴族の一人が、まるで私の行動を読んでいたかのように身構えた。


「くっ、やはり只者ではない」


「偶然を装って接近するとは」


「転倒ですら作戦の一部か」


「この方は危険だ」


(違う!)


「待ってください、私は」


 貴族たちは顔色を変え、一斉に逃げ出した。まるで火がついたように。彼らは窓へ向かい、ためらいなく身を乗り出す。


 ドタドタドタッ!


「縄はしごを!」


「急げ、あの方に捕まってはならん」


 外からは、落ちていくという慌ただしい音が聞こえてきた。彼らは本当に逃げてしまった。私はぽかんとしたまま、その背中を見送った。


(なんで?)


 静けさだけが残る。床に座り込んだ私は、しばらく動けなかった。


(ハンカチ拾おうとしただけなのに)


 そして視線を落とすと、白いハンカチが廊下の中央に落ちたままになっていた。


 数十分後。私はまだ王宮内をさまよっていた。


(帰りたい)


 心の底から帰りたい。今のうちに去ってしまいたい。何も知らない振りをして、何も関わっていない振りをして。

 しかし王宮は広すぎる。しかも私は方向音痴だ。来た道を戻ろうとした結果、完全に迷子になっていた。


「ええと西棟はどっちでしたっけ?」


 小さな地図を見ながら歩く。地図が難しい。廊下が多すぎる。複雑に入り組んだ通路を見ると、頭がくらくらする。


「たぶんこっち?」


 適当に曲がった時だった。


「いたぞ!」


「リリアナ嬢だ」


 前方から悲鳴に近い叫び声が上がった。


(ひっ!!)


 黒い服を着た怪しい男たちが、なぜか私を見るなり青ざめる。彼らは何かの犯罪を計画していたのだろう。逃走経路を準備していたのだろう。そしてそこへ、まさかの私が現れたというわけだ。


「なぜここに?」


「この逃走経路は秘密のはずでは?」


「先回りされているぞ」


(逃走経路?)


 意味がわからない。男たちは動揺しながら後退した。


「読まれていた」


「あの方に計画を見抜かれた」


(読んでない)


(迷子なだけ)


 私は必死に説明しようとした。


「あの、私は別に何も」


 私が弁解しようとした時、一人が足を滑らせた。


「うわっ!」


 ドミノ倒しのように仲間にぶつかる。壊れやすい連鎖反応が次々と起こる。


「ぐえっ!?」


「押すな!」


「痛っ!」


 さらに壁際に積まれていた壺に激突。


 ガシャーン!!

 盛大な音を立てて壺が割れた。陶磁器の破片は四散し、床一面に散乱する。男たちは床に転がりながら悲鳴を上げた。その中の一人が、血を流しながら言った。


「くっ、なんという罠」


「この廊下そのものが仕掛けか」


「逃走経路を利用して、敵を誘き出すとは」


「恐ろしい娘だ」


(違います! 私を勘違いしてます!)


 私はただ立っていただけだ。本当に何もしていない。むしろ彼らが勝手に転んで、勝手に壺を割ったのだ。


「このまま捕まるわけにはいかん」


「我々は脱出する!」


 男たちは完全に怯え切った顔で、這うようにして逃げていった。壺の破片を踏みながら、痛みに耐えながら。私は呆然と立ち尽くした。


(なんでみんな勝手に転ぶの?)


 そして一人、ぼんやりと立っている私を見やる者があった。一人だけ逃げ遅れた男だ。彼はゆっくりと膝をついた。


「お、お許しください!」


「我々は知りません」


「あなた様の計画の全容を知ることはできません」


(計画じゃない!)


「どうぞ、我々を殺してください」


(殺さない!)


「あなた様の力に、屈服いたします」


 男は完全に白旗を上げてしまった。


「とにかく私は何も」


 と、説明しようとしたが時だった。廊下の奥から、王城の警備隊が駆け付けてきたのだ。


「誰だ!」


「ここで何が起こったのか」


 指揮官らしき人物が、私と犯人らしき男を見つけた。


「リリアナ嬢!」


「お怪我は?」


 彼は驚愕した表情を浮かべた。


「何ですか、この状況は」


「また陰謀が潰されたのか」


(違う!)


 しかし警備隊の兵士たちは、既に男たちを拘束し始めていた。彼らは何一つ抵抗しない。むしろ自らを縄で結ぶ様を見ていて、そこに勝敗の差を感じているようだった。


「素晴らしい」


「またしても陰謀を阻止された」


「さすがリリアナ嬢だ!」


(本当に違う、称賛しないで!)


 私の抗議は、彼らの賞賛に完全に呑み込まれてしまった。


 怪しい奴らを拘束した後。私は精神的疲労のあまり、廊下の陰に隠れていた。もう動きたくない。関わりたくない。できれば石像になりたい。そしてこのまま、誰に気づかれることもなく、静かに朽ちていきたい。


(絶対また変な誤解されてる!)


 すると近くから、ひそひそ声が聞こえてきた。何人かの兵士たちが、廊下の向こう側で話をしているようだ。


「リリアナ嬢の動きは読めない」


「本当にどうなっているのか」


「あの方は偶然を装っている」


(もう聞きたくない!)


「自然な失敗に見せかけて、全て計算済みだ」


(違う違う違う!)


「あの転倒すら作戦の一部とは」


「恐ろしい知略だ」


「陰謀側の計画を、次々と潰していく」


(転んだだけだ!)


「逃走経路を完全に予測するとは」


「黒幕側の計画が次々と潰されている」


(道を間違えただけ!)


「まさかあの転倒で、男たちを逃走経路へ追い込もうとは」


「全ては計算であった」


 私は思わず頭を抱えた。


(お願いだから放っておいてぇぇ!)


 噂はどんどん酷くなっている。最近ではリリアナ嬢は未来予知ができるだの、敵対者の思考を読むだの、意味不明な話まで出回っているらしい。

 テレパシーで陰謀の首謀者と対話していたとか。王の加護を受けた聖女だとか。透視能力で敵の動きを先読みしているとか。もはや私は人間ではなく、何か超越的な存在として扱われ始めていた。

 私はただの公爵令嬢だ。しかも割と不器用な方である。未来予知どころか、五分後に自分がどこで迷子になるかすら予測できない。

 なのに周囲は勝手に深読みする。まるで私がいくつもの秘密兵器を隠し持っているかのように。


(もう何もしない方がいいのでは?)


 私は真剣に考え始めた。歩くだけで事件が起きる。転ぶだけで陰謀が潰れる。迷子になるだけで悪人が自滅する。これは、もはや私の行動そのものが、何かを引き寄せているのではないか。


(私、家で大人しくお茶飲んでた方が世界平和なのでは?)


 そう思った時に、近くを通りかかった騎士たちの会話が聞こえてくる。


「またリリアナ嬢が黒幕の計画を阻止したらしい」


「王国の守護者だな」


「あの方がいなければ、王国は既に滅んでいたであろう」


「陛下も高く評価しておられるとか」


(やめて)


 評価しないでほしい。期待もしないでほしい。私はただ静かに暮らしたいだけなのに。なのに状況はどんどん大きくなる。私が何もしていないのに。


「リリアナ様!」


 突然、若い侍女が駆け寄ってきた。瞳は輝いており、感動に満ちていた。


「大丈夫ですか?」


「お怪我は?」


「本日も危険な任務を遂行されたと聞きました」


「素晴らしい」


「我々は誇りに思います」


(任務じゃない!)


 私は力なく首を振った。


「違いますわ」


「私はただ帰りたいだけですの」


 しかし侍女は感動したように目を潤ませた。


「なんと!」


「過酷な戦いの後でも弱音を吐かれないなんて」


「その謙虚さ、それこそが真の英雄の証!」


(吐いてる!)


 今まさに吐いている。だが伝わらない。


(もう何を言っても無駄な気がした)


 言葉が全く届いていない。こちらの主張は、完全にフィルターを通して、全く別の意味として相手に届いているのだ。私は諦めたように小さくため息をつく。

 そして静かに立ち上がった。


(帰ろう)


 今日はもう限界だ。これ以上ここにいたら、また何か起こる。そして誰かがそれを、また別の意味に解釈する。

 私は慎重に、今度こそ何も起こさないように、そろそろと出口へ向かった。

 一歩一歩を慎重に。何も事件を引き起こさないように。何も陰謀を潰さないように。

 だが、その背後で。


「見たか?」


「あの落ち着き」


「混乱の中でも、完全に態度を崩さない」


「やはり全て計算の上か」


「何という策士」


 そんな声が聞こえてくる。私は思わず天を仰いだ。


(違うぅぅぅぅ!!)


 しかし心の叫びが、周囲に届くことはなかった。王宮の廊下には、相変わらず静けさが満ちていた。

 ただし、その静けさは緊張に満ちたものだった。まるで、この廊下全体が、一人の少女の行動を注視しているかのように。

 私はゆっくりと歩みを進めた。

 今、ここから逃げ出さなければならない。そう考えながら結果として、行動は、さらに多くの誤解を生み出すことになるのだった。

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