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第46話 救世主、誕生
王宮でのパーティは続いた。本来の悪役令嬢の私はただ静かに過ごしたかった。
王宮の大広間は、光と音楽と人々のざわめきで満ちていた。
シャンデリアから降り注ぐ白い光が、何百人もの貴族たちを照らし出している。男性たちは豪奢な燕尾服に身を包み、女性たちは色とりどりのドレスで身を飾っていた。弦楽四重奏の音が優雅に響き渡り、談笑の声、笑い声、靴が大理石の床を叩く音が重なり合って、まるで波のような音の壁が会場全体を覆っていた。
私、リリアナ・フォン・アルベルト侯爵令嬢は、会場の騒音の片隅で息をひそめていた。
「もう、絶対に静かに過ごす。絶対に巻き込まれない。壁の花になるのだ」
そう心に誓ったのは、このパーティが始まる前のこと。ここ数週間、私はこの王宮パーティで妙な存在感を持つようになってしまっていた。いや、何もしていないのに、なぜか周囲が勝手に騒ぎ立てるようになったというべきか。
(なぜこんなことに)
そう思いながら、会場の隅に身を寄せた瞬間、背筋を冷たいものが走った。
「なんか、空気がざわついてる?」
これは私の勘だけではない。会場全体が、ざわざわとした不穏な空気に包まれ始めていた。まるで嵐の前の静けさのような、何かが起こることを予感させる空気。
(嫌だ。嫌だ。本当に嫌だ!)
「きゃあああああああ!」
突然の悲鳴が会場を貫いた。私が予感に首をかしげた、その直後のことである。会場の中央、高い台座の上に展示されていた古い魔道具が、突然として光り始めたのだ。
青紫色の不気味な光が辺り一面に溢れ出し、その魔道具からは火花が激しく散り始めた。バチバチバチバチという耳障りな音とともに、光は益々激しくなっていく。
「危ない!」
「魔道具が暴走しているぞ!」
「下がれ!」
人々が悲鳴を上げながら四方八方に散った。暴走の光景を見て、私の本能的な反応は一つだけだった。
「ひぃぃぃ!」
私は反射的に後ろへ、後ろへと下がった。着ているドレスの裾を踏まないように、慎重に、しかし素早く。一秒でも長くその暴走する魔道具から距離を取りたい一心で。
しかし人生とは時に、予想外の方向へ転がるものである。
私のドレスの長い裾が、不運なことに、その魔道具を支える台座の隅に引っかかってしまったのだ。そして、引き寄せられた私の体は、勢いよく台座の脇へ。
倒れた拍子に、私の肘が台座の側面に付いていた何かに当たった。
「ああああ」
小さな音がした。一つのスイッチが、押された。押された瞬間、会場全体がシーンと静まり返った。
青紫色の光は、スッと消える。バチバチという音も、一瞬で途絶える。魔道具は、ピタッと、停止したのだ。
会場には、一瞬の沈黙が落ちた。
「止まった」
「え? 何が?」
「魔道具が」
そして、パーティー会場の沈黙は一秒と持たなかった。
(もしかして、私を褒めるのはやめて。褒められる予感する)
「リリアナ様が!」
「何か!」
「魔道具を鎮めた!」
わっ、と会場全体が沸いた。
「本当ですか!」
「奇跡だ!」
「救世主だ!」
(違う。違う違う違う。ただ、ただ私の裾が引っかかっただけ。引っかけた時にたまたまスイッチに当たっただけ。何もしていない!何も!)
心の中で叫んでいるのに、周囲の声はますます大きくなっていく。視線が集中する。何十、何百という視線が、この私に向けられていた。
(ああああ、逃げたい!)
ようやく視線の集中が薄れた頃、会場の奥の方からまた別の騒ぎが起こった。
「王太子派が何をする気だ」
「いや、我々王妃派こそが王国の未来だ」
「いや待て、中立派の意見も聞くべきでは?」
派閥争いだ。王宮の政治的な火種が、いよいよ表に出てしまった。王太子アレクシスを支持する派閥、王妃エレオノールを支持する派閥、そして今はまだ力を持たない中立派。三つどもえの権力争いが、このパーティの場で露わになろうとしていた。
声が大きくなる。論争が熱くなる。やがて、つかみ合いになりそうな勢いにまでなっていく。
「やめて何か言わないで」
もう何度目かわからない。また別の場所で、別のトラブルが。そして恐らく、また何らかの形で私が関わってしまうのではないか。予感が、脂汗となって額を伝う。
(逃げよう。この場から立ち去ろう)
そう思った私は、貴族たちの論争の場を横切るように、歩き始めた。
ただ、そこを通り抜ける。それだけ。
「あ、あれは」
「リリアナ様が来られたぞ」
誰かが私に気付いた。
「静粛に。聖女の前だぞ」
「そうだ。失礼のないよう」
一瞬にして、その場の全員が止まった。まるで演技で時間が停止したかのように。論争していた貴族たちは、口を閉じ、視線を下げる。
「リリアナ様の中立の気配が、争いを鎮めた」
「さすが救世主」
「本当に凄い方だ」
(気配?何ですか気配って。私はただ、ただ逃げてただけ)
心の叫びは、誰にも聞こえなかった。逃げるのは不可能に近かった。王宮でのパーティーは私が完全に主役になっている。
さらに十分後。私が別の場所へ移動しようとした時のことである。給仕の青年が、シャンパンの入ったグラスをたくさん乗せたトレイを運んでいた。その動きはいつもより急いでいるようだった。貴族たちの間をすり抜け、素早く移動する。
しかし、人混みの中での急いだ動きは、往々にして失敗を呼ぶ。
「あっ!」
給仕の足が何かに引っかかった。体が前のめりになる。トレイが傾く。グラスが!
(やばい!服にかかったら終わり!)
本能的に、私は身をひねった。まるで訓練を受けた体のように、自然な動きで。その瞬間、私のドレスの裾が動いた。
(あれ、これってどこかで見た感じもしないでもないが、まさかだよな)
トレイが、その裾に引っかかる。引っかかりが、シャンパンの軌道を見事に変えた。グラスたちはカラカラと音を立てて、弧を描き、飛ぶ。
そして、見事に奇跡的にテーブルの上に、ほぼ完璧に着地したのだ。一滴も床に落ちず。グラスも割れず。
(またかよ! こんな奇跡なぜ起きる!)
「おおおおおおお!」
会場全体から、歓声と喝采が起こった。
「奇跡だ!」
「完璧な着地!」
「リリアナ様がシャンパンを救った!」
(救ってない。ただ避けただけ。なぜこんなことに!)
もう、この流れには逆らえない。まるで流れが全て私のところにきている感じだ。神が私についているみたいに。
(まいった。さすがにもう奇跡はないだろう)
さらに天井のシャンデリアが、ゆっくりと揺れ始めたのだ。
誰かが何かを落とした音がしたのか。それとも、建物の老朽化か。理由は不明だが、シャンデリアの動きは徐々に大きくなっていく。
ガラスが触れ合う音が、カンカンカンと響き渡る。
(待てよ、今度こそ私は、私は何もしないぞ)
「危ない!」
「シャンデリアが落ちるぞ!」
「誰か!」
人々が叫ぶ。もう、私は条件反射的に動いていた。
「ひぃぃぃ!」
走る。柱の陰に隠れたい。シャンデリアの落下地点から遠ざかりたい。そういう本能だけで、足が動いていた。
その走る先。越える道。私は知らず知らずのうちに、床に描かれた複雑な魔法陣の中を走り抜けていたのだ。
古い王宮の床に刻まれた、いくつもの防御魔法陣。魔法陣の一つに、足が触れた。
「あっ!」
小さな光が、床から立ち上る。青白い防御結界が、一瞬にして発動した。結界は、まるで私の走ってきた軌道を保護するかのように、周囲に張り巡らされた。
そして、天井から落下していたシャンデリアは、その結界に弾かれ、ゆっくりと別の場所へ向かう。誰かの上には落ちない。人の居ない場所へ。
落下音。
しかし誰も傷つかなかった。
(嘘でしょ!)
「リリアナ様が」
「結界を」
「発動させた」
「救世主だ!」
(違う。本当に違う。何もしていない。しかも救世主ってなに!)
会場が救世主コールに包まれる。
もう、この時点で、会場全体が私を見る眼差しは変わっていた。単なる貴族の令嬢ではない。
何らかの特殊な力を持つ者。そして、この王国を守る救世主。
そういう認識が、満場一致で形成されていたのだ。
「リリアナ様こそ救世主だ!」
「貴族社会の光!」
「中立の守護天使!」
「王宮の奇跡!」
大合唱が起こる。拍手が起こる。視線が、熱い視線が、この私に集中する。
「やめてぇぇぇ!」
心の中で泣きながら、私は会場の隅の壁に背中をつけて震えていた。本当に何もしていないのに。全部、全部が、ただの偶然なのに。
(処刑シナリオだったけど、今は救世主シナリオになった)
「どうしてこうなるのよ」
つぶやく。
「本当にどうして」
救世主の喝采の時。
銀色の髪を持つ王太子アレクシスが、人込みを掻き分けて私の前に立った。
背が高く、王妃譲りの整った顔立ち。その眼差しには、何か複雑な感情が込められていた。
「リリアナ。君は本当にすごい」
(すごくない。全部偶然です)
そして、その直後。白髪交じりの髪を持つ父、アルベルトも駆け寄ってきた。
「リリアナ。無事でよかった」
父の声には、娘を思う親の温かさが込められていた。二人は同時に、私を守るように立った。
「リリアナを利用する者は許さない」
アレクシスが宣言する。
「娘を政治に巻き込むな」
父が声を張る。
(やめて。やめてください。そうするとますます目立つ!)
心の中で懇願していたのに。二人の庇護は、かえって私への注目をさらに高めてしまったのだ。
(ちょっと、私のことも考えて)
◆
会場の高い席から、王妃エレオノールは、この全ての騒ぎを眺めていた。優雅に扇を開き、その目には何か知的な光が宿っている。
王妃は静かに微笑む。
小さく、静かに、微笑む。
「やはり、あの子は面白いわね」
王妃の一言は、誰にも聞こえない。ただ、王妃自身の満足感を表しているだけだった。
◆
パーティの最後。私は、心の中で泣きながら、会場の喧騒を聞いていた。
「やはりパーティーに来るべきではなかった」
あきらめて、つぶやく。
「私、何もしてないのに」
しかし、貴族社会の声は、決して弱まることなく、むしろ益々大きくなっていくのが聞こえた。
「救世主リリアナ様」
貴族たちの声は、何度も何度も繰り返される。
(救世主、違うから!)
心の中での叫びは、やはり誰にも聞こえない。こうして私の絶望とともに、王宮パーティーは幕を閉じたのだった。




