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第44話 アレクシスの距離感バグ
最近のアレクシスは明らかにおかしい。王太子であるという立場を完全に無視して、私・リリアナに対して異常なまでに接近してくるのだ。最初は気のせいだと思っていた。もう否定できない。これはバグだ。何かが根本的にプログラムされた距離感を逸脱している。転生直後はアレクシスに断罪シナリオがあった。それを何とか回避できたと思った。
一つの例として、学園に毎日迎えに来る。朝7時。私が自宅を出ると、必ずそこにアレクシスがいる。王太子付きの馬車で。護衛騎士団を引き連れて。
「リリアナ、おはよう。今日も一緒に登校しよう」
彼は笑顔で手を差し伸べる。笑顔に罪はない。周囲の反応は。
「なんで毎日お迎え?」
「王太子が?」
学園の門をくぐる前から、すでに視線が集中している。同級生たちのざわめきが私の背中を刺す。
次に変なのは教室で私の席の近くに座ること。
いつもなら王族専用の席に座るはずの彼が、なぜか私のすぐ隣の席に。理由があった。
「ここが落ち着く」
一言だ。それ以上の説明もない。
(落ち着かない。周りの視線が痛い!)
教室全体が静けさに包まれる。全員が私たちを見ている。視線の圧力だけで窒息しそうだ。先生さえも戸惑った表情で授業を始める。
(集中できないよ)
こうなると止まらなくなり、護衛を増やすとなった。
「念のためだ」
いつの間にか、私の周りに騎士たちが増えていた。登校時3人。下校時5人。週末の外出時は10人を超える。
(念のための範囲が広すぎる)
もはやこれは念のためではない。これは顕示だ。王太子が聖女を守っている。その事実を誰もが知るように、彼は意図的に私の周りに騎士を配置している。
周囲の生徒たちはざわざわしていた。
「王太子殿下が」
「リリアナ様にべったり」
「やっぱり聖女」
教室の隅々でささやかれる。廊下で噂される。食堂で指差される。
(誤解が増える増える!)
これはもう誤解の域を超えている。ほぼ確定的な事実として扱われ始めていた。
(守ってくれるのは嬉しいが、ここまでやると迷惑だよ)
アレクシスと二人きりで話すことになった。放課後、アレクシスが私を呼び止めた。
「リリアナ。少し話がしたい」
図書館の奥。人目につかない場所。彼が選んだ場所だ。
(えっ二人きり?)
そんなことが知られたら、もう逃げ場はない。誤解は確定的な事実へと変わる。
(誤解が誤解が加速する!)
私は震えながら頷いた。言葉を発することすら難しい。アレクシスの瞳がまっすぐに私を見つめている。視線の強さに、心臓が暴走する。
教育係の件を相談しよう。
「あの、アレクシス殿下。王妃陛下の教育係のことなのですが」
話を逸らしたい。この沈黙から逃げたい。何か、彼の用件から気をそらしたい。
「アナスタシアか。どうした?」
「厳しすぎます」
思わず叫んでしまった。もう保つことができない。ここ数週間のストレスが、一気に爆発する。
「フォークの角度1度で怒られますし、紅茶の茶葉1粒でやり直しですし、歩幅が一定じゃないと注意されますし」
息もつかずに言葉が溢れ出る。王妃の教育係・アナスタシアの指導は本当に厳しかった。毎日が修行だ。完璧さを求める彼女の眼差しは、常に私の欠点を探している。
アレクシスは首を傾げた。
「それは普通だろう?」
「えっ?」
(今、普通って聞こえたような)
「王宮では皆そうだ。僕も子供の頃からやっている」
「えっ!」
「むしろ優しい方だと思うが」
「えっ!」
(えっ普通なの?)
信じられない。彼の言葉が理解できない。王宮の基準は、一般市民の基準とは全く異なるのか。
(王宮の基準おかしくない? 絶対に普通じゃないよ!)
彼は至極当然のように言う。それが子どもの頃から当たり前だったから。王族にとって、完璧さは必須要件なのだ。私は王族ではない。ただの聖女だ。そこまで完璧である必要はないはずなのに。
(勇気を出して中断をお願いしよう)
深呼吸をした。これは言わなければならない。
「で、でもわたくしには少し、負担が大きくて」
声が小さくなる。王妃の教育係という立場から逃げることができない。このまま続けば、心が折れてしまう。アレクシスは私をじっと見つめた。瞳に何かが映る。それが何であるか、私には分からない。ただ、彼の視線が重い。私が王妃の資格もない能力もないと思われるだろう。
「辛かったのか?」
「つ、辛いです」
もう隠す必要はない。素直に、本当の気持ちを伝える。アレクシスは静かに頷いた。
「分かった。教育係は一旦中断するよう、母上に伝えておく」
「えっ本当に?」
こんなに簡単に? 彼は王妃に逆らうことができるのか?
「もちろんだ。君が嫌がることを続けさせるつもりはない」
(助かった)
中断の言葉に、一気に肩から力が抜ける。重くのしかかっていた負担が、ふっと消えた。
(アレクシス殿下、ありがとう!!)
私がほっと息をついた瞬間、彼の顔が変わった。アレクシスは私がほっと息をついたのを見て、ふっと微笑んだ。笑顔は、今までのアレクシスとは違う。柔らかくて温かい。
「君は、そうやって素直に弱さを見せるところが可愛い」
「かっ?」
時間が止まった。アレクシスが、耳を通して脳に到達するまでの間、何秒あったのか。
(か、可愛い?)
可愛いを繰り返す。本当にそう言ったのか。
(今、可愛いって言った?)
幻聴ではない。静けさの中で、アレクシスの声は明確に私に届いている。
(王太子殿下が私に?)
顔が熱い。血が逆流しているような感覚。心臓が胸を揺らす。
アレクシスは続ける。声は穏やかで、確信に満ちている。
「君が困っているなら、僕が助けたいと思うのは当然だ」
当然だと言う。王太子が私を助けるのは当然だと。
(当然じゃない。でもこれは新たな恋愛フラグでは)
それが当然であるはずがない。王太子が、一般人である私のために。そこまで。
(誤解が誤解が加速する)
アレクシスは、私の手をそっと取った。手の感覚は、電撃のようだ。手の温かさが、私の手を伝って、全身に広がる。
「リリアナ。君は無理をしなくていい。僕が守る」
「ま、守らなくて大丈夫です」
反射的に反論する。しかし私の声は震えている。
「わたくし、普通の生活がしたいだけで」
本心ではないのではないか。私は何を望んでいるのか。アレクシスは、ゆっくりと頭を振った。
「普通の生活?君の普通は僕が守る」
「いや、守らなくていい」
声が裏返る。
「普通じゃない絶対に普通じゃない」
私は心の中で叫んだ。
(どうしてこうなるのよ)
王太子の距離感バグは、もはや修復不可能なレベルに達していた。そして、バグに巻き込まれた私も、もう逃げ場を失っていたのだ。




