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第42話 王妃の教育係とスパルタ地獄
学園でリリアナ銅像計画が浮上した日。私は夕食の席で、震えながら父に報告した。
(報告するしかない)
「あの、父様」
スープを口に運ぶ手が止まった。息を整える。
「学園でわたくしの銅像を建てようという話がありました」
父アルベルトの手が止まった。スプーンが音を立てて皿に落ちる。
「銅像?」
(お父様、声が低い。危険な声だ)
父の低い声は、怒りの前兆である。私は緊張した。母エレノアは扇子を開き、素早く閉じた。仕草には明らかに不満が込められている。
「まあ娘を勝手に象徴にするなんて、許せませんわ。王妃陛下へのご報告が必要でしょう」
(お母さま、すでに大事になっている)
兄ルシアンは笑っている。相も変わらず他人事のような笑顔だ。
「リリアナ、ついに歴史に名を残すのか。我が家の栄光だな」
(残したくないむしろ消えたい!)
妹ソフィアは純粋に喜んでいた。幼い顔は輝いている。
「お姉さま、すごい銅像になったら、毎日見に行ってあげる」
(すごくない恥ずかしいだけ)
セバスティアン執事は静かに言った。彼は常に冷静である。
「お嬢様。銅像計画は私が水面下で止めておきます。ご心配なさいませ」
(セバス、さすが頼もしい!)
そしてマグヌス家庭教師は、目を輝かせた。
「リリアナ様。銅像にふさわしい立ち居振る舞いの特訓を提案します。この後にでも」
「マグヌス」
父の低い声が割って入る。
「はい」
マグヌスは一瞬で萎縮した。
(お父様ありがとう)
しかし安心したのも束の間。父はゆっくりと私を見つめた。
「リリアナ。お前は何をした」
「何も何もしていません」
「何もしていないのに銅像計画が浮上するか。普通、そんなことはない」
(あああああ、完全に正論である!!)
私は言葉を失った。父に銅像計画を報告すると、地獄の夕食となった。
食後、執事セバスティアンが手紙を持ってきた。彼の表情はいつにも増して厳しい。
「お嬢様宛てに、王宮より書簡が届いております」
(嫌な予感しかしない。本当に嫌な予感)
三日前のあの日、王妃陛下と立ち話をしただけなのに。まさかそれが報告されているのか。
封を開けると、威厳のある筆跡があった。王妃エレオノールの筆だ。
『リリアナ・フォン・エルヴェルム。あなたの成長を見守っていたが、そろそろ次のステップへ進む時だと考える。あなたには王妃の器がある。つきましては、専門の教育係をつけることに決めた。明日、王宮へ参上せよ。王妃エレオノール』
(教育係? いやいやいや 私は成長なんて望んでない そっとしておいて)
リビングは水を打ったように静まった。父は眉をひそめた。彼の怒りはすでに収まっているようだが、新たな問題が生じたことに気づいている。
「王妃陛下が、教育係を?それは栄誉か?」
母は悩んだようだ。彼女はこの手の政治的な状況を読むのに長けている。
「まあそれだけリリアナを高く評価しているということですね。わが家の名誉です」
(評価しないで。これは全て誤解よ)
兄ルシアンはにやにやと笑っている。
「妹よ。王妃陛下のお気に入りか。羨ましいな」
(いらない差し上げます)
◆
翌日、王宮で教育係と対面するとなった。馬車で王宮へ向かった。城壁がどんどん大きくなる。心臓が小さくなっていく。
王妃エレオノールは玉座の間で、微笑んでいた。完璧なドレス、完璧な髪、完璧な笑顔。すべてが完璧だ。
「来たわね、リリアナ嬢。お待たせして申し訳ない。実は、あなたには王妃の器があるわ。感じないかしら?」
(ない。器なんてない。むしろ器破壊機です)
王妃は立ち上がり、私の肩に手を置いた。その手は意外と温かい。
「だからこそ、あなたを真の意味で導く教育係をつけることにしたの。つまり、王妃としての振る舞いを学ぶための、特別な指導者をね」
王妃が白い手袋をはめた手を叩くと、扉が開いた。現れたのは、背筋の伸びた、鋭い目をした三十代の女性である。黒いドレスに身を包み、姿勢は完璧そのものだ。
「今日からあなたの教育係、アナスタシアよ。彼女は王妃の母親の時代から、王家に仕えてきた人物よ。最高の指導者を選んだつもり」
(名前からして強そう。しかも経歴が完璧すぎる)
アナスタシアは深く一礼した。動きは計算されたものに見える。
「リリアナ様。王妃陛下のご期待に応えるため、全力で鍛えさせていただきます。甘い指導は致しません」
(鍛える? 甘くない指導? 嫌な予感しかしない)
◆
王宮の一室は、修行の場となった。テーブルには美しく盛られた料理が並ぶ。アナスタシアは私の隣に立っている。
私は家でも食事マナーはあるし、そこでマグヌスからも教わったから、楽勝だろうと思った。
「フォークを持ってください」
私は言われた通りにする。
「そこです。そう待ってください。角度が1度ずれています」
「えっ?」
1度? 見た目では全く同じに見える。
「やり直しです」
(1度? そんな細かいの? 誰が見分けるのよ)
その後、何度も何度もやり直させられた。フォークの角度。ナイフの持ち方。ナプキンの広げ方。全てが1度単位で修正される。
(やばい、これマグヌスよりも厳しい)
次は紅茶の淹れ方になった。紅茶なら簡単。単に茶葉に熱湯を注げば終わりだ。だれでもできる。転生する前からやっていたし、同じだ。
「茶葉を入れるタイミングが遅いです」
「す、すみません」
「やり直しです。湯気が出ている間に、茶葉を投じるのです。その間隔は、3秒です。1秒の誤差も許されません」
(また? 3秒の誤差もって。私は人間じゃん無理だよ)
何度も何度も、紅茶を淹れ直す。その度にやり直しと言われる。腕は疲れ、心も疲弊していく。私の想定を超えていた。
(これが王宮のレベルなのか。異常ですよ)
紅茶は終わり、歩き方の教育となった。紅茶でもう、うんざりしている自分がいた。はっきり言ってやめたい。しかし王妃からのことなので中断はできない。
(歩き方なら余裕か。たぶん背を伸ばすくらいだから)
「歩幅が一定ではありません。王妃として歩く時、その一歩一歩は音を立てないものです」
「そんなの気にしたことない」
(これもう修行じゃん)
アナスタシアの容赦なさは、マグヌスの比ではない。誰が耐えられるのかと聞きたい。
(とても私には耐えられない!)
「リリアナ様。あなたには王妃の器があるのです。妥協は許されません。完璧さのみが、王妃の尊厳を保つのです」
(ない。器なんてない。むしろこんなスパルタ教育で壊れそう)
私の心が折れかかった時だった。
「リリアナ様ぁぁぁ!!」
大きな声と共に、マグヌスが泣きながら飛び込んできた。彼の顔は真っ赤である。
(よく王宮に入れたわね?)
「なぜ私ではなく、この者が教育係なのですか」
マグヌスは激怒していた。彼の誇りが傷つけられたのだ。
(マグヌス? こんなところまで)
アナスタシアは冷静に答えた。
「あなたの教育は基礎です。基本的な淑女としてのマナーですね。私は王妃教育を担当します。それはあなたの教育の延長線上にあるものです」
「ぐっ わ、私だってリリアナ様を立派な淑女に育てたのは私です」
マグヌスの声は必死だ。
「あなたの指導は甘すぎます。王妃に必要なのは、完璧さです」
「甘くない 私は厳しい」
(いや、マグヌスは厳しいけど、アナスタシアさんはそれを超えているレベルの厳しさだ)
マグヌスは涙目で叫んだ。
「リリアナ様は私が育てたのです。何年もの月日をかけて横取りは許しません」
「横取りではありません。あなたの続きを私が担当するだけです」
「続き? 私の教育はまだ終わっていない終わらせるつもりもない」
二人の間に火花が散った。気圧されるような対立が生じている。
(なんで教育係同士で戦いが始まるのよ。私の問題なのに)
王宮の窓から、遠く城下町が見える。
(もう嫌ぁぁぁ、帰りたい〜〜)
心の奥底から、悲鳴が上がった。
(銅像も派閥も教育係もいらない マグヌスもアナスタシアも、二人共いい人だけど。私はただ静かに生きたいだけなのに)
私は心の中で泣きながら、紅茶を淹れ直した。手は震えている。
アナスタシアの声が聞こえる。
「リリアナ様。茶葉が1粒多いです」
「えっ?」
「やり直しです」
(地獄。これが私の人生ですか。王妃候補生はこんなに辛いのですか)
マグヌスがまだ何か言っている。二人の教育係の言い争いは続いている。私は静かに茶葉を取り出し、また数え始めた。完璧さへの道は、終わりがない。




