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第31話 執事セバスティアンの裏仕事
謁見の翌日、私は疲れ果てていた。
王妃陛下との謁見を終えた翌朝。私はベッドの上で、魂が抜けたように天井を見つめていた。
(疲れた。本当に疲れた。王妃様の誤解が増えるばかりだし、破滅フラグがまた立った気がする。いや、増えたか。複数立ってるんだろうな。数え切れないほど)
天井の装飾的な模様を眺めながら、昨日の謁見のことを思い返す。王妃陛下は私をどう見ているのだろう。優秀な貴女? 野心家? それとも、何か隠された才能があると思っているのだろうか。
いずれにせよ、私が望んでいないイメージが、私を勝手に作り上げていく。
そんな私の部屋に、静かにノックが響いた。
「お嬢様。朝食の準備が整っております」
セバスティアンの落ち着いた声だった。執事の声を聞いた瞬間、心が落ち着くのを感じた。
(セバス本当に癒やしだ。この人がいなかったら、私は既に狂っていたかもしれない)
私はふらふらと起き上がり、鏡を見た。寝不足で顔が青い。これでも優秀な貴族令嬢に見えるのか。見える、らしい。世の中は不公平だ。食堂へ向かった。
食堂には家族が揃っていた。父アルベルト侯爵は新聞を広げ、母エレノアは上品に紅茶を嗜み、兄ルシアンはパンを食べ、妹ソフィアはいつもの通りはしゃいでいる。そしてマグヌス家庭教師もいる。
(げっ、朝から家庭教師が)
「リリアナ様!! 本当に素晴らしかった。今日も特訓を」
「マグヌス」
父の低い声が飛ぶ。
「は、はい」
マグヌスはしょんぼりとした表情で黙った。
(お父様、ありがとう。今朝のマグヌスのテンションに対応する力は私にはない)
私は席について、セバスが注いでくれた紅茶を口にした。温かい紅茶は、体の芯まで温める。その瞬間、セバスが静かに言った。
「お嬢様。昨日の王妃陛下との謁見についてですが、実は水面下でいくつか調整を行いました」
「調整?」
家族の視線がセバスに集中した。セバスは淡々と説明を始めた。その表情は変わらない。あたかも、日常的なことについて話しているかのように。
「実は、王妃陛下がお嬢様を政治利用しようとする動きが察知されておりました。そこで、それを穏やかな方向へ誘導いたしました」
「誘導って具体的には?」
(裏で何かしてくれたってことかな)
「王妃陛下の側近である侍女長に対して、お嬢様は本来とても控えめで、政治的な野心はお持ちでない方であるということをさりげなく伝えておきました。複数の場面で、さりげなく」
(セバス! あなた何をしてるの!)
私は息を飲んだ。セバスは王妃の側近に直接働きかけたというのか。
「さらに、王宮内でお嬢様が王太子殿下を操っているという噂が出始めておりました。これは非常に危険な噂でしたので、事前に潰しておきました」
「つ、潰したの? 具体的には」
「はい。殿下が一方的にお嬢様を信頼しているだけで、お嬢様は特に誘導していないという形に情報を整えておきました。複数の信頼できる情報源を使いながら」
(それはそれで困るんだけどでも、実はものすごく助かっている。政治的に操っていると思われるのは、本当に危険だ)
セバスはさらに続ける。表情は相変わらず穏やかだ。しかし会話の内容は、恐ろしいほどに周到で、計算されている。
(怖いくらいに有能ですこと)
「加えて、お嬢様の善行が過度に誇張されぬよう、王宮内の情報の流れを調整いたしております」
「誇張されてたの?」
「はい。お嬢様の評判は、事実よりも大きく膨らみやすい傾向にございます。そこで、複数の信頼できる人物に、それは誇張であると伝えておきました」
(誇張されてるんだ。やっぱり、私の評判は事実ではないんだ)
「また救世主という呼び名も、できるだけ抑える方向で動いております」
(救世主って呼ばれてたの私、知らなかったぞ!)
私は驚愕した。自分が救世主だと思われているというのか。セバスが事前に潰してくれなかったら、もっと大変なことになっていたのだろう。
セバスの報告に、家族はそれぞれ反応した。
「よくやった、セバスティアンの慎重さと行動力がなければ、この家は幾度も危機に陥っていただろう」
(お父様、珍しく褒めた! こんなに褒めるのを聞いたことがない。セバスはそれほど優秀なのか)
「さすがですわ、セバスティアン。リリアナの評判が変に膨らむのは、本当に避けたいことですもの。このままでは、娘が政治の渦に巻き込まれてしまいます」
(母様、変にって言ってるけど、もう既に膨らんでるんでしょ。だからセバスが必死で抑えてくれてるんだ)
「へぇ、裏でそんなことしてたんだ。流石だね。僕たちの知らないところで、こんなに動いていたなんて。本当に、君は優秀だ」
(兄様、楽しそうな顔してる。セバスの話が面白いのかな)
「セバス、すごい!! お姉さまを守ってくれてありがとう。これからも、お姉さまをいっぱい守ってね」
(ソフィア、かわいい。こんなに単純に信頼できるのは羨ましい。私も、こうありたいのに)
セバスのお嬢様第一主義が絶賛された。セバスは私に向き直り、深く一礼した。
「お嬢様。私は、何があろうとも、お嬢様が政治に巻き込まれぬよう最善を尽くします。それが、私の役割であり、責務だと考えております」
セバスティアンの言葉は、静かで、揺るぎなくて、とても心強かった。この人は、本気だ。私を守るために、水面下で動き、情報を操作し、噂を潰している。私のためだけに。
「セバス、ありがとう。本当に」
私の声は、かすれていた。涙が出そうだ。
「いえ、お嬢様。私はお嬢様の執事でございます。お嬢様の平穏こそが、私の最優先事項です。そのためであれば、いかなる手段も使います」
(泣きそう。本当に泣きそう。このセリフ、反則だ)
セバスの言葉は、私に何かを約束してくれている。それは、保護であり、支援であり、無条件の忠誠だ。
しかし、セバスは続けた。
「ただし」
「えっ」
その一言で、場の空気が変わった。
「王妃陛下は、お嬢様に非常に強い興味をお持ちです。完全に政治から巻き込まれないのは、もはや不可能かと判断いたします」
(不可能?)
「ですので、私は戦略を変更いたしました。巻き込まれるのは避けられないという前提で、その上で巻き込まれたうえで最小限の被害で済むよう引き続き調整いたします」
(被害? 今、被害って言ったよね。やっぱり、王宮は危険なんだ)
母の顔が青くなるのが見えた。父は新聞を置き、セバスの顔をしっかりと見つめた。
「つまり、完全な回避ではなく、犠牲や被害を最小限に切り替えるということか」
「その通りでございます、侯爵様」
(私は決意する)
私は、セバスに尋ねた。
「セバス、わたくし、どうすればいいのかしら?」
セバスは穏やかに微笑んだ。その微笑みは、すべてを包み込むようだ。
「お嬢様は、今まで通りでよろしいのです」
「今まで通り? でも、そうしたら、もっと政治に巻き込まれるのではないでしょうか」
「いいえ。むしろ逆です。お嬢様が控えめで、誠実で、優しい素のままの姿が、周囲には政治的に優秀であると映るようなのです。ですから、その姿のままでいていただくことが、最善の策かと」
(えっ、それって誤解じゃん。全部、誤解じゃん。私は何も優秀ではない。ただ、破滅しないために必死なだけなのに)
でも――セバスの言葉は不思議と安心感があった。この人の言葉なら、信じてもいいのかもしれない。
(そうね。もう、私はどうあがいても政治の渦の中にいるんだ。なら、私は私のままで、なんとか生き延びるしかないわよね。セバスに支えてもらいながら)
セバスには静かに動き続けてもらおう。朝食が終わると、セバスは静かに一礼して食堂を出ていった。
「では、私はこれより、王宮と学園の情報整理に入ります。お嬢様のために、より良き環境を整えられるよう」
(情報整理って何? 怖いけど、頼もしい)
セバスティアンの背中は、まさに影の守護者だった。表舞台では、私は優秀な貴族令嬢として機能している。しかし裏では、セバスが静かに、着実に、私を守るために動いている。私は深く息を吐いた。
(セバスあなたがいなかったら、私は本当に破滅してた。いや、今も破滅の危機の中にいるんだけど、あなたがいるから、なんとか耐えられている)
窓から遠くに見える王宮の尖塔を眺めながら、私は決意した。
(今日も生き延びよう。明日も生き延びよう。その先も、その先も――セバスと一緒なら、できるかもしれない)
そう思った時、心が少し軽くなった。破滅フラグは相変わらず立っているだろう。でも、それでいい。セバスがいれば、何とかなる。そう信じて、私は毎日を生きていくしかないのだ。




